2011年1月12日水曜日

「火の用心」のこと

「火の用心」のこと
年末の事だ、例年のように消防団と子供会が「火の用心・カチカチ」と拍子木を打ちながら町内を廻った。家にいてそれを聞いていると、或る事に気付いた。それを書いてみたい。
「消防団」のそれは「ヒノ・ヨウジン・カチカチ」である、「ヒノ」で切れて一拍おいて「ヨウジン」それから、拍子木の「カチカチ」、「ヒノ」で明確に切るから「ノ」の部分は極端に音程が高い。
「子供会」のそれは、「ヒ・ノ・ヨ・ウ・ジ・ン・カチ・カチ」とあくまで平坦である、切れ目もない。お母さんの声と子供の声が混ざっている、リードしているのはむろん母親の方だ「ひ・の・よ・う・じ・ん・かち・かち」同じリズムで行進している。
この違いはナゼ起こるのか、方や「五・七・五」世代のリズム。方や「エイトビート」世代のリズムか、と考えてみたが、はかばかしい答えは得られなかった。

有識者の戯言

有識者の戯言(たわごと)
年末NHKを見ていたら「解説委員?」の討論番組だろう、知ったかぶりのオジサンたちが、「有識者によれば~」を連発していた。
「物や事のこと」は、無学な者よりも「有識者」の方が良く識っているらしい。これは本当なのか。
「オジサン」達が生活のためにシッタカブルことを私は否定しないが、「有識者」などというエエ加減な概念で括って、話が済む。と話を進める神経には賛同しかねる。

2011年1月11日火曜日

世襲

世襲
世襲は正解なのか、政治家の世襲は小泉(「家」ケ・と呼ぶ方が自然だろう、結婚式と葬式でしか出会うことない呼び方だが)をはじめ、いよいよ花咲く気配である。
「エビゾウ」これも世襲の中の世襲。
「オオ・イイジャン世襲カッコ・イイジャン」それだけで済ますことの出来ぬ、欠陥がこの制度にはあるみたいだ。
家制度の支配していた時代には、血縁と世襲はイコールではなかったのではないか。このことは、新しく始まったNHKの時代劇「 」(名前は忘れた)を見ながら考えようか。
人生は短いけれど、それだからといって、急ぐことはあるまい。

2011年1月6日木曜日

料理の楽しみ

料理の楽しみ
フウフウして、前歯に挟めば、まだ揚げたての牡蠣フライは、歯の間でカシカシ音をたてている。作り手の私が、何が美味いのかをことさらに言い立てなくても、数年後、あれは美味かった、どうしてなのか、そうだ、もしかしたら。と思い返して貰えれば、それでいい。それが、料理の楽しみ。

2011年1月4日火曜日

正月

正月早々、つれあいの機嫌がいい。なによりだ。年末年始の熱心なテレビ視聴者は言う「知っとる?」。知るもんか。紅白は見ない(いまさらオトコオンナもないだろう、そんなに仲がよかったっけ)、喚(わめ)きたてるだけの正月の芸人も見たくない。まして若者をウサギ狩りの犬のように走らせて、監督の腕を競う駅伝などは不快なだけだ(早い方が勝つでしょう。みたいな解説はどうにかならんのか)。
「繰上げスタートになったんよ」。どうやら、社会人の駅伝競走で「チーム警視庁」が計測外に転落したことが、彼女の溜飲を下げさせたらしい。「これじゃあ、犯人は捕まらない」と悲観的に喜んでいる。「白バイや、パトカーに乗って追いかけているみたいだぞ」と言ってやったら「だから、そんなものに乗らなきゃならないんだ」と譲らない。襷を手渡しながら逃げる犯人、襷を手渡しながら追いかける警察。シュールな図ではある。解説者が「過酷な勤務のなかでよくやった」みたいな助け舟を出したのも気に入らないらしく、「憤慨」の何かを言っていたが忘れた。
このように、権力嫌いのこの者だが、好む時代劇は捕り物だし、刑事物も好きみたいだ。
それを言ってやると、あれには「いい男」が出てるから。と、にべもない。
警視庁チームに進言。玄人の競う駅伝に素人で出るなら「イケメン」を出したらどうか。