2011年12月29日木曜日

今年のこと

今年のこと

意図していた訳ではない。教養とは何の関係もない。古い文献を手に入れて読もうと考えた。ヒトラー「わが闘争」。ジェイムス・ジョイス「ユリシーズ」。それらが我が手元にある。埃にまみれたそんな本など若い時には目もくれなかった。(生意気にも読まなくても解ってらーと思っていた)

少しの過去と少しの未来が残されている今。
それらは、未来を照らすに必要と私は考えたのだろう。読み解くことができるか。そんなことは何の関係もない。そんな「切実」なのだ。


『我々はどこからきたか。我々は何者か。我々はどこに行くか』

2011年12月27日火曜日

申し上げにくいのですが

申し上げにくいのですが
とC社(キャノンの事だ)受付嬢は言った。プリンターの「エラーランプ」が七回点滅を繰り返すようになった、ウンとも言わない。「五回点滅」ならドリカムの『未来予想図Ⅱ』「アイシテルのサイン」だけど、これは七回点滅「メゲテマッテルのサイン」か。

これを印刷した直後にBJF890(キャノン)は力尽きた
顧客対応マニュアルにあるのだろう、受付嬢は「もうしわけありません」とも言ったように記憶している。彼女の言うには、2001年製造のこのキャノン製プリンターに「我が社は対応していません」。つまり、部品の供給はおろか、修理もしないということだった。

合理的判断とはこのようなことなんだろう、「直すより作った方が安上がり」だ。つまり、部品を管理し、修理するよりは新しく作った方がコストは安い。
ここまで、合理性を追求するのなら、企業は機能だけ販売したらどうなんだろう。つまり買う側も機能だけ買うことにする。プリンター本体は買わずプリント機能だけ買うということだ。こうすれば企業に故障を直す意思がなくなれば唯のゴミと化したプリンター本体は当然キャノンに引き取ってもらう。

こんなことを考えたのは、今の所有のあり方では、10年後には(5年後かもしれない)確実にゴミになるものを消費者は買わされることになると気付いたからだ。
耐久消費財を作る企業は、壊れない物を作ることは不可能なのだから、使わなくなるまで、修理することができる仕掛けを作る以外にないのだ。それを放棄した買いなさい、捨てなさいのキャノンに『エコです』『地球に優しい』などと言われたくない。いや、言わせてはいけない。

私は1953年製造の者だけれども、「もうその製品には対応していません」と言われるかもしれない。と、つれあいに言えば「欠陥品で返品不可じあー」と機嫌がいい。

2011年12月25日日曜日

2011クリスマスイブ

2011クリスマスイブ

この頃は、日付も怪しくなっている。昨日つれあいに、今日はクリスマスかと聞いたら、「イブイブ」だという。であれば、きょうは、クリスマスイブだろう。祇園祭で「ヨイヤマ・ヨイヨイヤマ」という数え方があるけれど、それに習ったものだろうか。キリスト教の本場?では、「イブイブ」なんていうのかしら?「イブイブ」という音は「ラブラブ」に近くて、世を挙げて発情を促しているみたいだな。禁欲な生活を片時だってしていない人々が「イブイブ」に「ラブラブ」か。と年寄りは重ね着の上に重ね着を着てなお寒いのである。
カラーインジェクトプリンターの不調をいじっているうちに、ブログのことを忘れていた。結論は、白黒印刷ができればいいじゃないか、変な色に印刷したとしても読めればいいじゃないか。ということに落ち着いた。なにしろインジェクトプリンターなる機械は「使っているうちに直った」みたいな機械なのだ。きわめて「アバウト」きわめて「デリケート」そんな機械を私は「お湯」で洗ったりしたんだもの、動いている事が奇跡に近い、まるで「キリスト」の復活のように。
それはそれとして、イブの今夜、つれあいはサッサと仕事に出かけて不在だ。イブにかこつけて、仲良くなろうとは互いに思ってもみないらしい。ずいぶん前に成人した、子供が「私はお母さんに似て、仕事をするのが好きみたい」と感想を述べたと聞いたが、考えてみれば、じゃあ、父親に似てどうなんだと気にかかる。
さて、世間はクリスマスでにぎやかである。日付の変わる頃、こちらもにぎやかに犬どもと散歩に出た。星がよく見える晴れわたった?空だ。遠くの雷が時折、空を明るく照らしている。雷鳴は聞こえない。冷たく吹き渡る風音のせいなのか、それとも、光は届いても、音は届かないそんな遠い距離のせいなのか、と「一人と犬ども」の散歩は思索的なのである。「オリオン」「北斗七星」「カシオペア」「シリウス」「スバル」知っている星座や星は両手の数より少ない。北の国の食い物「全部のせ丼」みたく今夜はそれら全てが一望である。家に近くなった時、「流れ星」が北から南に流れるのを見た。その時、宿題にしている、「遠野・物語・序文」の「物語」部分を書いてみようと考えた。「地震・津波・とりわけ原発事故」この年を忘れることなど出来はしないのだ。

2011年12月18日日曜日

玩物喪志の日々

玩物喪志

車のエンジンをいじっている。いじりながらもいまひとつ切実に欠ける。何故か?考えてみれば、エンジン以外の物でタイヤを回すことが出来れば、エンジンなど要らないのだ。いや、ドラえもんの「どこでもドア」があれば車も要らないのである。と心の片隅で考えているからなのだ。
パソコンについても同様のことが考えられるだろう。情報を伝えたり伝えられたり、蓄えたり、あまつさえ、はた迷惑にも自己表現をしたり。それをする手段が不安定で気まぐれなパソコンでなければならぬことはない。
こうしてみれば、我々は大なり小なり「玩物喪志(がんぶつそうし)」なのだ。

それはそれとして、車のエンジンオイルを替えた。オイルを替えた車は以前より調子が良くなるとは限らない。(特に最近の車は神経質だ、「おお気持ちいい」と昔の車は素直に調子の良くなったものだけれど。)結果は変わらず。それでもいい。壊さなかっただけでも。
ところが、次の日朝乗ってみると違っていた。昨日は10kmぐらいの試し乗りだったが、一夜置いてオイルが可動部分(ピストンとシリンダー・コンロッドのメタル・ベアリングの内部・4気筒だから16あるバルブのステム等々)になじんだせいだろう、エンジンの吹け上がりが違う、エンジンの動作が何事によらずスムーズになっている。
このことはたとえば、お神酒が回ってくれば、お口の滑らかになるようなものか。と擬人化してみたりしているのである。
さて今日は、パソコン先生に貰った。カラープリンター(2001年製造)がピンク色でしか印刷しない、どうしたものか。と相変わらずの「玩物喪志」の日々なのである。
県北(ほんにのうやの里)に片赤耳の車で野菜を貰いに上がる、雪花が散っていた。
K君熱烈歓迎。

2011年12月16日金曜日

清明上河図

清明上河図

清明上河図」が、来年この国にやってくる。と聞いて学生の頃のことを思い出した。
私は、工業高校(機械課)では劣等生だった。機械を分解したり、組んだりする事は好きでも、計算尺を使い、割ったり掛けたりして計算し、図面を書くのは苦手だった。いや、はっきり、しなかった。漫画のような筆使いの私の設計図を見た担当の先生は「嫌いなんじゃなー」と同情して点をくれた。
自分の才能に見切りをつけた訳ではないが、面接みたいなものだけで入学できる大学に入った。これが、「史学科」の日本史。今でも学籍番号は空で言える「722031」さんざん答案に記入したもの(これだけは書ける他は全滅でも)。講義に出てみるとチンプンカンプンで、その上、同じ科の者が普通に知っている事を決定的に「知らない」事に気づいた。これはどうも変だと高校の事務局に問い合わせてみると私が高校の時履修したのは「世界史」だった。知らないわけだ。今でも私は決定的に「ものを知らない」と胸を張って言えるのは、こんな経験があるからなんだろう。
話がずれている。元に戻して。その大学のたしか「美術史」の講義でこの「清明上河図」に出合った。先生のイメージは蘇るけれど名前が出てこない。仮にS先生としよう(坂本ではなかったか?なにしろ40年前のことだ)。先生は清明上河図のスライドを黒板に映して「いいねえー」「すばらしいねー」「好いいねー」と1シーン毎に感嘆して、この長い絵巻のような絵を右から左に順に辿った。この講義期間が三ヶ月だったか、半年だったか、一年だったか、それは思い出せない。私の思い出すことが出来るのは、学問は「好むことから・スキであることから」始まるのだ、それは学問専門者(学者)の使うところの論理以前にあるのだ。と思い知ったことだった。S先生はどうして居られるのだろうか。

2011年12月13日火曜日

お変わりありませんか

お変わりありませんか。

二年前に、中古で買った車がリコールです、と車屋さんから連絡があった。最近自力でドアミラーを替えた、あの片赤耳の車だ。
車屋に持ってゆくと、店の者が笑顔で「お変わりありませんか」と聞く。あれからの事か、「お袋は手術を受けたし、私も寄る年波には勝てなくて、あちこちにガタガ来ている。」と言いかけた時に気付いた。
「車のことなのか?」それなら、「大禍なく過ごしている」ということだろう。「調子はいいみたい」と答えれば、赤耳のドアミラーが少し赤らんだような気がした。

2011年12月11日日曜日

猫のこと つづき

ネコのこと つづき

11日夜半に目を醒ます。起きだして階下におりれば、足音に気づいたものか家のオス猫(オナガ)が外に出たい、と廊下で待ち構えている。
裏口を開けてやれば、月光がアスファルトを敷いた道をまぶしく照らしている。月蝕は終わったみたいだ。
「オナガ」は、こんな深夜に行くあてのあるらしい。うらやましいことだ、と送り出す。
考えてみれば、宇宙空間に浮遊している、「太陽」と「地球」と「月」が一直線に交わった今夜。月はもっとも満月の唯中なのであった(明るいはずだ)。
「地球」でのこともまた一瞬の夢にすぎないか。「オナガ」。
「うぐいすボール」みたいだが、月蝕を撮ってみた。手持ち300ミリの私はこのくらいにしか撮れない。シャッターは60分の1ぐらい。それでも、ずいぶん明るい。
下にO氏が送ってきた絵。中空に浮かぶ「球」であるところの月。

2011年12月10日土曜日

猫のこと

猫のこと

猫のことは、どこかに書いた。探してみると「十月十日深夜の独り言」という題で書いている。その続きです。
我が家のオス猫二匹を蹴散らすようにイジメていた、強面オス猫が来なくなった。やれやれだ。これで静かになると思ったことだ。勇敢に立ち向かい深手を負った奴も、「ヤメテ止メテ」と逃げ回っていた奴も、これで近所をのんびり散歩ができるに違いない。
ところがそうではなかった。強面君が来なくなると今度は、家の二匹が喧嘩を始めた。今日も、隣の屋根の上で「フォー・オウオウ・ワオー」と背中をツッパラかせてやりあっている。庭の犬も心配そうに見上げて吠えたりしている。放っておくと「ギャーー」という声もしてきた。
どうやら、共通の敵が居なくなると内輪モメが始まるのはこの世の摂理のようである。ネコを嗤うことはできない。省みれば政治の世界でも同じ事が起きているようではないか。いや、政治のゴタゴタを嗤うわけにもゆくまい、身近に目を向けてみれば「職場、地域社会、血縁の関係、」どれも同じ事が起こりがちだ。と考えた。
ネコのことは放っておいて、このメカニズムを封印する工夫はないものか。ひとつは、普遍のそのメカニズムが存在すると認識することだろう。あなたも私も免れることはできないのだと。もうひとつは、共通の敵(目標・課題)を見つけて互いの認識とすることだろう。言うまでもなくこれは、「状況」を多角的・重層的に考えるといういま少し高いレベルのヒト人類の能力が要求されるだろう。
とここまで考えたら、なんだか静かだ。ネコの諍いは収まったみたいだ。
この屋根でやってたんだが、どこに行ったものか

2011年12月8日木曜日

パソコン顛末 感想

パソコン顛末 感想

パソコンを使って何かをする、というよりも、パソコンそのものを相手にしている数日だ。
パソコンをいじってみて、この物は
・無限に近いコピー能力をもつ
・限りなく(何度でも)可能な再現性をもつ(くりかえしトライできる)
これが、特徴であるという感想を持った。
これは、一期一会の(同じ事は二度と無い)我々の生存様式とは全く異なるものなのだ。言葉を変えれば、我々の存在は、「唯一無二」であるし、その存在過程の再現性はない。
今回、思うがままにはならぬものの、パソコンを相手に、「どんな局面でもどこかに解決の糸口はある」とやってみたが何とかなった。
一方、「一期一会の生存様式」の方は、かれこれ数十年取り組んでいるが。これは「思うがままにならぬ」事はもちろんだが、「なんとかなる」の段階でもない。負け惜しみではないけれどこちらのほうが奥も深いし面白い。

話は変わるが
今日、長袖の下着を買った。行ったのは、昔からの衣類専門店だ、名前も「○○ゴフク」。店に入るやいなや店内にむかって、「ここにはシャツを置いとるかな」と言えば、私より年配の(ということは婆さんの)店員が対応してくれた。「こちらです」と案内されながら「チラッと見て(私の)サイズはどのくらいと思う」と聞けば「Mですかね」。下着コーナーの山ような商品を前に「丸首がいいですか。厚手と薄手、どちらになさいます」と聞かれる「丸首で厚手がええな」。ここまで、二分とかからない。支払いを済ませても五分。
つくづく、物を売るということは、「商品知識」が在るのと無いのとでは大違いだと思ったことだ。対応してくれた(婆さん)店員はおそらく何十年も服の知識を蓄えてきたに違いない、そうでなければこのような的確な対応はできまい。働く者を使い捨てにしたのでは、このようなベテラン店員は育たないのであると思ったことだ。
雇用の安定か不安定か。長い目で見て、どちらが得であるか、店員にとっても、買う側にとっても。そして社会にとっても。
胴長短脚を誇る私であるが、おそらくこのシャツは体に合うだろうとウキウキ思っている。
後日、このシャツを着た。丸首というものは窮屈なものだ。と思っていたら、前と後ろを逆に着ていることに気づく。「前」とか「後ろ」とかをプリントしているシャツはないものか。今度あの店員に聞いてみよう。

パソコン修理・失敗・顛末 つづき

さて、つづきを書いておこう。「電源」と「マザーボード」の「訃報」がパソコン先生から届いた。残るは「ハードディスク」の状態だ。こんなもの


にこうしてディスクを挿して(これは違うディスクだ、こうしたという見本)
みた。
今これを書いているパソコンに繋いでみると生きているみたいだ。さて、この中身を取り出して愚かなブログを続けてみようと考えた。
使いますものはWIN7に付いている「転送ツール」。
署名捺印の書類を前にして印を持ち、「ではここに」と自分の額に印を押すような真似をさんざん仕出かしつつも何とか転送したみたいだ。
このパソコンのどこの場所に転送されたか、それはこれから追々調べるしかなかろう。まあ、出てこないにしてもたいしたものは持っていなかった訳で、気楽といえば気楽なものではある。
たとえば、「鬱」になったりすれば、なんとか「元」に戻ろうと足掻くことは誰しもママある事だけれど、考えてみれば「元々」がたいした者ではなかったのであるから、「鬱と二人連れ」とぼちぼち行くしかないのと同じようなものだ。

2011年12月6日火曜日

パソコン修理・失敗・顛末

「とるものもとりあえず」。「引越し」したわけだが、こうして、「着の身着のまま」になったといっても、「人心地」の戻ってふりかえってみれば、元の所に置き去りにした荷物が気になる。

それはそれとして、燃やされた「マザーボード」と燃やした「電源ケース」を「パソコン先生」に見せてみた。先生は「カーナビ」よりも「興味津々」みたいで「どうしたん、これかな、」と焦げ臭いマザーボードを匂ったりしている。「犯人」の電源ケースを示せばもうドライバーを手にしている。電源ケースを開けて、基盤を剥き出しにした先生は「どの線を?どこに繋いだん?」だから~と、正直に教えてあげた。すると先生は「ほれ、やっぱりなー」と上機嫌だ。
それから後のご教授を要約すれば、「電線に色を付けているのは意味がある」(ニギヤカシかとおもっていた)「それぞれの色はそれぞれのグループに属している」(へー、デモのときの旗みたいなものか)「あんたの繋いだオレンジ色の線はピンクの線の集まりのところに挿してある」(そうだけど)「ここを見てみんさい」(老眼鏡をかけて見ると基盤に3Vと書いてある)「3ボルトの集まりはオレンジ線」(そうみたいだ)「ところが、あんたの挿したオレンジは12ボルトグループ(ピンク)に挿してありゃーせんか」(確かにそうしている。ここに違いないと12Vグループの空いた穴に挿した時、私は達成感にあふれていたのだが)先生は簡単な割り算をした後「四倍の電気を送ったんじゃから燃えるわなー」とますます上機嫌だ。「なにをするかわからん」これが先生の出した結論だった。
つくづく、私には「常識」というものが欠けている。いや、この期に及んで大きなことは言えないのだが、ヨーロッパの経済危機と同じで、無い財は払えない。無い知識は使いようが無い。つまり「無い袖は振れない」のである。
燃やした電源は更正の余地があるか、燃やされたマザーボードは治療の可能性があるか、パソコン先生に託して帰宅した。
帰途、私は上機嫌だった、何故か。「まだ使えるでー」と古い年式のインクジェットプリンターを先生から貰ったからだ。インターネットで「ドライバー」を探して動かしてみよう。「ヨッシャー」、と懲りていないのである。


2011年12月4日日曜日

パソコン・修理・我流 顛末

パソコンが壊れた。正確に言うと火を吹いた。いや白煙だけだったからボヤというべきか。

最近「点いたり消えたり」していた電源だが、直った(直した)と思っていたがまた症状が出始めた。ん~。と調べてみたら、電源ケースの中の配線が基盤から外れかけているらしい。ついに原因を突き止めたと思った。ケースには「開けたらダメ」と書いてあって丁寧に封印までしてあった。こんなのを見るとだめだー。開けて突きまわして、組みなおして電源を入れたとたん、冷却ファンが猛烈なスピードで回りだし、マザーボードがミシミシ音をたてたかと思うと「コンデンサ」から白い煙が吹きだして~~。
やっちまってしまったわけだ。そんなことで、これまでのもの(ハードディスクの中)が無事であるかどうかまだわからない。これは、別のパソコンで書いている。今まではXPだったけど、これはウィンドウズだ。(まだカーナビ自慢が残っている?)
それにしても妙にサバサバしているのはどうしてなのか。「落ち葉の舞い散る停車場は~」と過去から逃げることはホントは快感なのではないか。世間では、サバサバ顔の女どもがバスから降りてくるときは観光バスツアーの和気あいあいのおしまいの時。「悲しい女の吹き溜まり」などこの世のどこにもない?(これでは歌謡曲は成立しない)
この時代の根本を揺るがす変化が次第に顕在化してくる「今日この頃」だ。
話がヅレていっている、それよりも、この窮地?をどうするか。婦女子の運命の考察などそれから後のことにしたい。

2011年12月3日土曜日

パソコン修理術 我流

パソコンの電源が突然落ちた。再起動したら動き出したが、どうしたものか。買って三年になるが、散々いじって、元のままなのは箱だけだ。まだいけるだろう。医者みたいに「どうされました?」とケースのカバーを外したら途端に、また落ちる。こんな少しの揺れで?と、そこらにのたくっている配線を揺すると、点いたり切れたりする。そういえば電源を変えたときこんなことがあった。面倒だから点いた状態のままの角度で配線を固定したのだったと思い出した。電源が入っていた箱を探したら同じデザインの配線(予備?)があった。入れ替えてまた、配線を揺すってみると今度は落ちない。さてこれで修理したと言えるのだろうか。

ナビとの日々

ナビとの日々
このところ、車に乗る事が多い。別にひとつの事を除いて目的はない。ひとつの事とは何か。カーナビを自慢する事だ。このあいだは、カーナビの電源のためにシガーライターソケットを付けにいった部品屋の兄ちゃんにひとしきり、自慢したけど反応は今ひとつだった。先日は、叔母に見せたけど「友達(75歳過ぎばかり)はみんな付けとるよ」とこれも今ひとつ乗りが悪い。で、今日は、パソコン先生に見せたわけだ。「へー。オオ。」食いつきがすこぶる良い。「ワシもほしいなー」この言葉を求めてもう三日もさまよっていた訳だ。「何処で買うたん?なんぼしたん?」キタァ~~!。自慢はこうでなければならない。このナビは、シュミレーション機能があって、居ながらにして架空の地をさまよう事が出来る。先生はその画面を目を点にして見ていた。

さて、ここまでは昨日のことだ。今日のことを書けば、
カーナビの苦手とするのは、目的地が定まっていない時だ。確かに案内のしようがなかろう。しかし、今日も私はハンドルを持っている「自慢できる相手」という確かな目的を持って。カーナビは昨日の事に味を占めたものか、パソコン先生の所に案内している。「彼も我」も物忘れが特技となる歳とはいえ、「昨日の今日」は、少しマズイのじゃないかと。「ルート再探索中です」と言う彼女と二人で車を走らせているのである。