2012年3月31日土曜日

新聞読みの切り抜き

新聞読みの切り抜き

半日をかけて新聞の切り抜きをした。私の切り抜き方法はこうだ。まず毎朝ふたつの新聞を読む時「これは」と思う記事に付箋を付ける(私が切り抜いてしまうと家の者が読めなくなるからである。でもなーこの方法の弱点は子猫や子供が付箋をオモチャにしてしまうおそれがあるのだな)、次に、一月程新聞がたまると日付順に重ねて付箋を頼りに切り抜くか否かを判断しつつもう一度目を通す(これは、連載物の見落としを防ぐ利点がある。ヒトなんてエエカゲンな者なのだからな)。切り抜いた記事はダンボール箱に放り込む。一年ぐらいで一杯になれば箱をひっくり返して要らぬものは捨てる。斜め読みでも都合三回目を通すことになる。こんなこと。
さて、今回切り抜いた物の中で「面白い」と思ったものを紹介しておしまいにしよう。

ひとつ毎日2012.3.25の「時代の風」加藤陽子。今回が連載の最後の回となるらしい、「何を書くか」も大事だけれど「どう書くか」でその人柄がよく判るものだ。彼女の丁寧な書きぶりには何時も感心していた。さて抜き書き「新聞は、新しい知見への導入役として比類のないものだ。新聞のコラムでその大切さを説く臆面のなさは解っているが、本欄への寄稿も最後となるので、ご容赦をおねがいしたい。」

もうひとつ、赤旗2012.3.21~3.24「清流にダムはいらない・球磨川の再生へ」これは連載。その③「洪水と水害は異質」。さて抜き書き「球磨川にダムができる以前の『洪水』と『水害』は異質だという話」おもしろそうでしょ。「住民は、空の様子と川の水位の上昇具合から浸水の程度を予測し、畳をテーブルやタンスの上に乗せ、その上に家財道具を並べます。障子やふすまは水の抵抗力を減らすために、ひもで縛って、柱にくくり付けて、水に浮かぶようにします。」まるで料理のレシピみたいだな。つづけよう「こうした対策が終わると、どの家にも置いてある、大網を持って、家族総出で『濁りすくい』(アユすくい)に出かけます。」ホー洪水には余得があるらしい。「家に帰ると、流されてきた砂を掃き出し、家財道具を元に戻し、障子やふすまを張り替え、暮れに代わる年に一度の大掃除が終わります。洪水は被害を出すようなこともなく(以下略)」

生きがい

由紀さおり 生きがい

作詞:山上路夫
作曲:渋谷毅

今あなたは目ざめ 煙草をくわえてる
早く起きてね バスが来るでしょう
お茶さえ飲まないで とび出してゆくのね
体に毒よ いつもそうなの
アア あなたと別れた今でも
アア 私はあなたと生きているの

いつの日も 生きてるの

もう別れてしまった 二人なのに
遠くはなれてしまった 二人なのに
私はあなたとしか 生きられない
それだけが 私のよろこび
それだけが 私の幸せなの

今たそがれの街 あなたは歩いてる
どこへ急ぐの 人波の中
もしも私のこと 想い出したならば
すぐに電話で 声を聞かせて

アア あなたと別れた今でも
アア 私はあなたと生きているの
いつの日も 生きてるの
いつの日も 生きてるの

この歌が好きで、よく聞いていた。オトコにとって気持ちいい歌詞だ。別れ別れになってもこんなに思ってくれている女性がいる。そんな現実にはあり得ないことを歌っている。だからこそ、この歌が好きで、よく聞いていたのだろう。

今になって、聞き返してみると、この歌詞はまた違った聞き方も出来る、イヤその方が「現実的だ」と気づいている。母が息子を思うシーン。いや、父が娘を思うシーン。逆に子から親思う、でもよかろう。ヒトがヒトを想う事を昇華して、この詩はまことに優れていると思う次第だ。

その向こうには

その向こうには

吉本隆明氏が亡くなった。今では廃(すた)れたが「疎外(そがい)」という言葉が盛んに飛び交っていた頃のことだ「その向こうには何かがある」と彼の『共同幻想論』を読んだことがある。散々、意味ありげなイメージでもって連れ回され、さいごに「国家は消滅する(これは記億で書いている)」と結ばれ「ヘーッ」と感心して、それ以後彼の書くものは敬遠してきた。大新聞各社が「追悼」の記事を盛んに載せていたけれど、どれも「ピンボケ」だった。都合のいい時に「つごうのいいコメント」をもらうだけの相手で、本当に彼の書いたものを読んだ記者はいなかったのではないか。
「いいお父さんだった」。とは、彼の娘、吉本ばなな氏の追悼であるらしい。そうだったのだろう。ヒトは食うためには何でもしなければならない時がある、たとえそれが衒学であったとしても。「いいお父さんだった」頑張って子供を育てたそれでいいじゃないか。
思想家であれ、百姓であれ、「これ」と思った道具で、「これは」と思う土地を耕してみる他に、どんな生き方もありはしないのだ。彼は彼の道具で彼の土地を耕した。作物は育たなかったが。それでいい。

2012年3月29日木曜日

法に抵触せず

法に抵触せぬ

鰯、鯵、鯖、鮭。どもの天日干しの成功に浮かれている。今日はイワシとサケを購入し早速に干した。イワシはそのまま何もせずにひたすら干す。サケは表裏に少し塩をまぶした。カメラを向けると風に吹かれた干し籠が揺れてピントが合わない。風速7メートル。いい風だ。ピントなんてどうでもいい。



さて、今朝の新聞に巨人絡みでプロ野球の話題があった。何度読んでも理解出来ない。「法に抵触せぬ」というフレーズだけが頭に残った。
仔細を公にする気はないが、ここ数年、私は「民事訴訟(被告)」に絡んでいるので、法の適用の機微については多少詳しくなった。
一般的な感想を述べれば、法治国の住民は、「法」をよく理解し、「法」制定の精神を尊重し、「法」の禁ずる行いを慎むべきだろう。止むに止まれぬ理由があるにしても、不幸にして「法」を侵害したならば、定められた罰(民事においては経済的不利益か?)を甘んじて受けるべきだろう。何故ならば、その行為は、立場を変えれば「法によってあなた自身を守ること」になるからである。
ところが、そんな私の認識は、時代遅れの「原理主義者」らしいのだ。今では「法に抵触せぬ」ならば「何をやっても許される」らしいのだ。これを法の「現実主義者」と名付けるとすれば法の「原理主義者」と「現実主義者」との溝は思うのほか深いと言わざるを得まい。

2012年3月28日水曜日

マスコミから

朝フロントグラスに霜があったが、陽の登れば「鴬」が上手に鳴いている。この鳥がとりわけヒトに好まれるのは丁度「口笛の音程で鳴く」からではないか。と考えた。声の華麗さに比べ、正体はまことに地味な鳥なのである。さて今日も、フェイスブック風に。

今朝の新聞に「電気事業連合会」が「防災強化に抵抗」とある。これは「フクシマ3.11」直前の話だ。防災強化をすれば「混乱を招く」が反対の理由。
もう一つ、今朝の新聞から「大阪・選挙リスト職員捏造を認める」これは大阪市長選をめぐり、橋下氏当選に有利な情報を捏造していたということ。
今日は、このふたつの事柄の中身には触れない。このふたつの事柄に共通する「属性」に触れる。
「属性」は端的に言ってどちらも「マスコミを意識した」結果の失態だろう。一方は報道されることの不利を計算して、一方は報道されることの有利を計算して。一方はしなければならぬ事を怠り、一方はしてはならぬことをした。
現代では「マスコミ」を考慮しない「公」は存在しない。このことへの驚きとこのことからの弊害の大きさを思う。
「人のふりを見て我がふりを直せ」だ、我々も心すべきであろう。幸いにしてこのブログはマスを免れているを「幸」とすべきであろうか。

今朝の新聞から「福島原発」2号機の内部は72,9シーベルトだった。と東電の発表。ヒトの致死量は7~8シーベルトだというから、誰も(機械も含めて)近づけない。それが閉じ込められていない。つまり、我々の生活空間とつながっている。というこの事実をもう少し深刻に受け止めたい。

2012年3月27日火曜日

春の一日

春の一日

春なのか、纏(まと)まってものを考えられない。浮かれているのであろうか。「フェイスブック」で遊んだ痕跡を記してお茶を濁そう。順は時系列による。「池堤の草刈」については纏(まと)めて記したいと考えているけれどもどうなりますやら。それはそれとして、早朝、つれあいを職場に送る時。行き交う車を見て「こんな時間に、家を出て働きに行く者は貧乏臭い格好をしているな」と言ったら「アンタには言われとうないと誰も思うで」といっていた。事ほどさように自分の事は解りにくいのである。

溜池堤の草刈をした。
誘ったのは十名ほど、ほとんど来てくれた。平均年齢60歳をはるかに超える。私の係わる『水利組合』も捨てたもんじゃないと思ったことだ。地元から出ている市会議員も草刈機を持って参加した。彼の親は百姓であった、彼の親が子牛の口を開けて子牛の歯が生え揃う時を教えてくれたのは私が小学生の時だった。互いに遠くに来たものだ。草刈りの後の一服の時(一休みの時)実に貴重な情報が飛び交う。タラノメ盗人のこと、椎茸盗人の事、タケノコ盗人の事、中国の若者をニホンに来させる時、ブローカーが幾らの口銭を取るかについての事。イノシシの跋扈(ばっこ)のこと。等など。草刈機を杖がわりにするほど体力の衰えている身なれども、気持ちいい朝の作業と成った。



朝の挨拶
朝7時すぎ、我が村の路地道で中国からの若者の一団(10名ばかりか)に遭う。朝の散歩らしい。私を見かけて彼ら(女性がほとんどだった)は大きな声で「おはようございます」と言う。私も負けずに「おはようさん」と答える。私の声が、なんだか彼の国のイントネーションみたいに尻上がりに成ったのに驚く。聞き耳を立てると、彼らの雑談は、彼の国の言葉で交わされているみたいだ。翻訳すれば「ニホンにも変なオジサンいるわー」であろうか。そんな鄙(ひな)にもまれな「団体」でなければ、彼女達のファッションはどの国にも共通の若者の仕草、細いジィーンズに流行のジャケツト(かえつて目立つ正装だ)。彼らはこの村に出来た『日本語学校』の生徒達なのだ。ひと月もしないうちに、仕事先を見つけて居なくなる。何処でどんな労働に就くのか。私は、彼らの人生の幸せを願っているけれど、心配もしているのである。このクニの「変なオジサン」として。


レシピの事
近くの「スーパー」に食料を買いに出かけていた。店内には子供が目立つ、ゲーム機を置いてある一画でちびっ子ギャンブラーが奇声を上げている。学校が休みに入ったのだと気づいた。
何を作り、何を食うか。はメニューの問題だ。どう作るかはレシピの問題だろうか。我が家で何を食らうか(メニュー)について何時も悩む。我が発想は何を基準としているのか。これがアヤフヤであるからだ。子供の小さい時には、「アレ食べたい・コレ食べたい」と言う物を作っていた。これは簡単だ。家族の誰かが熱を出せば「鍋焼きうどん」を作ろうか、お腹の調子が~、という時は「茶粥」でも。という調子だ。これも悩まない。いや悩む余地がない。ところが、そういう『要求』のない時、何を基準に何を食らうか。食卓に何を並べるか。コレは、考えてみれば意外に深刻で奥の深い問題なのである。
ところで、「ナマの鮭」を購入し塩をまぶして風に晒した。



メニューの悩み。つづき。
このあいだ溜池堤の草刈りに集まった面々と雑談していて気付いたのだけれど、彼らは身近の食材を好む。例えば「タラの芽」であり、「タケノコ」であり、「椎茸」であり、「蕨」であり、「土筆」であり、「里芋」である。商品作物としての「米」「玉葱」「キャベツ」はその範疇にはない。商品作物が「商品」として扱われなくなった今。我々も目覚めて『先祖』の食を探求してみるのもいいだろう。私は久しぶりに行った畑で「菜花」を見つけた、放置していた白菜に花が咲きかけている。「菜花で散らし寿司」を作ろうかと考えた。烏賊を入れるか、貝を入れるか、魚はサゴシにするかそれとも抜くか、蓮根は入れたい、エビの赤色はあった方がいいか、ゴボウやニンジンはどうするか、春だから卵の薄焼きは欠かせない、いやいや、菜花の微かな苦味を味はうにはいっそシンプルがいいか。料理なんてこんな時が一番楽しいのである。

2012年3月24日土曜日

跳べない猫

跳べない猫

じっさい猫の運動能力は改めてみると驚くものがある。私の背丈(たしたものじゃない、学校で整列する時にはいつも先頭だった)よりも高いブロック塀の垂直の面を駆け上がるのである。水平に移動するよりもこっちの方が「簡単だ」みたいにして。
ところが、正月前から家にいる若オスが、武者修行なのであったのか、十日程留守にして帰ってきたら、「跳べなく」なっていた、「どうしたんじゃろう?」と家の者どもは心配している。足も腰も何ともないみたいだし、なにより食欲が無いわけではない。しかし、私の腰(これもそんな高さではない、ことわるまでもないか)の高さの出窓の枠にさえ跳び登れないのである。こうしてみると「精神的」なものを疑わざるを得ない。(猫の精神がどんなものか想像する以外にないのだが)
ちょっとした躓(つまず)きで、今まで何気なく出来ていたことが、出来なくなる事ってヒトにもよくあることだ。私もその傾向が多いにあるからよくわかる。
さて彼を紹介しよう、



彼を撮っていると「このおじさんは何でもかんでもブログに書くんじゃから、チョビくん用心しなさいよ」とつれあいが言っていたが、もう遅い。それはそうと彼が「チョビ」と呼ばれるのは口の周りの模様に由来する『ちょび髭』持ちなのである。私は密かに改名を試みている「トビ」君と。ふたたび「跳び」あがれるようになることを期待して。

外には強い風が

外には強い風が

風が吹いている。冷たくはない。気温は12°C。強い風に誘われて「イワシ」を購入して干した。メザシを目指している。


「AIJ投資顧問」なる会社、が詐欺を仕掛けて、企業年金を搾取した。これが今日のニュース。その額二千億円。新聞によれば夫が社長で妻が取締役。これって、産廃業者みたいだな、と思う、「前科」がありそうだな、とも思う、「闇」に流れた金があろうとも思う。だがしかし、新聞を読み進んでみれば、前身は「野村證券」の社員だったらしいと知る。私が間違っていた。「住民」の胸ぐらを掴んで「本当の暴力はこんなもんじゃない」と脅したり、役所で大声の恫喝をする「産廃業者」と同じくらいの卑劣が「エリートサラリーマン」の属性なのだった。我々はともすれば、「〇〇大学の〇〇学部出身だって」と人物を(良くも悪くも)評価する向きがあるけれど、辞めたほうがいい「それは」躓(つまず)きの元だ。既成の学校教育なるものが形骸化し、中身のない「シロアリに食われた木材」みたく成っているのをもう少し早く気づくべきだった。大阪の橋下なる人物が「エリート」養成を目指して、「うちの子は他の子とは違う」というオカン・オトンの心を捕まえているみたいだけれど。彼は先頭を走っているようで実は最後尾で「詐欺」をしているだけなのではなかろうか。いまさら、「学校」をいじっても、この社会を立て直すためにはもう遅いのである。

2012年3月22日木曜日

やや乱暴にパンを

やや乱暴にパンを

我が家の冷蔵庫に何が入っているか。すべて解っているヒトは稀だろう。私にも解らない、これはおふくろと冷蔵庫を共有しているせいもあるけれど「伏魔殿」と名付ける由来だ。
考えてみれば、この食料余り事情はヒト人類史上初めての経験ではなかろうか。こんな過剰、いつまでも続くとは思えない。

今は昔、学生の頃私は「アルプス製」の小さな冷蔵庫を持っていて、入っているのは氷と水の入ったボトルだけだった。いったい何を食っていたのか思い出せない。と書いて「そういえば」と、思い出した。
六畳一間のアパートで、飯を炊いて、塩さんまを炙って、と調理しかけたところに「H女史」が、何の用事があったのか訪れた。彼女は買ったばかりの中古バイク、ホンダ製の125㏄単気筒「JX125」を私に見せに来たのかもしれない。饗(もてな)すために、もう一匹さんまを焼いて、畳の上に食器をならべて二人並んで食った。そんな事を。
食いながら「新婚みたいだな」と言ったらいい笑顔で笑った。じっさい彼女はちょっと居ないような美人だった。その時彼女から「美味しそうに食べるんじゃね」「綺麗に骨をはずして食べるわ」とホメられた。褒める所が他になかったせいもあろう。だがしかし「H女史」は私に好意を抱いていたのだろうかと今になって考える。卒業して後、大阪の天王寺辺りで所帯を持ったと聞いている。どうしているかしら、もう40年も昔のことなのである。


さて気分のいい思い出は、そこまでにして。冷蔵庫に使いさしのとろけるチーズとカレーの残り、賞味期限を過ぎた焼きそば麺を見つけた。しばらく思案した後、パンを焼こうと思い立つ。それもプアーなものを焼こう。そうすれば、パンを台にしてとろけるチーズを載せたピザが食える。ナンの代わりにパンのカリカリ部分でカレーを掬って食おうか。お好みソースを利かした焼きそばを挟んでもいけるだろう。私は、何時まで経っても餓鬼なのである。

パン焼き器とドライイーストを用意して
砂糖と塩とイーストを入れて
少し温めた牛乳を入れた。牛乳の脂分だけで焼いてみよう。 脂分なしだと生地がアッチコッチに付いて扱いが面倒だ。例えばフランスパンはそんな感じになる。
上から強力粉を入れて
発酵まではお任せ。一時間か。
お任せといっても気になる。覗いてみたらコネテます。
発行したぞ
まな板の上に取り出して
少し休ませた(ちょっと膨らんでいるのがお解りだろうか)
半分にカットした
こんなスリコギで平らに伸ばして

天板の上に載せて
オーブンで焼く
20分もしたらこんな感じ
こうしてみれば、パンの色は心地よく焦げた色なのである。

今はカリカリだけれどそのうちに中の水分が外の皮の部分にしみ出してしっとりとなる。
「ヒトはパンだけで生きているんじゃないよ」という尊い教えを思い出した。でもなー、焼いてまったもの食わずばなるまい。

2012年3月20日火曜日

統治と自治

統治と自治

町内会の役員を4月から引き受けた。役員なるものを少し説明をしておくと、役員は二軒をひとつのチームとする。一軒が役員会に出て、もう一軒がお知らせなどの配りものと会費の集金をする。これが基本。その上で、持ち回りで二年を一期として平等に配分される。我が町内会はおよそ二百軒が所属し、人口はおよそ五百名。全体を十の組に分けそのひとつの組、軒数にして十四軒が私の組だ。私の組の場合、十四÷二×二=十四。およそ十四年に一度回ってくる。
以前引き受けたのは西暦二千年のことであった。それから十二年。心待ちにしていなかったと言えば「嘘」になる。以前(2000年)の時は「円形脱毛症」になった。それだけスリリングな展開と結末。その経験の後の今回のエントリーである。(数日前、町内会総会に出席すると、二千年体制から生き残った連中が挨拶に来た「お手柔らかに」ということなのであろう。 彼らの挨拶は失望に終わるであろうか。そういえば、総会の議事の中で、地元から出ている市会議員の市政報告会の案内をしていた。「みなさん、ご参加よろしく」だって)
これから先、役員任務の展開と意見をこのブログで表現出来ればそれにこしたことはない。と考えた。出来るかどうか。上手くブログに表現出来なくても私は私でしかない。「私」は「私」を生きるしかないのである。

ところで、『統治と自治』と表題に記した理由を書いておこう。
「統治」のこと=「ただの任意団体」と法的に規定されるこの「町内会」なるものが地方自治体(岡山市)には「統治」の重要で便利な「装置」と位置づけられていることに由来する。
「自治」のこと=歴史を遡れば地域の議会であった「寄り合い」機能は戦後になって町内会として変化した。これは「自治」を行う能力がある。
統治と自治は対立する概念である。もともと私が勝手に持ちだした概念でもある。実際の現場では入れ子細工に複雑に絡み合っているのである、統治も自治も。私のこの思い込み適切か否か。乞うご期待だ。


いずれにせよ。「クソ」みたいな何かが町内会に存在しているとすれば、それを改良する以外に、現実に立ち向かうすべ(術)は他にはないのである。

2012年3月17日土曜日

鳴くと歌う

鳴く
隣の庭から小鳥の「ピーッッ・ピーッッ・ピー」と鳴く声がきこえている。しばらく繰り返している。「ピーッッ・ピーッッ・ピー」、どんな鳥なのか調べてみた。ところが「同じ鳥でも、時と場所によって鳴き声が違う」。という説明につまずいて断念する。言われてみれば、あのヤンチャなカラスも「ギヤー」といったり「カー」といったりする。
鳥の声は「鳴く・啼く」と言われ「歌う・唄う」とも表現される。ヒトだって繰り返し歌う。それは、求愛の仕草だったり、お気に入りの節回しだったり、お気に入りの気分の再現だったりする。私も歌う。家の者の迷惑をかえりみることなしに。生きているのだから許してもらおう。鳥でも同じ事だろう。繰り返し歌うことで、一度きりの命を、一度きりの季節に表現しているのだ。「ピーッッ・ピーッッ・ピー」。

歌う
ところで、今年の春は、同じ歌が、繰り返し歌われたらしい。「君が代」のことだ。罰で脅して「口パクチェック」までして歌わせたらしい。これってもう「歌」ではないよな。

2012年3月15日木曜日

突然のインターネット

インターネット

深夜。フェイスブックやツイッター、それからこれを書いているブログを読んだり書いたりしていたら、「突然」インターネット接続が途切れた。どうしたものか解らない。慌てて接続を試みるが繋がらない「孤立無援」とはこのことかと思う。テレビもラジオもない時代に我が先祖達はこうして夜長の天井を見つめていたのか。と布団に退散して考えた。接続を試みた時、「エラー651で~」とあったな。これの意味を問おうにも繋がっていない、「インターネット」には問えない。


こうして、書いているのは、「接続が回復したからだ」けれども、それが、どのような技でどのようにしてこうなったか皆目分らない。これって昔は「疎外」と名付けて自称左翼の常套句だったっけ。と回復した嬉しさと共に考えた。
今となってみれば、この言葉「疎外」ではこの時代の何も読み解けなかった。

翌日の追記
インターネットが不安定だ、今朝も散々苦労して繋ぎ直した。ONIネットの助けも借りた。WIN7はアップデートをしばしば行う。その中にインターネット設定をイジル何かが含まれていたのではないかと私は考えた。というのは、不調と同時に「バックアップ用データ」も消去されたからだ。どうなんだろうか、私には解らない。



2012年3月12日月曜日

孤独死考

孤独死


畑に「生ゴミ」を持参していると、I氏宅の前に「ストレッチャー」が置いてある。物々しい。そういえば、昨日の事、救急車の音が近くでしていた。亡くなったものらしい。I氏宅近くの掲示板を見れば、「通夜と葬儀」の日程が記してある。「密葬」に限りなく近く弔うのだろうか、他の掲示板には張り紙がない。ほとんど家を出ない、おふくろに「〇〇さんが死んだらしいで」と教える。この地に嫁いで60年の彼女には、それぞれの家系図が、インプットされているらしく、たちまち、亡彼女の生涯が再現される事となった。何処から嫁いできたか。夫婦仲はどうだったか。家計を何で支えていたか。持病は何だったか。子は何人で、行方不明何名。現在、親元に出入りするのは誰か。「昔ながらの暮らしを貫いた最後の世代だった」とは、私の合いの手の感想だ。「歳に不足はなかろう」と私が言うとおふくろは、色を成して「否定」する。聞くと「私と同い年だから」という。残念ながら母親を「お母様」という感性は持ちあわせていないから「自分の歳を考えてみたら」。ということになる。いずれにせよ、こういう環境では、「孤独死」は「不可能」だろう。と考えた。「孤独を望んでも、孤独はあり得ない」。ひるがえって、巷間話題の「孤独死」を考えてみれば、と書いてそれ以上の記述は不要であろう。


2012年3月8日木曜日

茶碗蒸と茶粥

茶碗蒸と茶粥

おふくろが鼻声をしているので、「どうしたんだ」と聞けば「風邪」みたいだという。それで、茶碗蒸を作ることにした。そのついでに茶粥も作ろう。

エビと貝柱とササミを使う。畑を漁れば「三つ葉」があるかも知れぬが面倒だ。
一口大に切って下味を付けておく。基本は酒と塩か、茶椀の中で一番味の淡泊なのが具材。というのも、「なんだかなー」ということだ、汁分を薄味にできる効果もある。

卵と出し汁の割合は1と3だから、まず計量カップに適当に卵を割りいれてその容積を計る。今回は卵3個で150。だから出し汁は150を三回入れる。計算が面倒なのだ、小学生の時から。

具を底に敷いて汁を張ったところだ。
このあいだ麹を作った時の大鍋が仕舞われずにある。これを使おう。底に適当に湯を注いで並べた。沸騰してきたみたいだ。じゅうぶん沸騰させて蓋をして弱火で15分か。蓋を取れば固まりかけているだろう、イヤ、出来ているかも知れないぞ。

そのあいだに、茶粥を仕掛けよう、まずお茶を煮出して、コメを洗って
今回は一合。食い物関係は昔ながらの単位がしっくりくると思いませんか、昨日は「なんぼ飲んだんで?」と聞かれて「900ミリリットルかな」はないだろう。
茶葉を食べる習慣が無いから、茶こしで漉した。おふくろが食うのでなかったら、そのまま茶葉ごと炊くのも面白いかも知れない。

吹きこぼれぬ程度の火で15分もすれば出来るだろう、いや何分であろうと、食えるようならそれが出来上がりだ。米と水の割合は1と6か7か8かお好みだ。1と1.2ではご飯が炊けてしまうぞ。
そうこうしている間に、茶碗蒸が出来た。
こんな感じ。
粥はどうかな。
もう少し茶葉の煮出しをしっかりするべきだったな、茶の「タンニン」というのかその苦味成分が茶粥の飯粒がふやけるのを防いでくれる。これは失敗だった。後でおふくろに聞けば「薄味だ」という表現だった。
 

2012.3.8の日記

2012.3.8の日記

早朝に起きだして、こうして机の前に座り、耳を澄ませている。すると、高く空の高みへと鳴きながら登ってゆく鳥の声が聞こえる。「ヒバリ(雲雀)」であろうか。確かめるすべはない、日の出までまだ数時間ある、外は闇だ。高みには朝の気配が在るのであろうか。
その鳴き声をかき消すように、漁舟のエンジン音が響きだす。水面を激しく叩くような音をさせて遠くに去ってゆく。その昔は、焼玉エンジンだったから「ポンポン」という音だったな。
束の間の静寂。すると「ウグイス(鴬)」が鳴き出した。つかえながらの早朝練習、まるで中学校のブラスバンドのようだなと思う。
どんな理屈(論理)も、感性(倫理)のハードル(壁)を超えることは出来ない。モノの価格は市場が決めるけれど(今では「政策誘導」が決める要素は無視できないが)しかし、モノの価値は個々のヒトの心の判断によるだろう。そのことは誰にも止められない。

2012年3月7日水曜日

片赤耳車検に行く

片赤耳車検のこと

赤耳を連れて、ユザー車検に行ってきた。普通車の車検は久しぶり。あれこれと受付でも迷うことが多い。「手間を取ります」と言うと「よろしいょォー」と受け付けの女史は優しい。「帰ってもらってー!というようなヒドイのも居る?」と聞くと。「それでも、皆さんご無事に帰られますよォー」とそこまで優しいと返って不安になる。ユザー車検を知らないヒトに言っておくけど、「実技試験」があるのだ。(むろん車のだけれど)「ハイ!ライトを点けてー。ライトはハイですー。はいウインカーを点けてー、右よし左よし。ブレーキを踏んで、戻して。ハザードをつけてー。ハイ!クラクション。次は、バックに入れてー。右上げてー左は上げないで右下げてー」みたいなことを車がやるのだ、車は言葉が解らないから、やるのは私。

検査場にて記念撮影「事件」は向こうの場所でしばしば?起こる

それで、出来ない。理由は簡単だ、そんな行為は、いつもならば、必要にかられてしているのであって。日頃は言葉で指示されてやることではないからだ。「えっーとーハザードはこの三角マークだったっけ」耳のうんと遠いふりをしてみたりする。最悪だったのは「車の下を検査します」のコーナーでハンマーを持って待っている検査員の上を通り過ぎて仕舞ったことだろう。「オオーイ」と後ろから呼ばれた。むろん不機嫌な相手の希望を聞いて、検査場では想定していない「バック」運転も披露することになった。


さて、費用だが、総計5万6650円。このくらいの「お騒がせ」は許してもらいたい価だ。クニにしてみれば、車検の目的の半分は税の取り立てにあるのだろう、ちなみに重量税は3万円。車検を受けずに走っていても、警察官に咎めを受けることがないとすれば、誰が車検を受けるだろうか。
それはそれとして、ひとつの提案がある。(私は文句ばかり言っているわけではない)

年寄りは「暇もある」事だし、免許を返納せよ、適性検査を自動車学校でやってこい!(これは有料だ)とキャンペーンしたりするよりも。すべからく、「ユザー車検」を義務付けてみたらどうだろう。費用が安く済むことはどうでもいい、何よりも、車検は「車」と「運転者」の「適性試験」みたいなものだから。