2014年6月27日金曜日

フェラーリのようなパソコン

パソコンが治ったので、調子にのって「ビデオカード」を付け足したりしている。でもこの道の辿り着くところは、通勤に使う車をフェラーリ仕様にする。みたいな事になるのだと気づいている。実際のところ、軽四で十分なんだ。燃費も良いし。「ビデオカード」の事だけれど、感覚としてはモニタ画面がシャープになったような気がしている。「気のせいだ」と言われればそれまでのことだけれど。ヒトの問題はある所からは、アナログの問題なんだな。凝った作りのオーディオ(1970年代制作?)を手に入れたのでCDLPでこの違いを楽しもうと思っている。

2014年6月20日金曜日

ぱそこんが治った

パソコンの不調が治った。イヤ、直したと言うべきだろう。アイコンもペラペラの紙みたいではなくなったし、パソコンを立ち上げる度に出ていた警告も出なくなった。さんざんWebを徘徊して解決策を探したが、結局は片隅の小さな記事がヒントになった。さてこの状態のパソコンをバックアップのハードディスクに仕舞っておいて次の不調に備えよう。

2014年6月18日水曜日

パソコンのこと

「セーフモード」では出ない不具合が「通常モード」では出るという。鬱陶しい現象をふたつ発見している、そのひとつ(アイコンが変)を解決した。中身は複雑だった。しかし、解ってみればなんでもない。「クズ」みたいなファイルがパソコンのソフトの構造(階層)のどの部分に在るかによってパソコンのしぐさは変わるらしい。「クズ」を捨てた(ゴミ箱からも消した)それで解決。さて、残るもうひとつ。これをどうするか。
それにしても、階層のどの部分に位置するかによって発言権に差があるなんてまるでヒトの社会の縮図みたいではないか。そういえば、マイクロソフトは家父長的で権威主義者の気配がする。
気を取り直して、どうしてこうもパソコンソフトWindowsは解りにくいのかを考えてみた。
 一つは、私の圧倒的な知識不足だろう。しかしそれだけではなく、ソフトWindowsの方にも問題があるのではなかろうか。
例えば、誤って消されないように隠してあるファイル。たしかにそうしていないと私などは壊してしまうだろう。

2014年6月15日日曜日

承前、つづき

不調パソコンの事。通信速度の遅いインターネット経由で「Office」ソフトを入れ替えてみた。(ずいぶん時間がかかった)すると大概の不具合は無くなった。残る不具合はパソコンを「セーフモード」で立ち上げると現れない。これはこれからの課題であろうと思っている。それにしても、複雑な要素で組みあがっている事だな。「それが良い」とするか、「だからダメ」だとするか。これは好みの問題だろう。今日は休みで一日家に居たつれあいは、「直った?」と聞く。「?。直ったような、直ってないような。」と答えた。この気持ちは彼女には解らないに決まっている。

2014年6月14日土曜日

承前

  1. 電気で動く身近な物を「家電」とするならば、パソコンはその扱い難さでダントツの地位を占めるだろう。「別格一番」ではあるまいか。壊れた洗濯機、掃除機、冷蔵庫、テレビ、等々の前に座って「ああではあるまいか、こうではあるまいか」と思案するヒトはまず居まい。(即座に廃棄処分!)。ところが、パソコンはそれを要求するのである。つまりこの家電は「壊れたような、壊れていないような、」領域を行き来する不思議な家電なのである。それにしてもSNSに接続する能力を失った途端にお前はゴミ箱行きになることを覚悟していたほうがいいぞ。とキーボードに打ち込んでいる私はなんなんだろう。

2014年6月13日金曜日

パソコンが動かなくなった

フェイスブックへの投稿を時系列に並べてみた、こうしてみると、ヒトというものは愚かだ。そして、否応もなく一貫している。

パソコンが動かなくなった。スイッチを入れても「動コかな、止めヨかな」みたいでモゾモゾしている。スイッチを長~押しして再起動させれば、あれこれシロと言う、あれこれしても事態は悪化するばかり。それから先はよく覚えていない。殺人と窃盗以外は何でも試してみた。しかし治らない。

 

BIOSHDDを外していても起動する事を見つけたから。pcドクターという、dvd様式のソフトが手元に有ったのでそれを動かしてみた。ドクターの診断によれば、「お宅のメモリ壊れていますで」とのことだ。

 

ドクターの言葉を信じて、付けていたメモリを抜いて、違うメモリを挿した。ドクターの診断はまたも「オタクのメモリ壊れてます」だった。どうしたものか数時間考えた。メモリを挿すスロットはまだある。そこに壊れてますのメモリを挿し直した。するとドクターは「PASSED」(問題ない)だって。ドクター。マザーボードを疑った方が~~。と考えているがどんなもんだろう。

 

パソコンはどう考えてもマザーボードが壊れている。と考え、製造元(部品を組み立てて売っただけの製造元=車だってそんなものになりつつある)に送り返した。送料3千円余。(これは「直します」という相手への期待料だと考えている)。そんなことをしていたら小説『オリガ・モリソヴナの反語法』米原万里。の一節を思い出した。これが無類に面白い。以下引用「ぼっ、ぼくの考えでは‥‥‥」「ぼっ、ぼくの考えでは‥‥‥だって。フン。七面鳥もね、考えはあったらしいんだ。でもね、結局はスープの出汁になっちまったんだよ」引用終わり。家を焼いた時、集めていた本は全部処分した。記憶の中でこれはもう一度読みたいと思う本を探しては買っている。米原万里のこの本もその一冊。

 

使っているパソコンを「修理の旅」に出したので、古いパソコン、ウインドウズXPを持ちだして動かしてみた。懐かしい画面が現れた。インターネットに繋げば、新しい修復ソフトも受け付けている。「メール」は設定をやり直す必要があるらしい。しかし、これ以上はいじらない。「XP]の画面を見て「これなに?」という世代はどれぐらいいるのだろう。

 

これは、XPで書いている。マザーボードもCPUもメモリも6年前の設えだから、「フェイスブック」を動かすにはいささか荷重みたいでモタモタ動いている。そのことを除けば、マイクロソフトのサポート無しでも後は問題ないみたいだ。

 

XPを動かして、あれこれのblogを覗いている。すると突然、脈絡も無しに優しげなお姉さんが画面に現れる。夢か現かと思えば、これは「うつつ」の事なのである。「浦島太郎」は優しげなお姉さんの画面で遊んだものだったのであろうか。

 

修理の旅に出ていたパソコンが戻ってきた。マザーボード・メモリ・CPUを変えました、と伝票に書いてあった。鍬や鎌や包丁ではないので見た目は変わらない。ところが、性格が変わったみたいで、フィードを使おうとするとイヤダという。どうやらハードが壊れた時ソフトにも傷が入ったみたいである。ソフトをすっかり入れ直して、私は、なんだかダダッ広い所にポツンと座っているという風情なのだ。

 

「回復が完了しました。ユーザーファイルを復元しますか?」とパソコンを起動する度に画面で聞かれる。まことに鬱陶しいことだ。これを画面に現れないようにしてやりたい。それでどうしたらいいか。最低動くのに必要と思われるソフト以外を捨てた。がしかし、同じ事を画面は聞く。こうなると、やはりパソコンに聞く以外にない。SNS(ソーシャルネットワークサービス)の最大の利点は、世の中には同じ悩みを抱えているヒトがとても多いと判ることだ。でも、最大の弱点もある、解決できない悩みは誰も解決できないと判ることだ。切羽詰ったような気持ちになって「ウィンドウズOS」を捨てようかと考えたが、これは玄関の扉が「ガタピシ」いうのが嫌で家を捨てるようなものなのだろう。

 

パソコンの不調は増々深まり、アイコンがおかしな具合に表示されるようになった事を始めとして、検索ソフト「Chrome」が立ち上がらない事。「office2013」の本体がどこかへ消えて、ショートカットだけが残っている事。などなどをヤラカシテしている。パソコンの凄いところは、そういう不具合を何度でも再現することである。困りながらも感心している。それにしても、このパソコン、修理の旅を終えたあと。性格が変わったのではなく「壊れてしまった」のではなかろうか。