2015年7月18日土曜日

杞憂であればいいのであるが

    コレが寓話であればいいのである。
    戦争法案に賛成した国・県・市などの議員(自民党・公明党)がこれからしなければならない仕事はこれだろう。
    「有力な支持者達の子弟」の徴兵逃れの口利きだろう。
    議員の仕事は「口利き」なりと心得ている彼ら彼女らには苦もなき事であろうか。

あっち向いてホイみたいに


    今朝のおおかたの新聞、一面は「「新国立 計画白紙にーー首相表明」(これは毎日新聞)だろう。
    「あっち向いてホイ」みたい。私が驚いたのは、この人物の一言ですでに決まっていた事が白紙に戻る事だった。このクニでそれが出来る人物はそんなに多くない。
    インターネット空間を浮遊している限りにおいては、この人物の挙動はともすれば「お笑い」の材料に成りかねないのである。それだからこそ「驚いた」。
    私の生息する地方都市の片隅ではいざ知らず、オリンピックの話は首都圏辺りでは「決まったぜホイ、後は儲け話に花を咲かそうや」みたいな有り様であったのではなかろうか。ああそれなのにそれなのに、驚いたことに。
    ことほどさような「決定権」「決定を覆す権力」をこの人物が持っていようとは私の想像の外のことであった。...
    そうであるならば、今からでも遅くないこの人物のヒトコトで「戦争法案決議」を覆してはどうかと考えるのは愚かな私だけの夢想であろうか。

2015年7月16日木曜日

備忘のために

我が母は、この世とあの世の境目に居るのだと医者の説明を聞いて後に帰宅すれば、閉め切っていた家の中はムッーとした空気が充満している。外は台風の風が雨粒混じりに吹き荒れていた。エイヤッ!と窓という窓を開け放せば一陣の風と共に、卓上の紙類(メモ類)が吹き飛ばされた。言葉や紙やSNSなどに構っていれば一陣の風にさえ抗(あらが)えぬものなのだな。

今日、言うところの「戦争法案」が国会(衆院)で可決された。首相のいう「我軍」から死者がでることだろうと考えた(その数倍の他国人を殺しながら)。
国会の定席で、彼は戦争法案反対討論を聞きながら「退屈そうな素振り」でいた。(テレビジョン(NHK)で私はそれを見た)

これこそが「民主主義」と彼は言う。

2015年7月14日火曜日

室温35℃越と性のグラデーション

    今どんな気持ち?外出するために家の窓という窓を閉めた。数時間後帰宅すれば室温は35℃を超えていた。25℃でさえ冷静でない私は狂っているみたいだ。この前「なでしこ」を肴にして「オトコ」を揶揄して投稿した。
    後に反省した。そもそも「オトコ・オンナ」を基準としての論は巷に溢れている。「オトコ・オンナ」は商売になるのだ。例えればテレビのドラマ然り。
    しかし「男女」の境界は限りないグラデーションにあるこの事を論じるべきであった。反省。
    それはそれとして。政府(自民・公明)は戦争法案を成立させると報道されている。この法案のために「内閣支持率」(公明も内閣の一員)は下がり、「不支持」が多数だと報道されている。法の成立有り無しはどうやら「沽券(コケン)に関わる 」問題に成りつつあるらしい。
    家庭内権力も然りであるがこんなゴリ押し件時にはオヤジは「股間にカカワル事也」と狂犬を発動しがちだな。オヤジのそのあとミジメなありさま。

2015年7月13日月曜日

『お知らせ』が届いていた

昨晩、犬との散歩から帰宅してみればこの「お知らせ」がポストに入っていた。仏式であるならば「50年」は節目だっただろうけれど、「20年」前にこんな催しがあったという記憶はない。だから「何で70年で?」と思った事だ。
これは、このクニの隅々にまで張り巡らされてきた組織とシンボル、「在郷軍人会、遺族会、寺、町内会、忠魂碑、国歌、国旗」。これら「国民動員」のための仕掛けが次々に動き出したということなんだろう。
それにしても「お寺(真言宗)の行事じぁ」創価学会員は参加しにくかろうと老婆心ながら思ったことだ(そうでもないのかな)。
ちなみに、この村の忠魂碑は1930年代に建られたという事だ。そうしてみれば、建てて15年を経て1945年に至りやっと?その中に祀る人々を得たということなんだろうか。
さて今から15年後、2030年には新たに祀る人々を忠魂碑は得ているであろうか。

久しぶりにスキャナーを動かしてみた。

2015年7月3日金曜日

なでしこ

クニの境を越えてヒトや物が大量に移動している現代社会。『グローバル』なんて言っていたけれど、最近トンと聞かないのはなぜか。私の思うに「政府が一つ覚えのように繰り返しているー国際情勢の緊迫化」と「グローバルな経済社会」このふたつが上手く噛み合って説明できないからではなかろうか。ことほどさように、時代の表面に浮かぶ言説はあぶくのようなものらしい。さてオトコのはびこる「政界」では国境の壁は高くそびえて見えるらしいがオンナの活躍する「スポーツ」では軽々と国境を超えて大活躍だ、『なでしこ』。聞く所によれば、彼女たちはアルバイトで生計を立てている者もいるという。少しく国内で有名になると外国製のスポーツカーを乗り回したりするが、そのくせ外国に行けばサッパリ歯の立たない者ども「オトコ」の選手もどこをどうとは言えないけれど見習ったらどうか。国境を越えて我々はどう活躍できるのか、ここにひとつのヒントがあるように思われる。

タダ

    大切なものに我々は金を払った記憶はない。絶え間なく吸う空気、互いを思いやる愛情。それはそれとして。さて、この世の沙汰はカネ次第らしい。広告収入を断ってしまえば「新聞は死ぬ」と信じている議員(国会)が現れた。どうしてなのか?言われた新聞からの「新聞は広告(金)だけで生きているわけではありません」との反論がない。私は「赤旗」・「毎日」を購読しているけれど(読者として)毎月少なくないお金を払っている。新聞が「広告だけ」で成り立っているとすれば私のこの少なくない出費は何だったんだろうか。新聞には「広告なんていらねーや、書いて配って。それで、読んでもらったヒトから金を貰ってやってゆく」みたいな「赤旗」みたいな矜恃はないものか。