2017年12月12日火曜日

そういえば今日は

むさぼりて餌を食うネコの息白し、そういえば、今日は大日本帝国没落記念日、12月8日。

 若ネコをギュウと名付けた、乳牛の模様を付けて生まれし故なり、このネコ、敵襲には身軽に応戦す。逃げ足早ければなり。



我が飼い猫を脅す無頼ネコの模様は西洋の囚人服に似ているとぞ思う、後ろ姿は足長く惚れ惚れとするアスリートなり。

2017年11月6日月曜日

「万札の数を厚みで計るやつ」

「万札の数を厚みで計るやつ」
テレビを点ければそんな輩の話題しか無いのだろうと此処数日テレビは見ていない。

2017年10月4日水曜日

損か得かの混迷

この政治の混迷を解くキーワードは何か「損か得か」だ。(敬称略でいく)安倍は今解散すれば「得」と判断して理由なく解散した。途端に「選挙」での審判に晒されれば「損」と或る政党がみごとに分解した。わが岡山では「希望」の踏み絵を踏んだにもかかわらず「公認」を蹴られた元議員は「立憲民政党」でお願いしますと言っている。そんな有様。我々庶民が「得か損か」レベルではない選ばれし「選良」までもが、「得か損か」だけで自らの矜持までも投げ出しているこの有様。この社会は見た目以上に「病んで」いるのではなかろうか。と、ここまで書いて「エー~得か損かで決めるヒトいるの?」の声が聞こえる。私の「答え」のひとつは「共産党はどうなんだ」だ。政党助成金を一銭も受け取らず、自前で政党として在るこの有様をどう説明するか。

2017年7月7日金曜日

「線状降水帯」

先祖伝来の土地に。あるいは、新たな暮らしをこの土地で。そんなヒトビトの暮らしが「線状降水帯」襲来によって一瞬のうちに失われている。「帰る家もない・何もかも無くなってしまいました」というヒトビトを救う事は優れて「政治」の他に成し得ないだろう。換言すれば「税」の持つ基本的機能すなわち「所得移転の機能」が働くかどうか。現政権の能力が問われている。

2017年7月5日水曜日

20170705

セミが鳴き始めた。今年はコレが初聞なりかと思う。

2017年5月31日水曜日

フェイクニュース

アメリカ大統領、トランプに指摘されるまでもない、フェイクニュースは存在する。今までも、そして、これからも。私は「フェイクニュース」かもしれない放送をSNSで金を払って見ることがある。これはひどいなと思えば課金をキャンセルして来た。NHKの問題の核心は我々の流す情報は「フェイク」ではありません!としていることだろう。「あなたは受像機をお持ちだ故に課金する」という論理を貫くならば「フェイク」ではない証明をすべての視聴者に証明し続ける事が必要だけれども、それは不可能だろう。

2017年5月17日水曜日

20170517の記録

朝、新聞(毎日)をひろげてみれば。いや、ひろげる必要もなく一面に「皇室」関係の娘が婚約したとの記事。しばらくしてテレビを点ければご同様のニュース。朝飯の出来た頃に、起き出してきたつれあいに「あんたと良く似た名前のヒトが婚約したらしいで」と教えてやった。すると「婚約や結婚」が必ずしも「幸せになる」と同じではないと知っている彼女はつめたいものだ、何の感慨もなく「あんたと一文字違いのヒトがいるけど~」と言う。私の名前は「アキヒコ」だけれど?

2017年4月13日木曜日

ツバメつづき

今朝の事だ目を覚ませば日差しもあり風もある。こんな日は大きめのモノを洗濯しようと思い立った。万年床からシーツを引剥しバタバタしていると斜めに差し込む光にホコリが舞っているを見る。網戸を開け放せば風に乗ってサ~と流れ出るだろうと考えた。それはそれとして、開けた途端にツバメが二羽飛び込んできた。バタバタと騒がしい、こんなつもりじゃあなかったというように慌てたようすだ。こんなつもりじゃあなかったのは私も同じ、お互い様だ。思うに網戸は外から見れば壁と同じなんだろう。一面の壁にポッカリ空いた新たな空間。内に居ればタダの虫除けの網なんだが。

2017年4月12日水曜日

[昨日、ということは2017年4月10日。ツバメを初見す。]

    [昨日、ということは2017年4月10日。ツバメを初見す。]

      つい先日、ツバメを見たと報告したばかりだが、今日は空き家だった我が家の軒下の巣に収まっているいるのを見た。まるで居抜きの店で居酒屋を始めた店主のような風情だ。チャッチャとした仕事の速さに驚く。してみるとパートナーは既に移動中の南海上で決めていたものとおもわれた。家がどうの、親はどうのなんてヒトみたいに思い煩うヒマはなかっただろう。夏来たりなば即ち夏去る。のであるから、このひと夏の婚姻とその奮闘ぶりをジイさんは応援しよう。ツバメはヒトのごとくに言い訳なんて考えるヒマなんか無いに違いない。

2017年4月7日金曜日

シジュウカラ(四十雀)

しばらく前から「ツーピー・ツーピー」と鳴く鳥が家の周りで徘徊している。さて?どんな鳥だろうと思っていた。すると今日はずいぶん近くで鳴いている。そ~っと窓辺に近づいて見てみた。こんな鳥
頬が白いから「ホオジロ」かと検索してみたら鳴き声が違う。「シジュウカラ」(四十雀)だって。
考えてみれば、こうして鳴き声の主をあばく事は無粋のきわみなのかもしれない。目を閉じて部屋の片隅でさまざまの鳥の声を聞いているとまるで空いちめんに音の粒が弾けているようではないか。

2017年4月5日水曜日

花弁の重み

みのるほどこうべをたれるいなほかな。(実るほど頭を垂れる稲穂かな)という私にピッタリの戒めがある。ところがサクラの木もそうであるようだと発見した。昨日のことだ、日付の変わる頃に犬を連れていつもの散歩コースを歩いた。この時間、南の空には夏の星座「さそり座」が登っているぞ。犬どもは星も花も観ることなく、ひたすらサクラの根本に臭いを嗅ぎに行く。仕方なく付いてゆく私の目の高さにサクラの枝があって危ないのだ。花芽が膨らむ以前はこうではなかった。風吹けば散る些細なもの、サクラの花弁も数を集めればそれなりの重みがあるものだ。と思ったことだ。

2017年4月2日日曜日

さくらカーニバル

昨日、土曜日のことだ。岡山城辺りの旭川東岸を南下した。さくらカーニバルの時期だから混雑を予想したが、エイ、ママよと車を乗り入れた。まだ水溜りの残る河川敷には数組のグループがシートを敷いて飲み食いしていた。懸念は外れてガラガラだった。それでも河川敷には肉を焼く匂いが濃く立ちこめている。オオ懐えば、花見に焼き肉なんて習慣は最近の流行りだな。思うに密封度と清潔度が優先されるこの頃の住宅では魚を焼くことさえしないというではないか。サクラ開花にかこつけて自粛・自制していた煙を上げるという野生、野蛮を皆さんは楽しんでいるのだろう。少し離れての土手には肩を並べてカップルが弁当を使っているを観る。まだ若いその二人にはサクラも咲かない肌寒い今日の日の弁当がふたりの記念になる事だってあろうではないか。幸運に恵まれて幸(サチ)ありますように。

2017年1月21日土曜日

干し魚を作るにはちょうど良い季節

寒風吹きすさぶ外は天然の乾風機付きの冷蔵庫だ。サンマやアジやサバを仕入れて塩をして干網にいれて、物干し竿の先にくくりつけて高く掲げた。
時折ミゾレのようなモノも降ってくるが気にはしない。
半日おいておいてさて出来たかと見れば、物干台ごと倒れていた。
戸外の乾風機は強力過ぎることを学んだことだ。

夜半二時過ぎて散歩に出れば東の空には月が。