2016年7月23日土曜日

電動車いす

電動車いすの事故がニュースになっている。この物は非常に危ないものだ。特に自転車やバイク(カブ)を運転した経験がある者にとっては非常に危険だ。自転車もバイクもハンドルのレバーを引く(握る)事によってブレーキが作動して止まるようになっている。ところが電動車いすはレバーを放すことによってブレーキが効く仕組みだ。レバーを握れば発進する。これは車のハンドルを左に切ったら右に曲がるようなものなのだ。私はずっと前に用水路に突っ込むように落ちた電動の車いすを引き上げたことがある。幸い命に別状はなかったが引き上げたそれを動かして最近までカブに乗っていた運転者を思いこの欠陥を知った。危ない仕掛けだと思っていたがここにきてその危なさがニュースになった。
これからますます自転車・バイクの運転経験者が電動車椅子に乗り換えるケースが増えてくるだろう。危ないぞ。

2016年7月18日月曜日

退位と打ったら体位と出る

天皇の退位の事で聞き耳を立てていたら、日本国憲法の一条から八条までは「天皇」に関する条文だ。と聞こえてきた。私の頭に「日本国憲法」は入っていないから、検索して読んでみると指摘のとおりだった。最高法からの扱いとして「日本の天皇制」はなににもまして解決すべき事だったんだな。そう思ったことだ。それにしても今回の退位報道は軽すぎないか。七十年前に良くも悪くも我々が真剣に向き合った課題(天皇制)をかように軽くとりあっかって良いものであろうか。

2016年7月16日土曜日

トルコでクーデター

トルコでのクーデターは鎮圧されたようだ。国を守るために組織された武器と兵士が時として自国の政府と市民に牙をむくこの事の危険は他山の石としてこのクニでも論議されてしかるべきだろうと考えた。
世界史の視点から見れば軍によるクーデターは珍しいことではないのであるから。

2016年7月15日金曜日

ゴキブリ放い放い

昨日、晩飯を作ろうとした時のこと。鍋を入れているシンク下の引き出しを開けると「ゴキブリ」が鍋の横でチョロチョロしている。急なことで突然明るくなったのであわてているみたいだ。そこで何をしようとしていたかは想像がつく。しかし、冤罪ということもあろうじゃないか、さっそく御用となして取り調べを急がねばならん。と捕獲にかかると逃げ足は早い、ゴキ一族が支持率ゼロポイントにもかかわらずはびこっているのはこの特技のせいなのだろう。
好事魔多し、天網恢々疎にして漏らさず、というかゴキにとって運の悪いことに勢いよく逃げ込んだ場所が「ゴキブリホイホイ」だった。
閻魔も眉をひそめる程の悪食の私でさえいらぬ殺生は避けたいものだ。スリッパみたいな定番の武器を振り回すことなくすみそうだ。と思った途端、ゴキは入った所の反対のところ(出口?)から勢いよく走り出てきた。???
ただひとつの存在意義を失した者の名をここに記して猛省をうながすものだ。「アース製薬・ゴキブリホイホイ」と。

追伸
後刻、帰宅したつれあいに顛末を話した。つれあいは食器を洗う手を止めて、ホイホイの粘着部分を突いて「ホラ。古くなっているからクッツカない。」と簡単に言う。しかし、それは彼女の指先が濡れているせいなのだ。何を言うか「これを見ろ」と我が指で突けばネバネバしている。いずれにせよホイホイはゴミ箱行となった。世の真実はそれほど検証不可能なのだ。

2016年7月13日水曜日

共産党のこと

    共産党は変わった。その昔「共産党を除く」といじめられていた事は記憶に新しい。その後は長く「独自の戦い」を孤独に戦って今に至った。それから今回の変化。冷静に見れば、自民党も公明党も昔の名前で出ていますだけれど中身は変わってしまっている。共産党も昔の老舗の名前で出てますだけれど変わっているはず。その変化を歴戦を支えてきたオールドファンが理解できるかどうか。むしろその辺りにこの試みの成否があるような気がしている。

町内会考

 180戸ほどの衰退しつつある集落に住んでいる。
もっとも衰退はこのクニの伝統的集落においては珍しい事ではなかろう。
伝統的集落に於いては地縁はもとより血縁関係もまたまとまりの要素となっている。
株って言葉、同じ名字の集まりに使う(株うち)、
この言葉、証券の株以外につかうことはこれぐらいしかないのではないか。
地縁血縁を共にすれば寺の檀家、お宮の氏子も同じ枠の中に入っている。
するとどうなるのか。町内会費とともにに寺の維持費と氏子費とついでに消防(団)費を集めるのである。月に均せば千円ほどになる。バカにならない額である。
集める手間から考えればこのシステムは合理的だ。
しかし、この強固に見える町内会システムには重大な欠陥がある。参加単位が「家」であることなのだ。

存立の単位が失われている。
町内会のどんな决定もイエ単位でしか行えない。このルールは成立の経緯からそれ以外にはありえないだろう。
兄弟姉妹が親の遺産をめぐって争う時代にイエはもうないのであるまいか。

舛添 ローカルニュース

何ヶ月こんなことやってるんだ?!舛添劇場から始まって東京のことは少々食傷気味だ。私が岡山ではなく東京に暮らしていたら話はまた別なんだろうが。テレビなどは露骨に東京の話題ばかりだ。「雨が降ってきました、鬱陶しいですね」と、東京でやっている。「その雨こっち(岡山)ではもうやんだんですけど。」東京のローカルニュースに付き合わされているこっちの身にもなって欲しいものだ。とここまで考えて、あっ!そうかテレビを見なければいいんだと気づいた。

2016年7月12日火曜日

2016.7.12朝

参院選の結果を見て思うところがあった。有権者と言われているけれども。実は我々は授権者なのではないのか。
権力者のおこぼれを頂戴することの授権者。
選挙っての授権者の権利?を行使しているだけなのではないのか。
日々の暮らしを成り立たして往くためにはおこぼれを期待する他はない我々の現実を抱えて。
「あなたの日々の安寧を捨ててあなたや子供の未来の安寧を選択しなさい」それはまた違った領域での話になるのであろうか。。

2016年7月10日日曜日

今日はレンタルビデオ屋が

久しぶりに濡れていない新聞が届いた。テレビ欄を見れば、クニを味方につけて視聴料を無理やり課金するN放送を筆頭に右へならえで「開票速報」番組が並んでいる。今日はレンタルビデオ屋が忙しいだろうと想像した。テレビ局なんて本音はCMだけ流したいのだろう。頭から尻尾までCMのような番組だってあるじゃないか。

それはそれとして、アメリカで警察官が狙撃されたニュースが気になっている。これは内乱の始まりではなかろうか。一般社会の警察力は良くも悪くも圧倒的な破壊力・制圧力を見せつけることで社会に認められている(認めさせる)存在なのだ。やったりやられたりしてはいけないのである。そうだから力の行使に当たっては自らに被害の及ばぬよう万全の準備をして臨むものだからである。

2016年7月6日水曜日

この温気に

やせ我慢なんだが、わが個室にはクーラーなるものはない。扇風機と睨めっこして数日過ごしたが、ついに難民となる選択をした。クーラーの稼働しつつあるつれあいの部屋の片隅に移動した。部屋というものは隅々まで冷気が充満しているもと部屋の片隅で思ったことだ。今朝のこと、部屋主から苦情がきた「メガネの置き場どうにかならんの!踏みそうになったじゃない!」どうやら敵はわがメガネの安否より足裏の安全が大切らしいと思ったことだ。

2016年7月3日日曜日

視点・論点のこと

NHKの視点・論点という15分番組をまるで新聞の切り抜きをするようにビデオレコーダーに貯めている。そして、まとめて視る。この番組はチョットした話題をチョットした訳知りが短時間でわかりやすく教授しようという企画である。だからなのか出演者は大学のセンセイが多い。テレビで喋りなれていないセンセイ方の緊張ぶりが初初しい。
この番組はたいがい前置きなしに喋り始めるが、私は前置きが長くなった。言いたいことを言っておこう。この先生達の男女比率が男10、女1。なのだ。これでは「男の視点・男の論点」と変えた方がいい。と思う。

2016年6月30日木曜日

インテリ芸能人はただの物知りか

テレビを見ていると、インテリ芸能人枠というものが存在しつつあることに気づく。お馬鹿キャラ対インテリ軍団対決クイズ番組なるものが視聴率を稼いでいるみたいだ。言わずと知れた安倍総理。彼はインテリ枠には望んでも入ることは叶わななかったからおバカキャラ枠で活躍しているみたいだ。それはそれで人気はあるわけだ。いや、むしろ「芸能人なるものの本質」はお馬鹿ぶりを楽しませるところにあるのであるから彼は望んでもいなかった「おバカキャラ」を期せずして手に入れたということだろう。私は、このことの危うさを危惧している。

2016年6月29日水曜日

雨漏りにて

こう、連日雨に降られると雨漏りの無い家、サッシ窓を閉めると雨粒の入らない家、そんな家に住む事のできる巡り合わせにつくづく感謝している。その昔、屋根地に赤土を載せて平瓦と丸瓦を組み合わせた屋根はたいてい雨漏りがした。風雨強き時は雨戸を閉める(たてると言っていた)ことのほか雨粒の侵入を防ぐ術は無かった。たかが半世紀前の話だ。私の好む漱石の作品。百年ほど前に書かれた「硝子戸の中」(ガラスドノナカ)という作品は当時は珍しかったガラス戸という言葉で読者をそそったものと考えた。付け加えるとこのガラスをささえるのは木製の枠だった。この半世紀、この百年変わったのは住環境だけではないもっと変化したのは社会制度だろう。イギリスが~という選択をしたのは投票という制度の上だった。有権者一人一票、当たり前のこの概念だってそんな昔に発明されたものではない。(EU諸国はこの選択方法に異議はない)それに引き換え、今だに身近な町内会では「家、単位で一票」のこのクニもあるではないか。こうしてみれば民主主義制度そのものも変化しつつあるのではなかろうか。民主主義の危うさを躊躇(ちゅうちょ)せずこの変化、この矛盾の危うさに個人として一票を入れたい。

2016年6月25日土曜日

2016.6.25のたわむれ

    この温気(うんき)にあてられたものか、歳九十のおふくろが茶漬けしか食わなくなった。「お刺身がおいしかったって」とつれあいが言ってたな。
    さらばとて車を出しスーパーに刺し身材を買いに行った。道すがらの選挙ポスターに「この道を行く」のキャッチコピーを見る。言わずと知れた安倍(自民党党首)の絵に添えられたそれを。連想してこれを思い起こした。
    https://www.youtube.com/watch?v=VlXjwtWF2oU
    作詞・北原白秋。(大して意味のない言葉を心地よく聴かせることにかけては天才的コピーライターの元祖。)
    うろ覚えながら車中にて私も唱う。「この道はいつか来た道~ああそうだよ~桜の花が咲いてる~菊の花も植わっている~この道はそうだよ~破滅への道だよ~」
    二番「この道はいつか来た道~ああそうだよ~サクラ花は散りいそぎ~キクの花は海に沈んだまま~ああそうだよゥ~」

2016年6月4日土曜日

2016.6.4朝

    昨夜、犬の散歩、星空がきれいに見えた。あまつさえホタルをも見た。
    少し眠って朝方4時前、目が覚める。聞くとも無く耳に漁船のエンジン音が聞こえて来る。「ブーン」、ヂーゼルエンジン4気筒だなと思った。同じ時間、50年の昔の中学生だった頃、出漁する船の音は「ポンポンぽんぽん」焼玉エンジンだったな。と寝床で考えた。
    ヒトビトの暮らしの道具は変化しても漁を求めるヒトの暮らしは変わらない。

2016年2月4日木曜日

2016.2.4日。このクニの報道

「清原」が覚醒剤使用で逮捕。されたという報道がマスコミを席巻している。自宅からの連行。彼の供述模様。が即時に報道されている。清原氏はあくまで容疑者であるからこのような「逮捕事実確定」の報道はいかがなものか。いや有ってはならない。と思う。「糖尿病を患っています」の彼の供述報道に至ってはオイオイこれは何??清原氏にはプライバシーなるものはないの?と思った。負のイメージ「糖尿病」「覚せい剤」「禁止薬物」「落ちこぼれ」等々。容疑者に浴びせられる言葉に際限はない。このクニのマスコミの言う所の「正義」って危ういと思ったことだ。

2016年2月3日水曜日

2016.2.3赤旗

2016.2.3.7.15記。赤旗
凍てつく朝の路面にもかかわらず配達された今朝の赤旗一面におどろいた。そして感動した。「口利き、ってこれだ」「少しイロを付けて・事務所の顔立てて」「甘利疑惑」「URが面談の一部公開」。これではまるで週刊誌の見出しではないかと思い、そして後に。この見出しこそがマスコミだと感動した。読者が知りたがっていること。今ここで知るべき事は何か。を報道している。小泉に習って「感動した!!」と記述しよう。
ひるがえって、「毎日」の一面を見れば「民主クリントン氏哄笑」いや間違い「民主クリントン氏辛勝」だ。これはこのクニに住まいする者達の望んで知りたい情報なんだろうか。このクニが五十何番目かの属国ならばいざしらず。だが、それでいいのか。付け加えれば。
民主主義の貧しいクニは多くある。それを指摘し憂う前に「毎日」は自らを憂いた方が良いのではなかろうか。少なくとも2016.2.3.付毎日新聞の一面は眠っていた。

2016年1月19日火曜日

ヒヨドリ



年中近くの山で騒いでいる「カラス」ども、尾羽根をヒラヒラとバランスさせて高くひくく滑空してみせる「トビ」たち(私の地域ではトンビと言う)はそれとして、2月になればいろんな鳥を目にするようになる。なにやらけたたましく啼く声で窓を開けると今年もヒヨドリが来ていた。
どこで聞いたものやら、はたまた独りよがりの思い込みからか、ずっとこう思い込んでいた「山に食うものが無くなるから里に降りてくるんだ」と。あまつさえ、それを吹聴していた記憶もある。

ヒヨドリを検索してみると渡り鳥らしい。近くの山に住んでいるものとばかり思っていた。思い込みとはこういうもので、ヒトの認識の大半は思い込みで出来ていると思った方がイイみたいだ。
じっさい、数百メートル離れた山に暮らし、食い物が乏しくなると里に降りてくるなんて視野の狭い定住者の考えつきそうなことだよな。
私にヒヨドリの鳴き声の意味が聞き取れないのはもしかして異国の言葉だからなのかもしれない。

これが鳴き声のぬし
こんな感じ

違う電線にももう一羽いる



 
これは鳴いている。恋の季節なのか


こうなるとネコも忙しくなる。

2015年12月1日火曜日

ソウルフード

大正末年1925年生まれのおふくろは岡山市の街場育ちだったからお好み焼きのルーツ「ねぎ焼き」を一銭洋食という名前とともに懐かしがる。ねぎ焼きの味付けは醤油だ。
私の子供の頃1960年ごろにはあのお好みソースが開発されていて子供は卵をひとつ掌に入れて近所のお好み焼屋に駆け込んで豚玉を焼いてもらっていた。
今から思えば、一銭洋食を食っていたくせに、私にはそんなお好み焼き食いを禁止していた彼女の子育てって矛盾しているよな。

2015年11月9日月曜日

偽装の夫婦のこと

「偽装の夫婦」というテレビドラマにハマっている。今時のはやりの言葉で表せば「キターッ」ってところか。天海祐希いいな。このドラマはホモセクシャルを手がかりとして紆余曲折の末「夫婦って」すばらしいと結論付けるらしい。それはそれで文句はないエンタテイメントだ、楽しみのための物語だからな。私にしてもなんとか我が「夫婦」を維持しようとココロを砕いている日常なのだから、カンタンに「夫婦?ヤメときなハレ」と結論付けられると困るところに人生はある。それはそれとして、天海祐希がいい。五話の最後の3分を見て欲しい。カメラワークも良いけどそれを超えてその要請に応える彼女の表情の七変化。感想、表明、内証、変化、表明、さらなる表明、驚き、失望、鎮静。検索してみれば、歳五十になるという彼女は凡百の俳優を超えて怪優に変身しつつあるのではなかろうか。若者たちには非情と聞こえるかもしれないが、豊かな資質と才能を持って出発したとしても、研鑽を積むことによってしか得られぬ物もあろうではなかろうかと思ったことだ。「キターッ」と関係の者も思っているのではないかしら。