「新聞」を配達してもらっている。私は活字依存症なので、一ヶ月、三千円の値を「高い」とは思わない。これまた依存症のタバコ「一箱、四百四十円」に比すれば安いのではなかろうか。
コンビニに買いにゆく「新聞」に比べて配達されるものは何が違うか。「チラシ」が折り込まれているのだ。それを読む楽しみ、比較して読む楽しみが、私の中にあることに気づいている。
今朝のことだ、めずらしく、チラシを見ていた「つれあい」は「安いなー」と感心している。ことほどさように、この女史は世事に疎い。(昨日買ったバナナ一本の値は十円でっせ)
三つ四つのチラシを比べて「どうしてこんな値段で?」と感心しきりである。スーパー業界の苛烈な競争の事はさておいて、私は「どんなに安かろうが、買う原資、つまり、お金を持っていなければ、高い安いは関係ないわけで。その事こそ問題になるのじゃーないか」と水を持っていくと、「この空弁、駅弁、美味しそー」と興味はまた別のところにあるのである。
「日本文学史序説」は二百頁まで読み進んだ。遅々として進まない。しかし時として「読むことの喜び」がある。
追伸
翌日、つれあいは、駅弁をふたつ抱えて帰宅した。彼女のココロの中で膨張し殺到しているはずの「売り場」は虫眼鏡で探さねばならぬほど「ちっチャ!」なものだったらしい。その話を肴に駅弁をいただいた。「感想」は?と聞かれれば「駅弁」は汽車の中で食うものでしょう。と答える他ない。
2012年11月23日金曜日
2012年11月7日水曜日
日本文学史序説
本をコレクションする虚しさに気づいて、買う事を控えていたけれど、『日本文学史序説』加藤周一 筑摩書房。を買った。
彼は数年前に没したけれど、残したものは挑戦的である。書き写してみよう。
「中国人は普遍的な原理から出発して具体的な場合に至り、先ず全体をとって部分を包もうとする。日本人は具体的な場面に執してその特殊性を重んじ、部分から始めて全体に至ろうとする。」13ページ。
コレを読んで「オウそうなんだ」と納得するヒトはいないと思う。そういった意味でまず挑戦的なんだな。
読み進んで、機会があれば感想を述べてみたい。
2012年11月1日木曜日
警部補に捕まった
信号のない交差点をなにげなく右折した私の乗るカブ90。物陰から熱い視線で見ている人物が『警部補』だったみたい。彼の操る白バイにわけもなく止められて「交通反則告知書」を渡された。
青色の「切符」と呼ばれる紙を仔細に見てみれば、「巡査・巡査部長・警部補・警部」の「警部補」のところに丸をしてある。
6千円の反則金の理由は「指定場所一時不停止」ということだった。警部補の言うことには「あんたはブレーキを掛けたけど止まらなかったよ」。言われてみればその通りなので文句はない。
「法」は解釈と運用で姿を現す。
別れ際、警部補に「気をつけて運転してな」と諭(さと)されて、「ご苦労さん」と答えたけれど、心のなかで「いろんな意味でそうするよ」と答えていた。
追伸
インターネットで警察官の「階級」を調べた。「警部補」は下から三番目の位であった。テレビの「捕物」好きのつれあいはこんな事知りはしまい。捕物画面に夢中の彼女に「この刑事は巡査かもしれないし、警部補かもしれないぞ。そもそも、刑事と言う呼び名は所属する部署に由来する、たとえば~」すると、家の部長刑事は「ウルサイ!それで罰金、もう払うたんかな?」私が払うのは罰金じゃなくて反則金なんだけどな~。
青色の「切符」と呼ばれる紙を仔細に見てみれば、「巡査・巡査部長・警部補・警部」の「警部補」のところに丸をしてある。
6千円の反則金の理由は「指定場所一時不停止」ということだった。警部補の言うことには「あんたはブレーキを掛けたけど止まらなかったよ」。言われてみればその通りなので文句はない。
「法」は解釈と運用で姿を現す。
別れ際、警部補に「気をつけて運転してな」と諭(さと)されて、「ご苦労さん」と答えたけれど、心のなかで「いろんな意味でそうするよ」と答えていた。
追伸
インターネットで警察官の「階級」を調べた。「警部補」は下から三番目の位であった。テレビの「捕物」好きのつれあいはこんな事知りはしまい。捕物画面に夢中の彼女に「この刑事は巡査かもしれないし、警部補かもしれないぞ。そもそも、刑事と言う呼び名は所属する部署に由来する、たとえば~」すると、家の部長刑事は「ウルサイ!それで罰金、もう払うたんかな?」私が払うのは罰金じゃなくて反則金なんだけどな~。
ゴキブリ
仮住まいして、もう五ヶ月経った、人生を五十年とすれば百分の一の時間を此処で過ごすことになった。行き当たりばったりで暮らしてきたからそれはそれで不満はない。
人の住む匂いを嗅ぎつけたものだろう、ゴキブリが徘徊し始めた。次にネズミが来て、イタチも来るのであろう。
「ゴキブリホイホイ」を仕掛けた。もう十日になるか、捕まらない。借家の中の借家みたいなものに住もうとはしない。
借家業は、不況と聞くけれどそうなんだろうな。
人の住む匂いを嗅ぎつけたものだろう、ゴキブリが徘徊し始めた。次にネズミが来て、イタチも来るのであろう。
「ゴキブリホイホイ」を仕掛けた。もう十日になるか、捕まらない。借家の中の借家みたいなものに住もうとはしない。
借家業は、不況と聞くけれどそうなんだろうな。
2012年10月30日火曜日
双六に似て
ご近所が引越しした。小さな貸家から家財道具が出てくるは出てくるわ。それは、まるで手品を見ているようだった。半月を掛けて引越し作業は続いた。仮住まいの私も荷物を増やさぬ様にしなければならないと心底思ったことだ。
2012年10月26日金曜日
古典文学 体系
身近の本を燃やしたり水を浴びせたりして無残な事になって、エイッとすべて始末してしまった。こうなってみれば手持ち無沙汰。叔母の家に「岩波・古典文学体系」が有るのを幸いこれをつまみ食いするように読んでいる。
残念なことに、私には古典(古文)の素養は無い。
しかし、「読みにくい」「解りにくい」と投げ出すには惜しいシロモノだった。読んでみるとこれが面白い。
最初に読んだのは『竹取物語・伊勢物語・大和物語』。感想を述べれば、「竹取物語」には「構造」が有る。「伊勢・大和」には構造がない。ということだろうか。このふたつが共にこのク二で読み継がれ語り継がれた事。不思議だな~。
と、ここまで書いたらッ!エクスプローラーに「接続出来ません」と表示された。このUSBの親玉を提供している接続業者にはウンザリしている。永久に無線は有線に劣るのではないか。
さて、気を取り直して書きつごう。
次に『方丈記・徒然草』を読んだ。「方丈記」はあまりの名調子に読む気力が失せて中断。「徒然草」は頭からシッポまで読んだ。実は今朝方読み終えたところだ。これは、このクニの「随筆」の代表とされているらしい。それにしても「メモ」みたいなものもあり。「戒め」みたいなものあり。で統一性は無い。強いて言えば、仏教の教えを基調としているところは統一されているということだろうか。『徒然草』を読んで、一番おもしろいと思ったところは「解説」部分。これを「西尾實」という人物が書いている。面白いと思う部分を書き写す。
「なお、つれづれ草に関する研究書および研究論文は、極めて多く発表されているが、文学としてのつれづれ草の研究史の上で注目されるのは、次の数篇であると思われる。」
として八篇の論文を挙げている。驚いたことにその内のふたつは「西尾實」氏の書いた論文だ。
こうした愚かな自己肯定。それを宥す環境。権威主義。我々がいろんな所で行き詰まっているのは、この辺りに原因があるのではなかろうかと思ったことだ。
「徒然草」と並行して明治二〇年代に書かれた『五重塔』幸田露伴(日本文学全集・新潮社)も読んだ。これは「講談」だな。所々に、優れた比喩表現が有ることを発見した。これが新し文学の芽吹きなのか?
まだまだ、この古典への旅は続けたいと思っている。次は「近松」「西鶴」辺りを覗いてみようか。
いずれにせよ、「読まれる」事よりも、「語られる」事を前提とした文学が、このクニに連綿として続いて来た。という私の認識にそうクルイはなかろう。
と書いて、我が認識を覆す何かを探しているオノレに出会う。
残念なことに、私には古典(古文)の素養は無い。
しかし、「読みにくい」「解りにくい」と投げ出すには惜しいシロモノだった。読んでみるとこれが面白い。
最初に読んだのは『竹取物語・伊勢物語・大和物語』。感想を述べれば、「竹取物語」には「構造」が有る。「伊勢・大和」には構造がない。ということだろうか。このふたつが共にこのク二で読み継がれ語り継がれた事。不思議だな~。
と、ここまで書いたらッ!エクスプローラーに「接続出来ません」と表示された。このUSBの親玉を提供している接続業者にはウンザリしている。永久に無線は有線に劣るのではないか。
さて、気を取り直して書きつごう。
次に『方丈記・徒然草』を読んだ。「方丈記」はあまりの名調子に読む気力が失せて中断。「徒然草」は頭からシッポまで読んだ。実は今朝方読み終えたところだ。これは、このクニの「随筆」の代表とされているらしい。それにしても「メモ」みたいなものもあり。「戒め」みたいなものあり。で統一性は無い。強いて言えば、仏教の教えを基調としているところは統一されているということだろうか。『徒然草』を読んで、一番おもしろいと思ったところは「解説」部分。これを「西尾實」という人物が書いている。面白いと思う部分を書き写す。
「なお、つれづれ草に関する研究書および研究論文は、極めて多く発表されているが、文学としてのつれづれ草の研究史の上で注目されるのは、次の数篇であると思われる。」
として八篇の論文を挙げている。驚いたことにその内のふたつは「西尾實」氏の書いた論文だ。
こうした愚かな自己肯定。それを宥す環境。権威主義。我々がいろんな所で行き詰まっているのは、この辺りに原因があるのではなかろうかと思ったことだ。
「徒然草」と並行して明治二〇年代に書かれた『五重塔』幸田露伴(日本文学全集・新潮社)も読んだ。これは「講談」だな。所々に、優れた比喩表現が有ることを発見した。これが新し文学の芽吹きなのか?
まだまだ、この古典への旅は続けたいと思っている。次は「近松」「西鶴」辺りを覗いてみようか。
いずれにせよ、「読まれる」事よりも、「語られる」事を前提とした文学が、このクニに連綿として続いて来た。という私の認識にそうクルイはなかろう。
と書いて、我が認識を覆す何かを探しているオノレに出会う。
2012年10月22日月曜日
取り留めなしに
幹線道路の脇に仮住まいしている。信号待ちの車からはイロンナ物が投げ捨てられる。弁当ガラ、マクドナルドの空き袋、缶、ペットボトル。どれもツイ今し方までヒトが使用していた物ばかりだから、ヒト人類同士の親愛もあつて拾ってゴミとして出している(有料袋に入れて)。そんなに無いけれど「ガシャーン」という音とともに投げ捨てられた青色の瓶の欠片はそのママにしている。
ゴミのゆくえに想像力を及ばさない神経は、「原発の存続を許す神経」とそんなに違わないと思ったことだ。
それはそれとして、こんなゴミも棄てられていた。「企業名」ではなしに「此の国で作られた」が故の「品質」保証だということなのであろう。こんなタグまで付けなければならぬ程、外国製とミテクレの差が無くなっているのだろうと考えた。
実際、ホームセンターで買う外国製の物はひどいものが多かったのも事実だ。使い物ならないものを買ったこともあった。
特にネジ(ボルト・ナット、ビス)の精度の甘さは絶望~的だったな。ところがそんな物は淘汰?されたものか近頃はお目にかからないようになった。
「グローバル」という言葉が一時、流行った。この言葉を流行らせた意図は別として、本当の意味で国々の作る製品の差異は無くなって来つつあるのではないか。我が仮住まいにも外国製品は溢れている。
「犬は吠えても歴史は進む」と言う。その一例がこれだろう。
さて「物」から離れて「事」に目を向ければ、「このク二の品質」は「安心」の領域からはほど遠いのではないだろうか。こればかりは国境を越えて輸入するわけにはゆかない。
ゴミのゆくえに想像力を及ばさない神経は、「原発の存続を許す神経」とそんなに違わないと思ったことだ。
それはそれとして、こんなゴミも棄てられていた。「企業名」ではなしに「此の国で作られた」が故の「品質」保証だということなのであろう。こんなタグまで付けなければならぬ程、外国製とミテクレの差が無くなっているのだろうと考えた。
実際、ホームセンターで買う外国製の物はひどいものが多かったのも事実だ。使い物ならないものを買ったこともあった。
特にネジ(ボルト・ナット、ビス)の精度の甘さは絶望~的だったな。ところがそんな物は淘汰?されたものか近頃はお目にかからないようになった。
「グローバル」という言葉が一時、流行った。この言葉を流行らせた意図は別として、本当の意味で国々の作る製品の差異は無くなって来つつあるのではないか。我が仮住まいにも外国製品は溢れている。
「犬は吠えても歴史は進む」と言う。その一例がこれだろう。
さて「物」から離れて「事」に目を向ければ、「このク二の品質」は「安心」の領域からはほど遠いのではないだろうか。こればかりは国境を越えて輸入するわけにはゆかない。
2012年9月25日火曜日
オスプレイ飛んだ つづき
オスプレイ飛んだ つづき
こんな新聞記事を読んだ。9月24日の「赤旗」一面。赤旗は月3400円で他の新聞より高いけれどこんな記事が載るからやめられない。興味のある方は「ぽちっ」として読んでもらうとして、つまり「オスプレイ」の配備をこのクニは断れないということだ。アメリカとの「約束」でそうなっているらしい。アメリカがこのクニにどんな武器を持ち込もうと「是非は言いません」と約束しているのだから後は「唯々諾々(イイダクダク)」と従うしかないわけだ。
これって、「クニの主権」との関係でどうなんだろう。
2012年9月23日日曜日
オスプレイ飛んだ
オスプレイ飛んだ
と、書いたらこんな童謡を思い出した。
『しゃぼん玉
しゃぼん玉 飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた
しゃぼん玉 消えた
飛ばずに消えた
生まれてすぐに
こわれて消えた
風 風 吹くな
しゃぼん玉 飛ばそ
1922(大正11)
作詞 野口雨情・作曲 中山晋平』
しばらく、「しゃぼん玉」を「オスプレイ」に変えて歌ってみた。それだけのことだ。なぜそんな連想を私がしたかというと
『あなたへ』森沢明夫(幻冬舎文庫)を最近読んだせいだ。この同名の映画シナリオを小説仕立てにした本のなかで童謡「しゃぼん玉」が小道具として使われていたからだ。それだけのことである。
さて、オスプレイ。この国での飛行映像をテレビで見た。これはヘリコプターというよりも飛行機だなと思った。ヘリコプターのようにも飛ぶことのできる飛行機だ。推力はジェットエンジン。ジェットエンジンを吹かしてその熱風でプロペラを回す(ターボプロップ)エンジンだから映像を見ても離陸の時(着陸も同様だろう)地面に炎を吹きつけているように見えた。だからこれに乗り降りする昇降口は機体の後ろにある。横だと炎にあぶられたりプロペラに巻き込まれたりしかねない。いやその前にエンジンの炎を受け止める滑走路はアスファルトでは無理だしコンクリートでもどうなのだろう。戦闘だけではなく人命救助にも使えますとは宣伝だが、救援にこれを呼ぶには相当の覚悟がいりそうだ。まず火傷の心配はしていたほうがいい。こうしてみるとオスプレイ様式の飛行機の用途は「戦闘」用に限定されるのではないか。
機械は複雑になればなるほど故障しやすのだから、このヘリもどき飛行機はその複雑さにおいてみても故障の確率は高いだろうと私は思う。「安全宣言」をした政府は正気かしら、原発の「安全神話」の例もあったことだし。
2012年9月22日土曜日
2012年9月17日月曜日
「改憲賛成」65%
「改憲賛成」65%
毎日新聞15日付の見出しだ。へーと驚き目が点になった。パソコンの傍らの15日付の新聞を片付けられないでいる。「毎日」が行った全国調査の結果だそうだが、2009年時点の調査より「賛成」が7ポイント増えたということだ。この変化は統計的に無視できない数字だろう。2009年から2012年、この3年の間のどこかに節目があったのだろう。それがどこであったか私には解らない。
「改憲」を言い立ててきた人々が、戦争放棄条項「9条」を目の敵にしていたことは周知の事だから、これは戦争参加(加担)への賛同なのだろう。と私は考えた。
この2日ほどこの事をどう解釈するか、頭の片隅で考え続けて、私はこう思った。
「われとわが身、家族を守るためには、戦争を選ばない」という価値観がこれまでの我々の思考の中に存在していた。しかし「われとわが身、家族を守るために、戦争を選ぶ」この思考が我々の大半を占めるようになった。と。
ブログの話題は、できる限り愉快なものを(為にならなくても)と、心がけてきたけれど、今回ばかりは、そうもゆかないみたいである。
2012年9月12日水曜日
おめえの案に乗っちゃらー
別にそれしか買えないわけではない。ホカホカ弁当屋さんで「マツタケご飯」の幟旗を横目にして「海苔弁当」を購入した。別にそれしか買えないというわけではないのだけれど、食えばその「海苔弁当」のオカカ部分にはマツタケの香がしているのだった。なんだか得したような気分?だ。それにしても、ホカ弁屋さんの厨房はどうなっているのだろう。
と、書いたのは少し前の事だが、私の愛好するホカ弁屋での見聞を書いておこう。
通っているその店は様子を構わない、一言でいうと「だらしない」。たとえば、冷蔵ショーケースの中でのこと。何かの拍子に「ミックスジェリー」が「ミカンジェリー」に傾いた(寄りかかった)らしい、圧し掛かられた「ミカンジェリー」はもう10日ほどそのままにされている。
「昭和」の食堂はこんなものだったな。私はこの雰囲気を好み、通っている。
昨今の党首選びの過程に於いて「おめえの案に乗っちゃらー」みたいな「案」についての論議はあるのかしら。
2012年9月8日土曜日
「ぶー」のこと
「ブー」のこと
近所で見かける犬に、体重が人ほどもある犬がいる。こちらを見ては威嚇して顎を上に向けて吠える。そのくせ尻尾は振っているのだから、人懐こいやつなのだろう。セントバーナードみたいだが、あれ程大ぶりでもない。犬種はどうでもいいけれど、なんと言う名前を付けられているのか気になっていた。それが明らかになった。
今日の事だ、彼?は折良く開いていた門扉をすり抜けて「自主散歩」と洒落こんだらしい。家の周りを徘徊している彼?を門扉のところで手を腰に当てて飼い主が呼んでいる。見れば妙齢の女性だ。
「コラー!ブー。はよーかえられー(早く帰られ)」
素直に帰らない「ブー」に、彼女は一言「鉄拳食らわすぞ」。
「ブー」が鉄拳を食らったかどうかは知らない。しかし、犬の暮らしもなかなか大変なところもあるのだな。と思ったことだ。
2012年9月5日水曜日
わたしは此処でなくてもいい
『ブロガー』というのは、私が投稿に使っているブログ管理者なのだが、時々フリーズして投稿できなくなる。今書いているのは復旧したからなのだ。ことほど左様に「ヒト」のたずさわることは、不完全で不安定なのである。
「お願いしてまで投稿したいわけではない」から、投稿できなければ放っておけばいいのだ。けれど、デモなー、それができないから復旧するためにあれこれの工夫を試みた。ネットで探ると「投稿できない」という悩みは『ブロガー』でなくてもよくある事みたいだな。
さて、火事の事ばかり書くのは恐縮だけれども、表題にもどって。
焼け跡に家族の住む家を「再建」しようとして「どんな家がいいのか」とつれあいに聞いたところ、「わたしは此処でなくてもいい」と言う。これには、火事に逢ったと同じぐらいに驚いた。この地に住んで、寺の過去帳によれば13代目になるらしい私の発想には「ここ以外の何処か」は無かったのだ。
後日、つれあいと同じ年頃の女性と話をしていて、この発言に驚いたと言うと「そりゃー、そうじゃ。女のひとは、嫁ぐことを前提に考えるから、ここでなくてはダメとは思わんわー。そりゃーアンタが男じゃからじゃー」と言われて、私の困惑の原因が解った。
ヒト人類が永く母系を辿ってきたこと。このクニでも母系の痕跡があること。などなどは「本」からの知識では知っていた。(たとえば「家族・私有財産・国家の起源」)
しかし、私は、こんなに簡単に「13代目」が否定されるとは思ってもみなかったのだ。
やや在って、私はこう思った「我が家系(父系)の一代目はもしかしたら『私は此処でなくてもいい』とつれあいに言われて私の焼いた家(地)に越して来たのだろうか」と。
おふくろはこの借家に越してきた後、キュウリの種を蒔いた、毎日水やりをして、そしてこれを収穫した。このたくましさは何処から来るのか。
我々が生き延びるためには、 この際「父系」を棄てて、「母系」を辿るべきなのかもしれない。
付記。
おのれの書いたことを、改めて冷静に読み返してみると、「わたしは此処でなくてもいい」という事と「わたしはアンタでなくてもいい」との間の垣根はそう高くはないのである。
「お願いしてまで投稿したいわけではない」から、投稿できなければ放っておけばいいのだ。けれど、デモなー、それができないから復旧するためにあれこれの工夫を試みた。ネットで探ると「投稿できない」という悩みは『ブロガー』でなくてもよくある事みたいだな。
さて、火事の事ばかり書くのは恐縮だけれども、表題にもどって。
焼け跡に家族の住む家を「再建」しようとして「どんな家がいいのか」とつれあいに聞いたところ、「わたしは此処でなくてもいい」と言う。これには、火事に逢ったと同じぐらいに驚いた。この地に住んで、寺の過去帳によれば13代目になるらしい私の発想には「ここ以外の何処か」は無かったのだ。
後日、つれあいと同じ年頃の女性と話をしていて、この発言に驚いたと言うと「そりゃー、そうじゃ。女のひとは、嫁ぐことを前提に考えるから、ここでなくてはダメとは思わんわー。そりゃーアンタが男じゃからじゃー」と言われて、私の困惑の原因が解った。
ヒト人類が永く母系を辿ってきたこと。このクニでも母系の痕跡があること。などなどは「本」からの知識では知っていた。(たとえば「家族・私有財産・国家の起源」)
しかし、私は、こんなに簡単に「13代目」が否定されるとは思ってもみなかったのだ。
やや在って、私はこう思った「我が家系(父系)の一代目はもしかしたら『私は此処でなくてもいい』とつれあいに言われて私の焼いた家(地)に越して来たのだろうか」と。
おふくろはこの借家に越してきた後、キュウリの種を蒔いた、毎日水やりをして、そしてこれを収穫した。このたくましさは何処から来るのか。
我々が生き延びるためには、 この際「父系」を棄てて、「母系」を辿るべきなのかもしれない。
付記。
おのれの書いたことを、改めて冷静に読み返してみると、「わたしは此処でなくてもいい」という事と「わたしはアンタでなくてもいい」との間の垣根はそう高くはないのである。
2012年8月29日水曜日
地元の候補者
借家の前でステテコ姿で佇んでいると、町内会の役員らしい男性が自転車で現れた。渡されたのが岡山市の広報誌。
話はもう逸れるけど、ステテコがこんなに快適な履き物?だとは人生60余年初めて知った。下着ではないし、かといってかたくるしい外出着でもない。さすがにコンビニにはこれで行ったことないけれどそれは可能だろう。どう考えてもパンツでは不可だろう。宅配便を受け取る時パンツ姿では気が引けるがステテコならば可だろう。そんなわけで?早朝のゴミステーションへはステテコで往復している。涼しいという効用もさることながら、この微妙な中途半端さもまたいい。
話をもどして、受け取った広報誌を見れば、なんだか見たような表紙だ。家にとって返して確かめると同じものがすでに在る。二重に配られたのかと思った。けどしばらくして、在ったものは焼けた家のポストから持ってきたものだと気づいた。
こうしてみると、思わず知らずのうちに、複数の町内会に所属する事はあることなのだな、と考えていたら、その昔に聞いたことを思い出した。ホントかウソか報告してみよう。
さる有力市会議員は選挙の時、市内のどこに行っても、「ご町内のみなさま、地元の候補者〇〇〇でございます」連呼するというのだ。「何処でも地元」は誇大広告ではなかろうか。しかし、それで悠々と上位当選をする。何故なのか?事情通によれば、彼の連呼はまんざら「ウソ」ではないらしい。議員は市内のいろんなところに妾宅を持っていて、つまり「地元」がいたるところに在るのだ。というのが事情通の解説である。
選挙が近いようだ。候補者が「地元の」と連呼するかどうか、そのココロはどこにあるか、心して聞くべし。
それはそれとして、つれあいは、「犬を飼うことは、愛人の世話をするよりも『大変』なんだそうだよ」と私に言う。このフリ(振り)は続けて「あんたは、5匹じゃからなー、ハーレムじゃなー」という事を言いたいが為だ。この悲惨なハーレムについてはまた書ければ書きたい。
話はもう逸れるけど、ステテコがこんなに快適な履き物?だとは人生60余年初めて知った。下着ではないし、かといってかたくるしい外出着でもない。さすがにコンビニにはこれで行ったことないけれどそれは可能だろう。どう考えてもパンツでは不可だろう。宅配便を受け取る時パンツ姿では気が引けるがステテコならば可だろう。そんなわけで?早朝のゴミステーションへはステテコで往復している。涼しいという効用もさることながら、この微妙な中途半端さもまたいい。
話をもどして、受け取った広報誌を見れば、なんだか見たような表紙だ。家にとって返して確かめると同じものがすでに在る。二重に配られたのかと思った。けどしばらくして、在ったものは焼けた家のポストから持ってきたものだと気づいた。
こうしてみると、思わず知らずのうちに、複数の町内会に所属する事はあることなのだな、と考えていたら、その昔に聞いたことを思い出した。ホントかウソか報告してみよう。
さる有力市会議員は選挙の時、市内のどこに行っても、「ご町内のみなさま、地元の候補者〇〇〇でございます」連呼するというのだ。「何処でも地元」は誇大広告ではなかろうか。しかし、それで悠々と上位当選をする。何故なのか?事情通によれば、彼の連呼はまんざら「ウソ」ではないらしい。議員は市内のいろんなところに妾宅を持っていて、つまり「地元」がいたるところに在るのだ。というのが事情通の解説である。
選挙が近いようだ。候補者が「地元の」と連呼するかどうか、そのココロはどこにあるか、心して聞くべし。
それはそれとして、つれあいは、「犬を飼うことは、愛人の世話をするよりも『大変』なんだそうだよ」と私に言う。このフリ(振り)は続けて「あんたは、5匹じゃからなー、ハーレムじゃなー」という事を言いたいが為だ。この悲惨なハーレムについてはまた書ければ書きたい。
2012年8月27日月曜日
セーフティーネット
このあいだからわたしは保険金のことを盛んに書いている。この御仁は、わずかなそれでも、手に入れたのがよほど嬉しかったと見える。
つれあいとしみじみ話したことだ。「これは公(おおやけ)のセイフテーィネットではないけれど、でも助かるよなー」と。
思わぬ事で困窮した者には「セイフティーネット」は必要なのである。
それはそうと、何時のころからか私を尊重することを止めたつれあいは「あんたは保険の事を馬鹿にしていたくせに」と言う。挑戦的だなこういう言い方は。でも、反論の余地はほとんどない。それにしても、保険おたく?の彼女は、どうやら、家だけでなく、私の命にも保険を掛けているらしいのだ。そんなに「頼りない」かね私は。
つれあいとしみじみ話したことだ。「これは公(おおやけ)のセイフテーィネットではないけれど、でも助かるよなー」と。
思わぬ事で困窮した者には「セイフティーネット」は必要なのである。
それはそうと、何時のころからか私を尊重することを止めたつれあいは「あんたは保険の事を馬鹿にしていたくせに」と言う。挑戦的だなこういう言い方は。でも、反論の余地はほとんどない。それにしても、保険おたく?の彼女は、どうやら、家だけでなく、私の命にも保険を掛けているらしいのだ。そんなに「頼りない」かね私は。
2012年8月26日日曜日
メカ好き・乗り物好きには堪らない記事
メカ好き・乗り物好きにとって、アメリカ軍が日本に持ち込んだ輸送機「オスプレイ」は興味深い乗物だ。ところが「こいつは危ないぞ」と言われて、防衛大臣だったかアメリカまで行って早速試乗した。「危なくない」が彼の感想だった。これを聞いて、その昔、腸管出血性大腸菌、「O157」騒ぎの時、当時の大臣「管」氏がカイワレをテレビカメラの前で食べてみせた事を思い出したことだ。彼らには気の毒だけれど、事の本質はそんなところにはないのである。
飛ぶにしろ、地上に戻るにせよ、長い滑走路を「飛行機」は必要としてきた。一方、「ヘリコプター」は校庭の広さががあればどこでも着陸できるし飛び上がることができる。
そんな美女と野獣が一緒になりました。というのであるから「いったいどうなってんの?」とテレビレポターみたいに興味津々なのも解ってもらえるのではなかろうか。
さて、「しんぶん赤旗」のスクープ?記事であるが、これの詳細はリンクに譲るとして、記事の肝は「オスプレイの回転翼の大きさは、艦船上で運用する必要に規定されてヘリコプターのそれよりも小さくなっている。 オスプレイの回転翼の羽根のねじれは、ヘリモードでのホバリングと固定翼モードでのプロペラ飛行の両方を可能にするための妥協として設計された」ということだろう。
つまり、車にたとえれば、駐車場に合わせて、車体を切り取ってしまったようなものなのである。
それはそれとして。
この記事の指摘することが正しいのであれば、「オスプレイ」設計技術を安全の方向に振れば我々の夢の乗り物も可能ではなかろうかと考えた。
もっとも、わずかな火災保険金を手に「ナンダカ金持ち気分」の私ではオスプレイのタイヤすらも買えはしないだろうが。
それはそうと、オスプレイ。タイヤは付いていたっけ。
飛ぶにしろ、地上に戻るにせよ、長い滑走路を「飛行機」は必要としてきた。一方、「ヘリコプター」は校庭の広さががあればどこでも着陸できるし飛び上がることができる。
そんな美女と野獣が一緒になりました。というのであるから「いったいどうなってんの?」とテレビレポターみたいに興味津々なのも解ってもらえるのではなかろうか。
さて、「しんぶん赤旗」のスクープ?記事であるが、これの詳細はリンクに譲るとして、記事の肝は「オスプレイの回転翼の大きさは、艦船上で運用する必要に規定されてヘリコプターのそれよりも小さくなっている。 オスプレイの回転翼の羽根のねじれは、ヘリモードでのホバリングと固定翼モードでのプロペラ飛行の両方を可能にするための妥協として設計された」ということだろう。
つまり、車にたとえれば、駐車場に合わせて、車体を切り取ってしまったようなものなのである。
それはそれとして。
この記事の指摘することが正しいのであれば、「オスプレイ」設計技術を安全の方向に振れば我々の夢の乗り物も可能ではなかろうかと考えた。
もっとも、わずかな火災保険金を手に「ナンダカ金持ち気分」の私ではオスプレイのタイヤすらも買えはしないだろうが。
それはそうと、オスプレイ。タイヤは付いていたっけ。
電力?あえて電気と呼ぼう
火事で、ガスも水道も失って、電線も焼いて電気を失って。どうしたか、まず懐中電灯を手に入れた。それを鴨居に吊るして数日を過ごした。まずもって電気が無ければ不自由なのは我々の「現代生活」なのだ。
体を動かす度に、焦げ臭いにおいがした数日を過ごした後、電気を回復した。「おお明かりが点いた」と感動した。
電気がなければ、不自由きわまりない。しかし、それが原発による電気でなければならぬというわけでもないのである。極私的には電気であればそれでいい。
言葉を換えれば、あり余る「電力」は必要ではない。が、しかし「電気」は必要なのである。
経済の発展のためには「原発」がいるのだというクニをあげての論調には、あえて「失われた10年=もう20年になる」この経済停滞は「原発がらみだったんですか」と問いたい。
体を動かす度に、焦げ臭いにおいがした数日を過ごした後、電気を回復した。「おお明かりが点いた」と感動した。
電気がなければ、不自由きわまりない。しかし、それが原発による電気でなければならぬというわけでもないのである。極私的には電気であればそれでいい。
言葉を換えれば、あり余る「電力」は必要ではない。が、しかし「電気」は必要なのである。
経済の発展のためには「原発」がいるのだというクニをあげての論調には、あえて「失われた10年=もう20年になる」この経済停滞は「原発がらみだったんですか」と問いたい。
2012年8月22日水曜日
ご注文の本が
火事騒ぎですっかり忘れていたけど、公民館に頼んでいた本が来た。注文したのは火事の前だから、四つ角で不意に昔の自分に会ったような気分だ。
拾い読みしてみた。
「マチンガは、わたしがすっかり仲間になったと感じるたびに、わたしのの心をくじいた。マチンガは、口約束のみで、後に代金を支払ってもらう約束でわたしが前渡した古着を何度も持ち逃げし、しばらくするとしれっとした顔で戻ってきた。マチンガは何度も嘘をついてわたしからカネをかすめ取り、鞄に鍵をかけることをすっかり諦めさせた。」
「彼ら言葉はいっけん矛盾だらけに思えた。」
「たとえば、交渉中に何かを思いついた小売商の目がキラリと光る瞬間。すました顔で「たかり」をやり過ごしていた中間卸売商の口元がニヤリと持ち上がる瞬間。警官を発見し、荷物をひっつかんで逃げる真剣な横顔にどこか楽しげな笑みが浮かぶ瞬間。消費者に商品を売りつけて振り返った行商人の茶目っけたっぷりな顔・・・・。わたしはこのような彼らの表情や態度にみられる軽やかな生命力に、心底、魅了されてしまったのだ。」
この本は民族学の論文なんだけれど、この語り口に惹かれた。読んでみようと思っている。
簡単に選り分けて、分析して、結論を得て、解決。そんな事柄に出会ったことは少なくとも私にはない。(大阪の彼には出来るみたいだが)
拾い読みしてみた。
「マチンガは、わたしがすっかり仲間になったと感じるたびに、わたしのの心をくじいた。マチンガは、口約束のみで、後に代金を支払ってもらう約束でわたしが前渡した古着を何度も持ち逃げし、しばらくするとしれっとした顔で戻ってきた。マチンガは何度も嘘をついてわたしからカネをかすめ取り、鞄に鍵をかけることをすっかり諦めさせた。」
「彼ら言葉はいっけん矛盾だらけに思えた。」
「たとえば、交渉中に何かを思いついた小売商の目がキラリと光る瞬間。すました顔で「たかり」をやり過ごしていた中間卸売商の口元がニヤリと持ち上がる瞬間。警官を発見し、荷物をひっつかんで逃げる真剣な横顔にどこか楽しげな笑みが浮かぶ瞬間。消費者に商品を売りつけて振り返った行商人の茶目っけたっぷりな顔・・・・。わたしはこのような彼らの表情や態度にみられる軽やかな生命力に、心底、魅了されてしまったのだ。」
この本は民族学の論文なんだけれど、この語り口に惹かれた。読んでみようと思っている。
簡単に選り分けて、分析して、結論を得て、解決。そんな事柄に出会ったことは少なくとも私にはない。(大阪の彼には出来るみたいだが)
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