2010年5月24日月曜日

畑から



それからのネギ坊主



雨上がり、西からのつよい風。山を見れば、木の葉の作る模様が変わる。


2010年5月19日水曜日

ブログの孤独 

もう書く事はない


ネギ坊主には虫たちが寄らなくなった。花が終わったせいだろう。「華がある」という慣用句がある、こうしてみれば、花の咲いているときにしか、ヒトも虫も集らないのだ。それでいい。

もう書く事は無い。そう思っている。今までのやり方で、今までの発想で書く事柄は無い。

50数年生きて来ていると、「何も無い」の向こうに新たな何かが有る事は薄々わかる。解るが、それが何者かは解らない。それを手探りで探る外、さし渡りすることはない。

2010年5月17日月曜日

ブログの孤独 つづく


畑に行ってみると鳥たちがすっかり片付けていた。
ヒトが食おうが鳥が食おうがサクランボにとっては何の違いもないのだろう。
しかしながら、私にしてみれば、命の循環に加えてもらえなかった悔しさ?(寂しさ)はある。


私はブログのファンだが、思うにこれは、文化祭、学習発表会の様相を呈している。隅のほうで、天文クラブが相も変らぬ展示をしていたりする、この張り紙は去年の使いまわしみたいだ。一方、人気のコーナーは生徒会長、スポーツ選手の主張や成績。噂のあの娘の展示を覗いてみようかしら。


みんな、他人の話を聞くよりも自分の事を喋るのに夢中なのだ。そんな世情。これも、民主主義のひとつの表現?ともあれ、ブログを続けよう。

この数日、稲を付ける準備をしている。

2010年5月8日土曜日

ブログの孤独 つづく

畑にて
水遣りをした。

葱坊主の絵。いつも虫が集っている。絵には取れなかったが蝶も来ていた。最初に絵を撮ったのは3月26日だった、正直、ねぎ坊主の成長がこんなに変化に富んでいるとは思わなかったし、この花とも言えぬ花を虫がこんなに好んでいるとも思わなかった。観察してみるものだ。


下は3月26日の絵

サクランボ。まだ鳥は来ないみたいだ。遠くからでは、実はまだ定かには見えない。



2010年5月7日金曜日

ブログの孤独 つづく

若者のキモチ
『世情』(中島みゆき)
「世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが悲しい思いをする。
変わらないものを 何かにたとえて
その度 崩れちゃ そいつのせいにする

※シュプレイヒコールの波、通り過ぎてゆく
  変わらない夢を、流れに求めて
    時の流れを止めて、変わらない夢を
   見たがる者たちと、戦うため※

世の中はとても臆病な猫だから
他愛のない嘘をいつもついている。
包帯のような嘘を見破ることで
学者は世間を見たような気になる」

中島みゆきはいつもコトバで挑発する。
この歌詞は一番だけでいい、二番は彼女の遊びだ。

それはそうと、私は同じ時代に生まれた彼女と供に歳をとってきた。最近彼女を見たのはトンネルのなかで、ヨタヨタ歩いている図だった、互いに歳をとった。

この歌「世情」は「キンパチ先生」で使われて、そのことで解釈される向きがあるけれど、素直に読めば、デモ行進を喫茶店か何かの高みからみている者の感想だ。それでいい。彼女はいつもそういう高みから挑発してくる。

若者には、「世の中はそう出来てるのかもしれないが、でも、それじゃ~こいつがかわいそうじゃないか」と思う気持ちがあるのだ。いつの時代もそうではなかったか。中島みゆき1978年の作品。互いに30歳までにはまだ時間があった。

2010年5月3日月曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ソウシタラ ココデ サヨウナラ」

鉄道駅とか、バスステーションで聞いたのなら、2010.4.30のメモにはしなかっただろう。立ち寄ったホームセンターの前で聞いたコトバ。初老の女のひとは、こんな言葉を使っていた。「バイジャ」みたいな言葉は使わないみたい。

出会いと別れで人生は出来ていると、ちまたにあふれる恋歌は教えるけれど、こんなに丁寧に別れたいものだ。

ブログの孤独 つづく

畑に行った。
雨の上がって、日が射せば、水遣りは毎日欠かせない。わけを考えてみれば、ひとつは、定植したばかりの根は浅いところにしかないから、もうひとつは、思いの外、この季節の太陽は強烈で地表面を乾かしてしまう事による。

絵を撮った


ネギ坊主。いつも虫が集っている。虫の名にハナムグリみたいな名のものがいるが、これは「はなもぐり」ではなろうか。


サクランボ。遠くの山の新葉は、強い西風にめくれて、白い裏を見せている。

2010年5月2日日曜日

ブログの孤独 つづく

いいわけも許されずに


やらねばならぬ事は山ほど有りながら、新聞を読んでいると、傍らの黒電話が鳴る。何事ならん、と取り上げると「ご主人様でいらっしゃいますか」と若い娘が言う。どうやら、商談らしい。「そんなもんかどうかは解らんが、そうとも言えるみたい」と、ヒネクレもんが可愛ゆく答えている。
この電話は、携帯ではないから家の中にあるものというもくろみなんだろう。「キャンペーン中です。」とそそる。「家の外壁を塗り替えませんか」と誘う。
ウーン。「ご期待に沿いたいのだけど、うちは板壁で」「?」
少し息を呑む様子がある、その後、「焼き板なんですか?」と聞く「そういうこと」。

どうやら、この商談は成立しそうにもない。

それはそうとして、この娘は、「焼き板」を知っている。エライ。