2011年7月31日日曜日

隠遁思考

隠遁指向
あんたは、「みんなと同じではダメ」なのだと思っている。他者との「違いに固執」している。と、現(うつつ)の知人に指摘されて、目が醒めた。
そうだったのだ!それをウッカリ忘れていた。浦島太郎のように、この世の乙姫やタイや平目やパソコンにうつつをぬかして、つい我が隠遁の故郷を忘れていた。
隠遁ができるかどうかやってみようかな~、そんな悠長な考えをめぐらせるより前に我が身と我が精神は、隠遁を選択していたのであった。そのことを忘れていた。(すでに引導を渡した世をさまよってどうするか)
これは、つい先日、「毎日」で見かけた記事「原発難民となって」(大槻英二)を読んで共感したせいもあろう。
記事を要約すれば、「元宇宙飛行士・秋山豊寛(69)さんは、福島で有機農業をしていたが、原発事故で群馬県に避難しやはり農業をしている」とのこと。
若い方はご存知ないかと思うけど、マスコミのエース記者が厳しい訓練を乗り越え、宇宙に行くという企画は、ソ連の「ソユーズ」でという意外性も手伝って、注目を浴びたものだった。彼はそれからすぐマスコミ業界から身を引き、農業を始めると言い出し、二度目の注目を浴びた。それから16年、お元気だったんだ。
「パソコンは60歳のときに手放し、携帯電話も」持たずに過ごしてきたと記事は書く。
月刊誌『自然と人間』に「農のある暮らしから」を連載していたり、普通の農民とは少し違うにしても、花形産業から身を引き、自給自足をめざして農業を志すというのは「隠遁」ともいえるだろう。写真を拝見すると腕時計をしていらして、現代の「隠遁道」を究めるのは。んー。大変そうだ。
以下に記事を

2011年7月30日土曜日

私も保安院と同じ

私も保安院と同じ
ブログを始めた頃、「来て見て読んで」、と知り合いに盛んに触()れまわったものだった。ちょうど話題の保安院のように。しかし、私は、ポチッとして「ごもっとも・そうだそうだ」のコメントを書いてとは言わなかった、いやその前にそんなことを考えつきもしなかった。ところが可能性としては、在り得たが、あってはならない保安院のしぐさが報道されている。ヤッテイタンダ。
事の概要は報道に任せるとして、少しだけ、指摘しておきたい。
参加を申し込んだ市民のうち、どのくらいが「定員に達したので」と断られたのだろうか。やらせ動員で席をうめている会場の外で、「我が疑問、我が意見」、を排除された者がいるに違いないのだ。それがたとえ一人であってもそれはあってはならないことではないのか。
ついでにもうひとつ、8月中に真相解明と政府は言っている。のんびりしたものだ。今日、保安院の庭から煙が上がっていたら、それは証拠隠滅のケムリだろう。
真相は罰を与えぬから正直に言いなさい。とするか、それとも間髪をいれず踏み込んで押収した資料から、しか見つからないものなのだ。
どうなんだろう。

2011年7月28日木曜日

7月24日後日 談

724日の補足
前の記事を書いてから、パソコン先生にお会いする機会があった。と書いても正確ではない。実は、事務所の前を通りかかる機会はいくらもあったのだが、いつも置いてある先生の自転車が無いものだから寄らずにいた。こんな事が重なれば、さすがに気になって「自転車を盗まれたのか?」とメールしてみた。「今日は居る、自転車無事」と電報みたいな返事があった(先生は私みたいに長ったらしいメールはしない、しかし論文は書く)ので邪魔しに押しかけたわけだ。
先生は御機嫌半ばで開口一番「勢い余ったものか」は無かろうと言われる。でも「勢いあやまって」よりはよかろうと思ったがそれは飲み込んで。
先生の話を聞いた。米軍機が低空飛行をする理由は、わが身を守る為つまり、相手()のレーダーに補足されないように、また対空ミサイル標的にならぬようにする為という。なるほど、高度が低ければ低いほど米軍機の安全が高まるというわけだ。米軍機の事情はそれでいいとして、ヒトの暮らす地上の安全は堪ったものではなかろう。と思った。
先生の説明はつづく、地上30メートルを時速800kmで重量20トンの物が移動するのであると。それも防音装置をつけぬジェットエンジンを動力として。
これを書きながら、状況をリアリティーを持って理解するために何を比喩とするか、考えた末、新幹線を比較に使おうと検索した。
一両は50トン、速さは時速200km、動力は電気モーター。んー、速さが4倍違う。おまけに防音壁で覆っている。なにより、新幹線は飛んでいない。これはあまり参考になりそうもないと気づいた。つまり、日常で普通に出会うようなものではないということなのだ。
ちなみに先生の言うところによれば、低空飛行の米軍機は音速(時速1200km)を超える事は無いという事だ、超えて飛べばそこらあたりの窓ガラスを割るような衝撃が生じるらしい。もっとも、低空飛行の米軍機が時速800kmで飛ぶのはガラスの事に気を使ってではなく、音速を超えると、舵が利かなくなるためなのだそうで。なーんだ。どこまで行っても米軍機は自分の事しか考えてないんだ。と思った事だ。
以下に、話題の記事を。



2011年7月24日日曜日

パソコンの顚末

パソコンの顚末
パソコン先生は、最近論文「米軍機低空飛行で土蔵全壊」(於・『前衛』)を発表された。

パソコン関係もさることながら、先生はこちらの方でもブイブイいわせていらっしゃる。活躍はウエブにも及んでいる。勢い余ったものか、先日のこと「仮説」を展開された。「米軍機原因地震波説」(・岡山民報)である。
さて、弟子はといえば、田畑をほっぽらかしにして、パソコン三昧の日々である。「あんた、メモリーやハードディスクをいじったりする間()にはトラクターのベルトでも替えられー」と先生に叱られたばかりなのにである。師匠に比べ弟子はまことに戯(たわけ)者なのである。モニターの隣でパソコンはこんなになって唸っている。

こうしてみれば、パソコンの良きところは「壊れない」ということにある。「動かないことがある」だけなのである。


機械いじりを好む私にしてみれば、こんなに乱暴に乱雑に扱っても壊れないものは珍しい、まことに未熟者向きの道具なのである。さて、今回の私のテーマは音のうるさくなったハードディスクの交換であった。結果はといえば、あきらめた。うつわ()の交換ならば、私にもできるが、中身の交換には専門の繊細な知識がいるのである。慙愧(ざんき)の念とともに少々うるさいこのデスクと心中するつもりだ。これこそ言葉の本来の「パーソナル」の行き着くところではなかろうか、と呟(つぶや)きつつ。

2011年7月19日火曜日

「身悶え」考

身悶え」考

「基準値を上回る○○を出したにもかかわらず。それを防ぐ手立てがない。これほど深刻な事はない。にも拘らず、政府もマスコミも切迫感がないですね。
「直ちに健康には~」という有識者のコメントを拾ってきて載せたりしている。
ことに、中央政界はこれほどの被害を
える施設の再稼動を狙って身悶えしているようだ。
政府による「危機管理」はこれからも期待できないでしょう。
あと
るのは、人心の荒と政治への不信感。このクニの「終わりの始まり」でなければいいのですが。」
これは、あるブログのセシュウム汚染牛肉の話題に私がイッチョ噛みしたコメントである。いつもながら、鷹揚な口ぶりで我ながらイヤになる。書いた後「身悶え」の原因ついて考えていると、半年前の違った事柄を思い出した。連想に基づく私の考察が当たっているかどうか、書いてみなければ解らない。
2011年1月26日 山陽新聞

これを読んだ。話題の会社の傍を工業高校への通学路としていたので、いつも飴菓子を煮ているイイ匂いが漂っていたのを思い出した。工場のレンガ塀に立て掛けて作られたバラックにヒトの住んでいた時代のことである。塀のあたりでカワイイ女生徒と毎日すれ違うのだけが楽しみだった。これがなければ卒業できたかどうかあやしいものだ。レンガ塀を過ぎると「乃木衣服(のぎいふく)」の地下道があって、そこまでにすれ違えなければ~。話がズレていってる。もとにもどして。
そういえば、と思い出してこの記事から数日前の記事を見つけ出した。

2011年 1月21日同「山陽」
5日前の地方経済のリーダーは、破綻について何も語ってはいない。経済界ではその時まで伏せて措くことは当たり前のことだろうが、読者としては、当たり前と済ましてしまえない違和感がある。
いってみれば、この新聞の全ての記事の信頼に係わる問題なのである。
「地方新聞と放送局、地方銀行、そしてこの企業、」この関係を以後の記事(40本以上ある、まだ続いている)で拾ってみれば、互いに株を持ち合いしていて、云わば姻戚関係にあるということだった。これに、商工会議所の息のかかった首長の率いる行政、商工会議所雇われ議員の牛耳る議会が加われば。これで、地方政治トライアングル(テトラゴンアングル?)は完成である。
市民(読者・視聴者)は金(新聞代金・税金)を払っていても、蚊帳の外、地方政治トライアングルの外、なのである。

さて、中央政界、の○○アングルはどうなっているのか、「政・官・財」トライアングルと俗にいうけれど、その構造はどうなっているのか。私には原発再開に「身悶え」をしている様子を見てその繋がりの深さが想像できるのみである。

2011年7月15日金曜日

御祇園さんの笛

先の日曜日のこと。我が村では「おぎおんさん」があった。祇園祭(会)のことである。家にいたら、遠くから「ピーヒャラ・ピーヒャラ」と笛の音が聞こえてきた。次第に近くなれば、話し声や、足音も混じってまことに祭りの気分になる。
笛の音を聞いているとひとつのパターンを繰り返していることに気付く。繰り返すということでは、物売りにも似ているし、廃品回収車にも似ている。しかし、何をもって来ようとこれが元祖であろう。

「ぴーぴーひゃらら、ぴーひゃららァ
 ぴーぴーひゃらら、ぴーひゃららぁ
   (繰り返し)
 ぴーひゃらぴーひゃら
  ぴーぴー。」
ことばに表わしてみるとこんな感じである。小さい「ァ」の部分は音程が上がり、小さい「ぁ」の部分は下がる。最後の「ぴーぴー」は少し間延びしていてまことにもの悲しくもある。と考えていると。
こんな詩を思い出した。

「      ふるさとにて

ほしがれひをやくにほひがする
ふるさとのさびしいひるめし時だ

板屋根に
石をのせた家

ほそぼそと ほしがれひをやくにほひがする
ふるさとのさびしいひるめし時だ

がらんとしたしろい街道を
山の雪
りが ひとりあるいてゐる」


田中冬二
1894明治27年) - 1980昭和55年)の詩である。
我々はこの時代になって、初めてミゼラブルな我とわが身を映し出す鏡(近代的精神)を手に入れて、さかんにこんな詩が作られたのである。
原発の時代を映す鏡を我々は何時になれば手にすることが出来るのだろうか。

ついでに、こんなのも思い出した。


これは見なかった事にして欲しい。

追記。7月16日夜。犬の散歩をしていると、この村の祭りの笛を吹いているS氏に会った。同世代の彼も犬を連れている。「ちょっと、教えて」と祭りの笛のことを聞いてみた。
彼の言うところによれば「おぎおんさん」の笛は二曲あって。私の聞いた「ぴーひゃら」は祭り(を知らせて?)の道中に吹く曲だそうで、もうひとつ、山車(ばあさん達の愛用する乳母車を大きくしたみたいなものだが)を停めて要所要所で吹く曲に比べれば簡単な方であるということだった。
「秋祭りには違う曲?」と聞けば。「全然、別の曲」という「全部でどれくらいある?」「さー、何曲ぐらいじゃろうか」とそれほど多いみたいだ。
私の思うに、映画音楽やTVドラマのバックに流れる音楽、みたいに祭礼の場面場面に合った曲が用意されてあるらしいのだ。こうしてみれば、お囃子方は、まるでオペラの楽士ではないか。
これは、ブログを書く事で得た、ちょっとした発見だった。








2011年7月10日日曜日

樹々の一家

いろいろのブログを「お気に入り」に入れて読んでいる。毎日のように更新するブログには感心する。いや感心を通りこして尊敬してしまう。私にはできそうもないのだ。
ここのところ、誰に頼まれたわけでもないのに私は怒ったブログばかり書いている。反省して、「怒らぬ」ブログを書いてみよう。最後まで冷静でいられるかしら。
以下の文章を読んで欲しい。長いが読んで損はない(もう斜に構えている)

『樹々の一家
太陽の烈しく照りつける野原を横切ってしまうと、初めて彼らに会うことができる。
彼らは道のほとりには住まわない。物音がうるさいからである。彼らは未墾の野の中に、小鳥だけが知っている泉の縁(へり)を住処(すみか)としている。
遠くからは、はいり込む隙間もないように見える。が、近づいていくと、彼らの幹は間隔をゆるめる。彼らは用心深く私を迎え入れる。私はひと息つき、肌を冷やすことができる。しかし、私には、彼らがじっとこちらを眺めながら警戒しているらしい様子がわかる。
彼らは一家を成して生活している。一番年長のものを真ん中に、子供たち、やっと最初の葉が生えたばかりの子供たちは、ただなんとなくあたり一面に居並び、決して離れ合うことなく生活している。
彼らはゆっくり時間をかけて死んで行く。そして、死んでからでも、塵となって崩れ落ちるまでは、突っ立ったまま、みんなから見張りをされている。
彼らは、盲人(めくら)のように、その長い枝でそっと触れ合って、みんなそこにいるのを確かめる。風が吹き荒(すさ)んで、彼らを根こぎにしようとすると、彼らは怒って身をくねらす。しかし、お互いの間では、口論ひとつ起こらない。彼らは和合の声しか囁(ささや)かないのである。
私は、彼らこそ自分の本当の家族でなければならぬという気がする。もう一つの家族などは、すぐ忘れてしまえるだろう。この樹たちも、次第に私を家族として遇してくれるようになるだろう。その資格が出来るように、私は、自分の知らなければならぬことを学んでいる――
私はもう、過ぎ行く雲を眺めることを知っている。
私はまた、ひとところにじっとしていることもできる。
そして、黙っていることも、まずまず心得ている。』
(『博物誌』 ルナール 岸田国士=訳  新潮文庫p258

「彼らは和合の声しか囁(ささや)かない」「黙っていることも、まずまず心得ている」うらやましい。こうでありたいと思う。細かなことを書き加えれば、「遠くからは、はいり込む隙間もないように見える。が、近づいていくと、彼らの幹は間隔をゆるめる。」という非凡なフレーズ(誰もがそう感じていてもそれをコトバにしたのはルナールが初めてではなかろうか)が読者をしてたちまち、木々のただなかに誘い込む、そして、我々は作者に導かれてさまざまな発見をしてゆくのである。
1864年~1910年(夏目漱石と重なる)を生きた、ルナールを思い浮かべていると、同じ木々を詠った北原白秋を思い出した。彼は1885年~1942年を生きた。以下の引用を読んで貰うとわかるが、意外にも北原白秋の方が20年程も後の時代の人なのである。

『落葉松

からまつの林を過ぎて
からまつをしみじみと見き
からまつはさびしかりけり。

からまつの林を出()でて
からまつの林に入りぬ
からまつの林に入りて
また細く道はつづけり

(中略)

からまつの林の雨は
さびしけどいよいよしずけし
かんこ鳥鳴けるのみなる
からまつの濡るるのみなる

世の中よ あわれなりけり
常なれどうれしかりけり
山川に山がはの音
からまつにからまつのかぜ』

どうですか。このふたつの違い。どちらも木々に託して己の心情を吐露したものですが、ずいぶん印象が違う。どうしてか。後者は論理を追わぬゆえに、何時までも続けることができる。例えば、祭りのお囃子に近いのだ。言い換えれば、リズムと音を追いかけることに疲れるまでつづけることのできる構造を持つ。したがって、心の吐露を装いながら、心の襞さえも追わぬのである。心はただ「さびしい」「うれしい」と表わされるのみ。
それぞれを検索してみれば、このクニの人々は後者を好むようで、この詩を歌詞にしてまで作っているのである。良くも悪くも、論理を好まぬ国民性がこんな所にも現われていると思った事だ。
こまったことに、論理を好まぬ人々は天災と人災の区別をつけようとも思わないのである。
オット、ここでレフリーストップがかかった。ではまた。

2011年7月7日木曜日

おなじその手で

同じその手で

細かな事実関係の説明は省略する。東電ではなく九電のことである。イヤ、名前などはどちらでもいい。同じようなものと思う。
科学技術の粋を集めたという原発を運転するヒトの手。同じその手が市民を騙った偽メールを打てとする文書を配ったのである。(配下への依頼であるから命令と同じことだろう。命令に従って何通打たれたのかがマスコミの興味の対象になっている。マスコミのピンボケもここまできたか。仮に命令に従わぬ社員がいたとすればそのこと自体この組織の規律のなさを表現しているのに)

私には、汚れたその手が、どのような原発をも、まともに運転できるとは思えない。
民主主義のルールをいとも簡単に、なんの躊躇もなしに無視し(軽視ですらない)踏みにじる彼らをみれば、このクニの権力を持つ者の腐敗ぶりは明らかだ。これは事柄の賛否をこえた倫理の問題なのである。
今こそ、心から原発賛成を唱える人々は九電に抗議するべきなのだ。あなたの一つの嘘が残りの九十九の私たちの本当をも嘘にしてしまったのだと。

政府は原発ストレステストなるものを計画しているそうだが、原発にではなく、まず運転するヒトビトのストレステストやるべきだろう。(いや、皮肉にもこの説明会なるものがそれだったのか。であれば誰の目にも不合格としか見えないはずだ)

それにしても、クニは被害者なのだろうか。こんな簡単な八百長のできる「出来レース」を主催したのはクニである。第三者の立場は微妙に危うい。つとに総理大臣は「国策により原発建設を進めてきた」と認めているのではなかったか。

2011年7月4日月曜日

恫喝とオフレコ

恫喝とオフレコ
なんとも、天真爛漫な人物である。相手の知事の引きつった顔が印象的である。厚顔無恥しかも正気の沙汰でもある。「長幼の序」で自衛隊を好きみたい、そんな組織原則を持たない自衛隊は早々に抗議すべきであろう。
私の地元の市会議員が同じ口調で市職員を恫喝するのを目撃した事があるがそれを思い出した。上から目線の発言には愚かにも共通するところがある。

この報道を例外として、「オフレコ」と脅されたマスコミは報道しなかったみたいである。我々はマスコミ報道のこの従順ぶりにも注目しなければならぬだろう。つい先頃まで原発広告を載せていた大マスコミはこの期に及んでもこのありさまである。我々に知らされぬことはどれ程あるのであろうか。小弱といえども自前のマスコミを早急に持つべきなのだろう。


「任命責任」ということもあろう。これを考えるのもバカバカシイ。

先に、ブログはポチットすれば、消せるこれは便利だと書いた。いずれこの項目は消すつもりだ。
私のブログの中にこの人物を居させることは、例えリンクにせよ、私の感性が許さない。

2011年7月2日土曜日

正解

正解
我が越し方を冷静に省みれば、「間違い」ばかり仕出かしてきたみたいなのである。「正解」からは程遠いジンセイであった。歳とともに酒量が落ちてきたので、一日に二度飲む事にした事とか、タバコの本数を減らすためにニコチンのキツイ煙草に変えた事とか、それから~。これをどうしたものかとしばらく考えて、「正解などは無いことにする」と結論をだした。
「やったこと」が「しでかしたこと」に変わることはこの世の定めなのである。振り返れば、原発は稼動させない方が良かったし、民主党に政権を委ねない方がよかったし、遡れば、侵略戦争をしなかった方が良かったし~~。
「正解」などは「しでかしたこと」の刺身のツマみたいなものなのであろう。
と、ここまで書いて。ブログはよく出来ていると思った。いくらでも書き直せるのだ。ポチッとやって、消したり書いたりできる。ツイッターとはそこが違う。(さっきも「みたび原発のこと」を書き直した)さあ、今日のこのブログが後日消される運命に在りやなしや。
誤解を恐れて付け加えれば、「正解などはない」けれども、どこまでも正解に迫ろうという気持を持つこと。これはヒトの生存の基本の姿だと私は考えている。言い換えれば、価値の相対化の混沌を統一してその上に新たな価値を作り出そうとするそれがヒト人類の意識構造である。んー。これはもう哲学だ~。