いろいろのブログを「お気に入り」に入れて読んでいる。毎日のように更新するブログには感心する。いや感心を通りこして尊敬してしまう。私にはできそうもないのだ。
ここのところ、誰に頼まれたわけでもないのに私は怒ったブログばかり書いている。反省して、「怒らぬ」ブログを書いてみよう。最後まで冷静でいられるかしら。
以下の文章を読んで欲しい。長いが読んで損はない(もう斜に構えている)
『樹々の一家
太陽の烈しく照りつける野原を横切ってしまうと、初めて彼らに会うことができる。
彼らは道のほとりには住まわない。物音がうるさいからである。彼らは未墾の野の中に、小鳥だけが知っている泉の縁(へり)を住処(すみか)としている。
遠くからは、はいり込む隙間もないように見える。が、近づいていくと、彼らの幹は間隔をゆるめる。彼らは用心深く私を迎え入れる。私はひと息つき、肌を冷やすことができる。しかし、私には、彼らがじっとこちらを眺めながら警戒しているらしい様子がわかる。
彼らは一家を成して生活している。一番年長のものを真ん中に、子供たち、やっと最初の葉が生えたばかりの子供たちは、ただなんとなくあたり一面に居並び、決して離れ合うことなく生活している。
彼らはゆっくり時間をかけて死んで行く。そして、死んでからでも、塵となって崩れ落ちるまでは、突っ立ったまま、みんなから見張りをされている。
彼らは、盲人(めくら)のように、その長い枝でそっと触れ合って、みんなそこにいるのを確かめる。風が吹き荒(すさ)んで、彼らを根こぎにしようとすると、彼らは怒って身をくねらす。しかし、お互いの間では、口論ひとつ起こらない。彼らは和合の声しか囁(ささや)かないのである。
私は、彼らこそ自分の本当の家族でなければならぬという気がする。もう一つの家族などは、すぐ忘れてしまえるだろう。この樹たちも、次第に私を家族として遇してくれるようになるだろう。その資格が出来るように、私は、自分の知らなければならぬことを学んでいる――
私はもう、過ぎ行く雲を眺めることを知っている。
私はまた、ひとところにじっとしていることもできる。
そして、黙っていることも、まずまず心得ている。』
(『博物誌』 ルナール 岸田国士=訳 新潮文庫p258)
「彼らは和合の声しか囁(ささや)かない」「黙っていることも、まずまず心得ている」うらやましい。こうでありたいと思う。細かなことを書き加えれば、「遠くからは、はいり込む隙間もないように見える。が、近づいていくと、彼らの幹は間隔をゆるめる。」という非凡なフレーズ(誰もがそう感じていてもそれをコトバにしたのはルナールが初めてではなかろうか)が読者をしてたちまち、木々のただなかに誘い込む、そして、我々は作者に導かれてさまざまな発見をしてゆくのである。
1864年~1910年(夏目漱石と重なる)を生きた、ルナールを思い浮かべていると、同じ木々を詠った北原白秋を思い出した。彼は1885年~1942年を生きた。以下の引用を読んで貰うとわかるが、意外にも北原白秋の方が20年程も後の時代の人なのである。
『落葉松
からまつの林を過ぎて
からまつをしみじみと見き
からまつはさびしかりけり。
からまつの林を出(い)でて
からまつの林に入りぬ
からまつの林に入りて
また細く道はつづけり
(中略)
からまつの林の雨は
さびしけどいよいよしずけし
かんこ鳥鳴けるのみなる
からまつの濡るるのみなる
世の中よ あわれなりけり
常なれどうれしかりけり
山川に山がはの音
からまつにからまつのかぜ』
どうですか。このふたつの違い。どちらも木々に託して己の心情を吐露したものですが、ずいぶん印象が違う。どうしてか。後者は論理を追わぬゆえに、何時までも続けることができる。例えば、祭りのお囃子に近いのだ。言い換えれば、リズムと音を追いかけることに疲れるまでつづけることのできる構造を持つ。したがって、心の吐露を装いながら、心の襞さえも追わぬのである。心はただ「さびしい」「うれしい」と表わされるのみ。
それぞれを検索してみれば、このクニの人々は後者を好むようで、この詩を歌詞にして歌まで作っているのである。良くも悪くも、論理を好まぬ国民性がこんな所にも現われていると思った事だ。
こまったことに、論理を好まぬ人々は天災と人災の区別をつけようとも思わないのである。
オット、ここでレフリーストップがかかった。ではまた。