2012年9月25日火曜日

オスプレイ飛んだ つづき


オスプレイ飛んだ つづき

こんな新聞記事を読んだ。924日の「赤旗」一面。赤旗は月3400円で他の新聞より高いけれどこんな記事が載るからやめられない。興味のある方は「ぽちっ」として読んでもらうとして、つまり「オスプレイ」の配備をこのクニは断れないということだ。アメリカとの「約束」でそうなっているらしい。アメリカがこのクニにどんな武器を持ち込もうと「是非は言いません」と約束しているのだから後は「唯々諾々(イイダクダク)」と従うしかないわけだ。

これって、「クニの主権」との関係でどうなんだろう。

2012年9月23日日曜日

オスプレイ飛んだ


オスプレイ飛んだ

と、書いたらこんな童謡を思い出した。

『しゃぼん玉

 

しゃぼん玉 飛んだ

屋根まで飛んだ

屋根まで飛んで

こわれて消えた

 

しゃぼん玉 消えた

飛ばずに消えた

生まれてすぐに

こわれて消えた

風 風 吹くな

しゃぼん玉 飛ばそ

 

1922(大正11)

作詞 野口雨情・作曲 中山晋平』

しばらく、「しゃぼん玉」を「オスプレイ」に変えて歌ってみた。それだけのことだ。なぜそんな連想を私がしたかというと

『あなたへ』森沢明夫(幻冬舎文庫)を最近読んだせいだ。この同名の映画シナリオを小説仕立てにした本のなかで童謡「しゃぼん玉」が小道具として使われていたからだ。それだけのことである。

さて、オスプレイ。この国での飛行映像をテレビで見た。これはヘリコプターというよりも飛行機だなと思った。ヘリコプターのようにも飛ぶことのできる飛行機だ。推力はジェットエンジン。ジェットエンジンを吹かしてその熱風でプロペラを回す(ターボプロップ)エンジンだから映像を見ても離陸の時(着陸も同様だろう)地面に炎を吹きつけているように見えた。だからこれに乗り降りする昇降口は機体の後ろにある。横だと炎にあぶられたりプロペラに巻き込まれたりしかねない。いやその前にエンジンの炎を受け止める滑走路はアスファルトでは無理だしコンクリートでもどうなのだろう。戦闘だけではなく人命救助にも使えますとは宣伝だが、救援にこれを呼ぶには相当の覚悟がいりそうだ。まず火傷の心配はしていたほうがいい。こうしてみるとオスプレイ様式の飛行機の用途は「戦闘」用に限定されるのではないか。

機械は複雑になればなるほど故障しやすのだから、このヘリもどき飛行機はその複雑さにおいてみても故障の確率は高いだろうと私は思う。「安全宣言」をした政府は正気かしら、原発の「安全神話」の例もあったことだし。

2012年9月22日土曜日

USBの親玉


USBの親玉

みたいな物をパソコンに付けてインターネットに繋いでいる。これが不安定でしかたがない。使える使えないのレベルを超えている。(もっともレベルの設定は私の設定なのだけれど)。無線の電話回線を使っているらしいけれど、直ぐに一杯いっぱいになって不安定に陥るのだ。その上良くないことには少し時間を置けば治ることだ。いっそ繋げないのならハッキリして欲しい。今、打っているこれだって投稿欄に載るかどうか。さてやってみるか。

2012年9月17日月曜日

「改憲賛成」65%


「改憲賛成」65

毎日新聞15日付の見出しだ。へーと驚き目が点になった。パソコンの傍らの15日付の新聞を片付けられないでいる。「毎日」が行った全国調査の結果だそうだが、2009年時点の調査より「賛成」が7ポイント増えたということだ。この変化は統計的に無視できない数字だろう。2009年から2012年、この3年の間のどこかに節目があったのだろう。それがどこであったか私には解らない。

「改憲」を言い立ててきた人々が、戦争放棄条項「9条」を目の敵にしていたことは周知の事だから、これは戦争参加(加担)への賛同なのだろう。と私は考えた。

 

この2日ほどこの事をどう解釈するか、頭の片隅で考え続けて、私はこう思った。

「われとわが身、家族を守るためには、戦争を選ばない」という価値観がこれまでの我々の思考の中に存在していた。しかし「われとわが身、家族を守るために、戦争を選ぶ」この思考が我々の大半を占めるようになった。と。

ブログの話題は、できる限り愉快なものを(為にならなくても)と、心がけてきたけれど、今回ばかりは、そうもゆかないみたいである。

2012年9月12日水曜日

おめえの案に乗っちゃらー


別にそれしか買えないわけではない。ホカホカ弁当屋さんで「マツタケご飯」の幟旗を横目にして「海苔弁当」を購入した。別にそ​れしか買えないというわけではないのだけれど、食えばその「海苔弁当」のオカカ部分にはマツタケの香がしているのだった。なんだか得したような気分?だ。それにしても、ホカ弁屋さんの厨房はどうなっているのだろう。
と、書いたのは少し前の事だが、私の愛好するホカ弁屋での見聞を書いておこう。

通っているその店は様子を構わない、一言でいうと「だらしない」。たとえば、冷蔵ショーケースの中でのこと。何かの拍子に「ミックスジェリー」が「ミカンジェリー」に傾いた(寄りかかった)らしい、圧し掛かられた「ミカンジェリー」はもう10日ほどそのままにされている。

「昭和」の食堂はこんなものだったな。私はこの雰囲気を好み、通っている。

 さて、海苔弁当の出来るのを待っていると、中学生がやってきた。手には千円札を握っている。注文もそこそこに、携帯電話を使っている。聞けば「おめえの案に乗っちゃらー」。どうやら遊び?の待ち合わせの約束をしているらしい。贔屓目に見ても模範生徒ではない彼だけれど、おじさんは感心した。「いくつかの案があって、それぞれの案を吟味し、そのひとつの案に乗る。」この手続きは大人でも出来ていないのではなかろうかと。

昨今の党首選びの過程に於いて「おめえの案に乗っちゃらー」みたいな「案」についての論議はあるのかしら。

2012年9月8日土曜日

「ぶー」のこと


「ブー」のこと

近所で見かける犬に、体重が人ほどもある犬がいる。こちらを見ては威嚇して顎を上に向けて吠える。そのくせ尻尾は振っているのだから、人懐こいやつなのだろう。セントバーナードみたいだが、あれ程大ぶりでもない。犬種はどうでもいいけれど、なんと言う名前を付けられているのか気になっていた。それが明らかになった。

今日の事だ、彼?は折良く開いていた門扉をすり抜けて「自主散歩」と洒落こんだらしい。家の周りを徘徊している彼?を門扉のところで手を腰に当てて飼い主が呼んでいる。見れば妙齢の女性だ。

「コラー!ブー。はよーかえられー(早く帰られ)」

素直に帰らない「ブー」に、彼女は一言「鉄拳食らわすぞ」。

「ブー」が鉄拳を食らったかどうかは知らない。しかし、犬の暮らしもなかなか大変なところもあるのだな。と思ったことだ。

2012年9月5日水曜日

わたしは此処でなくてもいい

『ブロガー』というのは、私が投稿に使っているブログ管理者なのだが、時々フリーズして投稿できなくなる。今書いているのは復旧したからなのだ。ことほど左様に「ヒト」のたずさわることは、不完全で不安定なのである。
「お願いしてまで投稿したいわけではない」から、投稿できなければ放っておけばいいのだ。けれど、デモなー、それができないから復旧するためにあれこれの工夫を試みた。ネットで探ると「投稿できない」という悩みは『ブロガー』でなくてもよくある事みたいだな。

さて、火事の事ばかり書くのは恐縮だけれども、表題にもどって。
焼け跡に家族の住む家を「再建」しようとして「どんな家がいいのか」とつれあいに聞いたところ、「わたしは此処でなくてもいい」と言う。これには、火事に逢ったと同じぐらいに驚いた。この地に住んで、寺の過去帳によれば13代目になるらしい私の発想には「ここ以外の何処か」は無かったのだ。
後日、つれあいと同じ年頃の女性と話をしていて、この発言に驚いたと言うと「そりゃー、そうじゃ。女のひとは、嫁ぐことを前提に考えるから、ここでなくてはダメとは思わんわー。そりゃーアンタが男じゃからじゃー」と言われて、私の困惑の原因が解った。
ヒト人類が永く母系を辿ってきたこと。このクニでも母系の痕跡があること。などなどは「本」からの知識では知っていた。(たとえば「家族・私有財産・国家の起源」)
しかし、私は、こんなに簡単に「13代目」が否定されるとは思ってもみなかったのだ。

やや在って、私はこう思った「我が家系(父系)の一代目はもしかしたら『私は此処でなくてもいい』とつれあいに言われて私の焼いた家(地)に越して来たのだろうか」と。
おふくろはこの借家に越してきた後、キュウリの種を蒔いた、毎日水やりをして、そしてこれを収穫した。このたくましさは何処から来るのか。
我々が生き延びるためには、 この際「父系」を棄てて、「母系」を辿るべきなのかもしれない。

付記。
おのれの書いたことを、改めて冷静に読み返してみると、「わたしは此処でなくてもいい」という事と「わたしはアンタでなくてもいい」との間の垣根はそう高くはないのである。