2022年9月28日水曜日

20220927半旗を

 半旗を見に、野暮用で出かけた岡山市内へのルートを県庁が観える所にわざわざ変えた。結果を記せば「ショボ」かった。県庁は旗らしい物は見えなかったし、そこいら辺の会社も民家も旗(日の丸)を掲げている事例は発見できなかった。つれあいは「雨だから旗は仕舞ったみたい」と言う「オイオイオイオイ、洗濯モンのパンツやシャツじゃあるまいし雨そこらで慌てて取り込むか?旗印という言葉があるように(われこそはここにあり)精神で旗は使うものではなかろうか。帰途「ショボい」!と落胆の心を胸に南下しているとつれあいが遂に「半旗」を発見した。ヒライあたりあるドコモショップ跡のジミン党事務所にそれはあった。それは「掲揚」というよりもお正月の門松の様に玄関先に存在している。「ショボ」。昨今、なかなか一致することの少ないつれあいとの意見が一致した事だった。

H.Jさんへのコメント

 私の住む南区では東南アジア系の二十歳位の男性の集団(5・6名)を見かけます。ベトナムの方だったんですね、土建や小さな工場で働いているようです。技能実習生なのでしよう。その昔は日本語学校が集落の空き家を使って開かれていました。20名程が男女混じりで合宿していて、ひと月ほどで居なくなる事を繰り返していました。これは中国の若者たちだった。この日本語学校は程なく廃れてしまいした。彼らはどこに行ったのでしょうか。

2022年9月25日日曜日

T.Mさんへのコメント

 


浜田省吾お好きだったんですね。「ハマショー」と聞いて一番に思い出したことがあります。私が歳二十五の頃、高校三年の女生徒達と一年間お付き合いをした経験です。彼女達は「ハマショー」に夢中でした。1978年、昭和53年頃のことです。いくら夢中でも彼女たちはお金を持っていませんから、浜田省吾氏も稼ぐのが大変だったのだろうと推察されます。それにしても、17歳18歳の持つところの「これはほんまもんや」と見抜く感性には驚かされます。私も彼女たちも卒業して40数年、合うことはありませんが、倉敷のコンサートに誰か行ったのかしら。ちなみに私の連れ合いは歳三つ下でハマショーではなく五輪真弓やペドロアンドカプリシャスですね。私はといえば、平浩二 バスストップ。だったりします。