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2012年9月25日火曜日

オスプレイ飛んだ つづき


オスプレイ飛んだ つづき

こんな新聞記事を読んだ。9月24日の「赤旗」一面。赤旗は月3400円で他の新聞より高いけれどこんな記事が載るからやめられない。興味のある方は「ぽちっ」として読んでもらうとして、つまり「オスプレイ」の配備をこのクニは断れないということだ。アメリカとの「約束」でそうなっているらしい。アメリカがこのクニにどんな武器を持ち込もうと「是非は言いません」と約束しているのだから後は「唯々諾々(イイダクダク)」と従うしかないわけだ。

これって、「クニの主権」との関係でどうなんだろう。

2012年9月23日日曜日

オスプレイ飛んだ


オスプレイ飛んだ

と、書いたらこんな童謡を思い出した。

『しゃぼん玉

 

しゃぼん玉 飛んだ

屋根まで飛んだ

屋根まで飛んで

こわれて消えた

 

しゃぼん玉 消えた

飛ばずに消えた

生まれてすぐに

こわれて消えた

風 風 吹くな

しゃぼん玉 飛ばそ

 

1922(大正11)

作詞 野口雨情・作曲 中山晋平』

しばらく、「しゃぼん玉」を「オスプレイ」に変えて歌ってみた。それだけのことだ。なぜそんな連想を私がしたかというと

『あなたへ』森沢明夫(幻冬舎文庫)を最近読んだせいだ。この同名の映画シナリオを小説仕立てにした本のなかで童謡「しゃぼん玉」が小道具として使われていたからだ。それだけのことである。

さて、オスプレイ。この国での飛行映像をテレビで見た。これはヘリコプターというよりも飛行機だなと思った。ヘリコプターのようにも飛ぶことのできる飛行機だ。推力はジェットエンジン。ジェットエンジンを吹かしてその熱風でプロペラを回す(ターボプロップ)エンジンだから映像を見ても離陸の時(着陸も同様だろう)地面に炎を吹きつけているように見えた。だからこれに乗り降りする昇降口は機体の後ろにある。横だと炎にあぶられたりプロペラに巻き込まれたりしかねない。いやその前にエンジンの炎を受け止める滑走路はアスファルトでは無理だしコンクリートでもどうなのだろう。戦闘だけではなく人命救助にも使えますとは宣伝だが、救援にこれを呼ぶには相当の覚悟がいりそうだ。まず火傷の心配はしていたほうがいい。こうしてみるとオスプレイ様式の飛行機の用途は「戦闘」用に限定されるのではないか。

機械は複雑になればなるほど故障しやすのだから、このヘリもどき飛行機はその複雑さにおいてみても故障の確率は高いだろうと私は思う。「安全宣言」をした政府は正気かしら、原発の「安全神話」の例もあったことだし。

2012年9月17日月曜日

「改憲賛成」65%


「改憲賛成」65%

毎日新聞15日付の見出しだ。へーと驚き目が点になった。パソコンの傍らの15日付の新聞を片付けられないでいる。「毎日」が行った全国調査の結果だそうだが、2009年時点の調査より「賛成」が7ポイント増えたということだ。この変化は統計的に無視できない数字だろう。2009年から2012年、この3年の間のどこかに節目があったのだろう。それがどこであったか私には解らない。

「改憲」を言い立ててきた人々が、戦争放棄条項「9条」を目の敵にしていたことは周知の事だから、これは戦争参加(加担)への賛同なのだろう。と私は考えた。

 

この2日ほどこの事をどう解釈するか、頭の片隅で考え続けて、私はこう思った。

「われとわが身、家族を守るためには、戦争を選ばない」という価値観がこれまでの我々の思考の中に存在していた。しかし「われとわが身、家族を守るために、戦争を選ぶ」この思考が我々の大半を占めるようになった。と。

ブログの話題は、できる限り愉快なものを(為にならなくても)と、心がけてきたけれど、今回ばかりは、そうもゆかないみたいである。

2012年9月12日水曜日

おめえの案に乗っちゃらー


別にそれしか買えないわけではない。ホカホカ弁当屋さんで「マツタケご飯」の幟旗を横目にして「海苔弁当」を購入した。別にそ​れしか買えないというわけではないのだけれど、食えばその「海苔弁当」のオカカ部分にはマツタケの香がしているのだった。なんだか得したような気分?だ。それにしても、ホカ弁屋さんの厨房はどうなっているのだろう。
と、書いたのは少し前の事だが、私の愛好するホカ弁屋での見聞を書いておこう。

通っているその店は様子を構わない、一言でいうと「だらしない」。たとえば、冷蔵ショーケースの中でのこと。何かの拍子に「ミックスジェリー」が「ミカンジェリー」に傾いた(寄りかかった)らしい、圧し掛かられた「ミカンジェリー」はもう10日ほどそのままにされている。

「昭和」の食堂はこんなものだったな。私はこの雰囲気を好み、通っている。

 さて、海苔弁当の出来るのを待っていると、中学生がやってきた。手には千円札を握っている。注文もそこそこに、携帯電話を使っている。聞けば「おめえの案に乗っちゃらー」。どうやら遊び?の待ち合わせの約束をしているらしい。贔屓目に見ても模範生徒ではない彼だけれど、おじさんは感心した。「いくつかの案があって、それぞれの案を吟味し、そのひとつの案に乗る。」この手続きは大人でも出来ていないのではなかろうかと。

昨今の党首選びの過程に於いて「おめえの案に乗っちゃらー」みたいな「案」についての論議はあるのかしら。

2012年9月8日土曜日

「ぶー」のこと


「ブー」のこと

近所で見かける犬に、体重が人ほどもある犬がいる。こちらを見ては威嚇して顎を上に向けて吠える。そのくせ尻尾は振っているのだから、人懐こいやつなのだろう。セントバーナードみたいだが、あれ程大ぶりでもない。犬種はどうでもいいけれど、なんと言う名前を付けられているのか気になっていた。それが明らかになった。

今日の事だ、彼?は折良く開いていた門扉をすり抜けて「自主散歩」と洒落こんだらしい。家の周りを徘徊している彼?を門扉のところで手を腰に当てて飼い主が呼んでいる。見れば妙齢の女性だ。

「コラー!ブー。はよーかえられー(早く帰られ)」

素直に帰らない「ブー」に、彼女は一言「鉄拳食らわすぞ」。

「ブー」が鉄拳を食らったかどうかは知らない。しかし、犬の暮らしもなかなか大変なところもあるのだな。と思ったことだ。

2012年9月5日水曜日

わたしは此処でなくてもいい

『ブロガー』というのは、私が投稿に使っているブログ管理者なのだが、時々フリーズして投稿できなくなる。今書いているのは復旧したからなのだ。ことほど左様に「ヒト」のたずさわることは、不完全で不安定なのである。
「お願いしてまで投稿したいわけではない」から、投稿できなければ放っておけばいいのだ。けれど、デモなー、それができないから復旧するためにあれこれの工夫を試みた。ネットで探ると「投稿できない」という悩みは『ブロガー』でなくてもよくある事みたいだな。

さて、火事の事ばかり書くのは恐縮だけれども、表題にもどって。
焼け跡に家族の住む家を「再建」しようとして「どんな家がいいのか」とつれあいに聞いたところ、「わたしは此処でなくてもいい」と言う。これには、火事に逢ったと同じぐらいに驚いた。この地に住んで、寺の過去帳によれば13代目になるらしい私の発想には「ここ以外の何処か」は無かったのだ。
後日、つれあいと同じ年頃の女性と話をしていて、この発言に驚いたと言うと「そりゃー、そうじゃ。女のひとは、嫁ぐことを前提に考えるから、ここでなくてはダメとは思わんわー。そりゃーアンタが男じゃからじゃー」と言われて、私の困惑の原因が解った。
ヒト人類が永く母系を辿ってきたこと。このクニでも母系の痕跡があること。などなどは「本」からの知識では知っていた。(たとえば「家族・私有財産・国家の起源」)
しかし、私は、こんなに簡単に「13代目」が否定されるとは思ってもみなかったのだ。

やや在って、私はこう思った「我が家系(父系)の一代目はもしかしたら『私は此処でなくてもいい』とつれあいに言われて私の焼いた家(地)に越して来たのだろうか」と。
おふくろはこの借家に越してきた後、キュウリの種を蒔いた、毎日水やりをして、そしてこれを収穫した。このたくましさは何処から来るのか。
我々が生き延びるためには、 この際「父系」を棄てて、「母系」を辿るべきなのかもしれない。

付記。
おのれの書いたことを、改めて冷静に読み返してみると、「わたしは此処でなくてもいい」という事と「わたしはアンタでなくてもいい」との間の垣根はそう高くはないのである。

2012年8月27日月曜日

セーフティーネット

このあいだからわたしは保険金のことを盛んに書いている。この御仁は、わずかなそれでも、手に入れたのがよほど嬉しかったと見える。
つれあいとしみじみ話したことだ。「これは公(おおやけ)のセイフテーィネットではないけれど、でも助かるよなー」と。
思わぬ事で困窮した者には「セイフティーネット」は必要なのである。

それはそうと、何時のころからか私を尊重することを止めたつれあいは「あんたは保険の事を馬鹿にしていたくせに」と言う。挑戦的だなこういう言い方は。でも、反論の余地はほとんどない。それにしても、保険おたく?の彼女は、どうやら、家だけでなく、私の命にも保険を掛けているらしいのだ。そんなに「頼りない」かね私は。

2012年8月26日日曜日

メカ好き・乗り物好きには堪らない記事

メカ好き・乗り物好きにとって、アメリカ軍が日本に持ち込んだ輸送機「オスプレイ」は興味深い乗物だ。ところが「こいつは危ないぞ」と言われて、防衛大臣だったかアメリカまで行って早速試乗した。「危なくない」が彼の感想だった。これを聞いて、その昔、腸管出血性大腸菌、「O157」騒ぎの時、当時の大臣「管」氏がカイワレをテレビカメラの前で食べてみせた事を思い出したことだ。彼らには気の毒だけれど、事の本質はそんなところにはないのである。
飛ぶにしろ、地上に戻るにせよ、長い滑走路を「飛行機」は必要としてきた。一方、「ヘリコプター」は校庭の広さががあればどこでも着陸できるし飛び上がることができる。
そんな美女と野獣が一緒になりました。というのであるから「いったいどうなってんの?」とテレビレポターみたいに興味津々なのも解ってもらえるのではなかろうか。
さて、「しんぶん赤旗」のスクープ?記事であるが、これの詳細はリンクに譲るとして、記事の肝は「オスプレイの回転翼の大きさは、艦船上で運用する必要に規定されてヘリコプターのそれよりも小さくなっている。 オスプレイの回転翼の羽根のねじれは、ヘリモードでのホバリングと固定翼モードでのプロペラ飛行の両方を可能にするための妥協として設計された」ということだろう。
つまり、車にたとえれば、駐車場に合わせて、車体を切り取ってしまったようなものなのである。
それはそれとして。
この記事の指摘することが正しいのであれば、「オスプレイ」設計技術を安全の方向に振れば我々の夢の乗り物も可能ではなかろうかと考えた。
もっとも、わずかな火災保険金を手に「ナンダカ金持ち気分」の私ではオスプレイのタイヤすらも買えはしないだろうが。
それはそうと、オスプレイ。タイヤは付いていたっけ。

2012年8月22日水曜日

ご注文の本が

火事騒ぎですっかり忘れていたけど、公民館に頼んでいた本が来た。注文したのは火事の前だから、四つ角で不意に昔の自分に会ったような気分だ。
拾い読みしてみた。

「マチンガは、わたしがすっかり仲間になったと感じるたびに、わたしのの心をくじいた。マチンガは、口約束のみで、後に代金を支払ってもらう約束でわたしが前渡した古着を何度も持ち逃げし、しばらくするとしれっとした顔で戻ってきた。マチンガは何度も嘘をついてわたしからカネをかすめ取り、鞄に鍵をかけることをすっかり諦めさせた。」

「彼ら言葉はいっけん矛盾だらけに思えた。」

「たとえば、交渉中に何かを思いついた小売商の目がキラリと光る瞬間。すました顔で「たかり」をやり過ごしていた中間卸売商の口元がニヤリと持ち上がる瞬間。警官を発見し、荷物をひっつかんで逃げる真剣な横顔にどこか楽しげな笑みが浮かぶ瞬間。消費者に商品を売りつけて振り返った行商人の茶目っけたっぷりな顔・・・・。わたしはこのような彼らの表情や態度にみられる軽やかな生命力に、心底、魅了されてしまったのだ。」

この本は民族学の論文なんだけれど、この語り口に惹かれた。読んでみようと思っている。

簡単に選り分けて、分析して、結論を得て、解決。そんな事柄に出会ったことは少なくとも私にはない。(大阪の彼には出来るみたいだが)


一皮めくれば

先に書いておいたことだけど、片側二車線の豪華な道の傍らに住んでいる。慣れつつあるが、大型のトラックがスピードを上げて走り抜けると家はグラグラと揺れる。平らなように見える道だけれども、微(かす)かな段差やうねりがあるらしい。アスファルトの下は田圃だったんだろうから、畔(あぜ)や水路が隠れていて道が不均等沈下をしているものらしい。

今朝の事だが、歩いて300歩離れた「ゴミステーション」に生ごみを持参した。ゴミステーション脇に田圃が残っていてその上だけ、朝5時のまだ暗い空間をツバメ達が盛んに飛び交っている。田圃に生息する虫を捕獲しているものらしい。子育ての最中なんだろう。子育て中はどの親も忙しい。
また300歩の帰り道を歩いていると、後ろから、スズメの群れが石つぶてのごとくに追い越して行った。彼らは体型からしてツバメのように、「ヒラリヒラリ」とはゆかないものなんだと感心?した。稲の穂が出始めるのはまだ10日ほど先の事だから、もう少しの辛抱だ。
そういう目でみれば、傍らのガソリンスタンドの屋根ではカラスが歩哨のようにあたりを睥睨(へいげい)している。
一皮めくれば、古層の上にこの町は在るのである。

2012年7月15日日曜日

焼け跡生活

パソコンも本もミィーンナ燃えてしまった。6月12日未明、自宅を全焼した。これを書いているのは、家から20km離れたところだ。着の身着のまま路上に投げ出されてみれば、わが身を証明する物とて何も無く、翌日は連れ合い共々、まづ運転免許証の再交付に半日を費やした。
こうなってみると、住居を焼き払うという行為(例えば空襲)がどんな深いダメージをヒトに与えるものなのか身に染みたのである。
7月17日追記
火事の顛末を書き記す余裕は未だない。今日はこれから罹災証明書を消防署に貰いに行くところだ。
たくさんのコメントありがとうございます。「総員退避」の決断が早かったので、ヒト三名、犬五匹、ネコどもは全員無事で暮らしています。

2012年6月4日月曜日

テッペンカケタカ

「テッペンカケタカ」
昨日の水利組合の溝掃除に心身ともに疲れたものか、夜、横になっても寝付かれない。
鳥は昼に啼くもの(夜は寝ているもの)と思っていたが、昨夜は、夜っぴて「テッペンカケタカ」と啼く鳥が近くの樹の枝にいた。考えてみれば、聞き様によっては、気にさわるヒトもいる啼き方だ。ヒト皆寝静まった夜更け、眠ることもままならずに、人知れず悩んでいるヒトだって居るはずだろうもの、夜っぴて啼き暮らすとは神経のないやつだ。
注意してやろうと「名前」を検索した。声の主は「ほととぎす・ホトトギス・子規・時鳥」だって。有名な鳥だった。そういえば「子規」も神経に障るような物言いもするヒトだったな。と思いはあらぬ方向に逸れてゆく。
なおも検索していると、「ホトトギス」が夜っぴて啼く時はひな鳥が「巣立った」後だという記述に出会った。そうしてみれば、昨夜のホトトギスは母鳥で、子の居なくなった心身の空虚を満たすために啼いていたものか。といらぬ擬人化もしてみるのである。

話は変わるが、大阪の市長がツイツタ-で呟き始めた。彼の呟きはホトトギスに比べても、下品で仕方ない。今回は、言い訳から入って、こんどは頑張る。と展開するパターンだ。それにしても彼の支持層は「何があってもブレない」姿勢(スーパー政治家橋下)に幻想を抱いていたのではなかったか。「時の流れ身を任せ~」、言説をコロコロ変えるおヒト。これって支持層の最も卑下する既存の政治家像ではなかったか。

2012年6月3日日曜日

水利組合

水利組合

私の生息する谷では、今年も稲が作られようとしている。(私はここ二年作るのをやめているけれど)

こんなチラシを10数枚作って配った。「手書き」にしたのは、私の好みだ。この方が良いとは思いませんか。どこまでもロマンチックなおヒトなんだな私は。
午前六時、外を見れば小雨模様だ、さてどうなるか。雨が降らなければ溜池に水は溜まらない。さりとて雨中の草刈りは億劫だ。


さて、雨はあがり。みんな集まった。今日は学区の体育大会が重なったので、三名抜けたが、十名集まった。記念に一枚。

前期高齢者、中期高齢者ばかりだが文句あるか。
草刈機を持たせれば、若者には負けない。
こんなように
こんなように刈ってゆく。谷に流れる水を貯めている田もある。
池に上がれば、四国の原発からの50万ボルト送電線は、不気味な「チッ・チッ・チッ・チッ」を云っていない。
愚かな国策のこと、なんて今は考えないで。次の池に行こうか。
愚かな国策が、頭上を50万ボルト送電線として通過しているにせよ、我々は自らの裁量で稲を作ったり(作らなかったり)する。それこそが「自治」の基本ではなかろうかと愚考した。
さて、本日の相談で、池の水を落とす日は6月6日に決定した。田に水を引き、畦(あぜ)を取り、代(しろ)かきをして、早ければ6月10日から田植えが始まる。
お望みならば、そのあたりの事を御報告してもいい。

2012年5月28日月曜日

鳥の啼くように

鳥の啼くように

朝4時を過ぎると、空が明らんでくる。すると鳥が「我慢出来ない・切羽詰まった」と啼きはじめた。それは、いつものこと、「お約束」事だ。でもなー。と私は思う。個々の鳥にしてみれば、そんな事関係ない。今朝の夜明けと「一期一会」の「一世一代」の会話なのである。命とはそういうものなのではなかろうか。
これを、




やっと読み終えた。音楽に喩(たと)えるならば、これは「交響曲」だろう。私は彼女(加藤陽子)の「練習曲」「習作」は興味を持ってできるだけ聞いて(読んで)きた。しかし、「練習曲・習作」を集めただけでは、「交響曲」にはならないのである。ところどころに優れた興味深い「フレーズ」が潜んでいるとはいえ聴き終えて統一した感慨は無かった。これはおそらく相異なるふたつの主題を彼女がひとつのものに「昇華」出来なかったからではなかろうか。ふたつとは、ひとつは「誠実で、愚直」な昭和天皇像と、もうひとつは天皇を「神」と信じ、自らはもとより他国民にもまた多大の犠牲を出したこのクニの国民、言い換えれば我らの父母。彼ら(彼女ら)が参加した戦争のこと、である。
ともあれ、彼女は彼女の声で啼いた。私も調子っぱずれと言われようと自分の歌を自分の声で啼く他になかろう。

追伸。
何回でも、いや何十回でも、同じ問を繰り返そう。我々はどんな論理でこの社会を「統治」されてきて、どんな論理で「自治」しようとして来たのか。と。

2012年5月24日木曜日

2012.5.24の日記

2012.5.24の日記

日付が変わってから犬どもと散歩。いつものコースを行く。今日は新月なのか?夜道が暗い。冬ほどではないが、この季節にしては星が良く見える。(宇宙は膨張している、さればとて、そのうち星無き空なるという。そうなんだろう。永遠のモノなどひとつもない。星がなくなれば、神話を星に託して民族の物語を説明することは難しくなるだろうなと考えた)。
南の夜空には「サソリ」が昇っている。この星座を見れば、また夏が巡ってきたと思う。(永遠のモノなどひとつもない。だがしかし、それだからこそ?永遠に近く毎年時を定めて、現れるモノに我々はヤットコサ支えられているのではなかろうかと考えた)。
「どうなんだ。おまえたちは?」とそこらを嗅いでいる犬どもに聞くと、「オレたちはコンニチただ今の事にしか興味はないさ、オジサン」だって。

2012年5月23日水曜日

あんたの続け文字は

あんたの続け文字は

少し東の空が明らむ朝四時を過ぎると、近くで鳥が啼きだした。「ツーピー・ツーピー」と囀りはじめている。余裕のない切羽つまった啼き方だ。体の底から湧いてきた力をこの空間に撒き散らさざるを得ぬ、それの他に我が命なしみたいに。

私の親爺は大正の半ば生まれ。(ちなみにオフクロは大正末年生まれ)。私が二十歳の頃のこと、家を離れて一人暮らしを始めたら、オヤジからハガキが来た。それが縦書きの続け文字で読みづらい(いや読めなかった)。それで「あんたの続け文字は読みづらいです」と書いてハガキを出したら、読める字で返事がきた。計算してみれば、彼はまだ五十代の始めだったんだな。あのハガキ今何処へあるのか出てこない。彼は1991年に死んだからもう20年か。
こんなやくたいもない事を書きつけるのは、この頃、折にふれて、私の好んで読むものは、大半がすでにこの世に居ないヒトビトの書いた物であることに気付いたせいだ。
それはそれとして、ブログ・ツイッター・フェイスブック。生まれて間もない、これらの表現媒体に係わるヒトビトは現存している者が大半であろう。これからこの媒体はどう変化してゆくのだろうか。紙に書かれて読み継がれて来たもののように、生死にかかわらず、そんな事関係なしに、豊かに在り続けられるのだろうか。
今は、皆、切羽詰まった様に啼く今朝の鳥のように啼いているけれども。

2012年5月21日月曜日

日蝕

日蝕

「一陣の風がドーッと吹いて、辺りが少し暗くなった。物という物の輪郭が朧(おぼろ)になり、境界は滲(にじ)んでいる。カラスが山で騒ぎだした。」宮沢賢治ならこんな書き出しで始めるだろうか。
凡才の私は、そこら辺りの紙に爪楊枝で穴を開け、カレンダーのウラに欠けた太陽を拾ってみた。



報道では直接見ると目を痛めると盛んに警告している。してみれば、毎日そこにある「太陽」さえ我々は直視することなしに暮らしているわけだ。これは比喩としては「タブー」みたいだと思ったことだ。

2012年5月19日土曜日

六名乗車。計十三名 つづき

六名乗車。計十三名 つづき


新幹線。草一本生やさぬように想定されているこの交通システムは、食料を生産することのない空間である。がしかし、皮肉なことに、ここには大量の食料が運び込まれている。弁当、酒、菓子、コーヒー。ヒトは食わずには生きてはゆけない。

さて、病院にいってみれば、あたり前のことだが、「病人」「病院関係者(職員)」「病人関係者(家族)」その三者にしか出会わない空間だった。

そんな空間にしばらく居たら、こんな、一節を思い出した。以下
『「どんな患者が来ようと、病気には三種類しかない。ほっておけば治る病気と、ほっておけば死ぬ病気と、ほっておけば治りもしない、死にもしない病気の三種類。この三種類を見分けるには、勉強は要らない。勘だけ鋭ければいい。お前たちの勘はいいことがわかっているから、その勘を使って、その三種類を見分けなさい。」そのあと、どうするんですか、と聞きますと、「この患者、ほっとけば死にそうだ」と思ったら、「世の中には偉い先生がたくさんいるんだから、できるだけ早く偉い先生のところへ送りなさい」って言うんですね。「そこで死んだからといって、おまえたちの責任ではない。偉い先生は何のためにいるのか、ただ高い給料をもらっているのではない。ほっとけば死ぬような病人を助けてやるから価値がある。この人たちに患者を送るのに何ら抵抗を感じることはないんだ。」そう言われて目が開かれたようなきがしました。パッと。
精神科をやることに決めたのも、そこではほっといて死ぬ患者が少ないからです。僕みたいな医者がやっても、害が少ない。』
「一精神科医の生活と意見」 なだいなだ 『林精神医学研究所報』1983年3月より抜書き。

二十日迄。というので

二十日迄。というので

一人で、県立美術館に「ベン・シャーン」を見に行った。行くと決めて、つれあいを誘うことも考えたが、「相手の都合に合わせる」のは私の性に合わない。「自分勝手だ」という日頃の彼女の謗(そし)りを証明することになるが。これ以上評価の下がることのない者の強みだ。



私は「ベン・シャーン」のことを、「アーサー・ビナード」氏の導きによって知っていた。しかし、 『ここが家だ・ベン・シャーンの第五福竜丸』の絵本を買おうとは思わなかった。絵本なんか子供のものと思っていたからだ。どんな理由でこの本を探して買ったか思い出せない。奥付を見れば「一刷は2006年9月30日。私の持つものは八刷2011年3月14日」。こうしてみれば、福島の原発事故の衝撃が、私を変えたのだろうか。
県立美術館の感想を述べれば、その量に圧倒された。アーサー・ビナード氏が構成し文を加えた 『ここが家だ・ベン・シャーンの第五福竜丸』は「ベン・シャーン」の七十数年の生涯のほんの一年の仕事に過ぎない。そうして、残された彼の作品はどれもこれも、彼にしか出来ない彼自身の表現であった。これは優れた芸術の特性であろう。しかし、ここだけの話、彼は「絵」が下手である。サラサラと書いてそれがまるで「生きているよう」だ。みたいなことはない。それでも彼は『ナチスの残虐』を『労働者の現実』を『原子力利用の現実』を彼の知りうる限りの情報を使い書いた(それもあらゆる表現方法を使って)。このことは、ここだけの話、我々凡才を励ますことであろう。下手でも稚拙でも書いておこうと。
ここまで書いて、またこのアメリカのヒト二人によって成された絵本に戻って考えた。「ラッキードラゴン=福竜丸」の事はまさに、掛け値なしで、このクニの人命と財産を犯された事件だった。それにも関わらず、我々は彼らのような仕事をすること無しに来た。それは何故か?と問わざるをえない。
それは、「タブー」がそうさせたのではなかろうか。菊タブー、ツルタブー。~~タブー。我々の思考は、我々気付かぬうちに、それらのタブーに囚われていたのではなかろうかと考えた。そうであるならば、今現在に於いても我々はタブーに囚われているであろう。私のタブーとは何か、あなたのタブーとは何か、我々のタブーとは何か。

2012年5月17日木曜日

六名乗車 計十三名

六名乗車 計十三名

身近の者が、手術を受けるという、それも、全身麻酔でという。意識が有ろうと無かろうとそんなにレベルの変わらぬヒトだが、立ち会ってほしい。という。然らばと三重県は津市にバスと新幹線と電車を乗り継いで出かけた。私の棲息する所は。元々島であるから、バスの便は朝と夕方の離島連絡船みたいになっている。都市の周辺地域はどこも同じようなものだろう。
これがいわゆる「上り」のバス時刻。それから「下り」は下に。二日後帰宅時には18時52分着の便を利用した、我が停留所で二名下車。バスには運転手と他一名の乗客が残った。

朝九時の定期上りバスに乗った。我が停留所からは六名乗車。後ろの席から数えてみると計十三名がこのバスの乗客だった。雑巾を絞るように捻れる度に「ギシギシ」音をさせて走る。ディーゼルエンジンの振動で車体の隙間という隙間が「カタカタ」共振している。
レンズを外に向ければ、「児島湾大橋」が見える。

1983年に完成したこの橋を伝って産業廃棄物がダンプカーに乗ってやってきてからもう三十年だ。
産廃施設を抱え込んでしまった地域の住民の反応は二通りに別れるだろう。ひとつは「慣れてしまうこと。」もう一つは「そこに、この社会の矛盾と非道を見出すこと。」
バスは岡山駅を目指して「ギシギシ」「カタカタ」と走るのであった。
次の日の朝、津市の東の空にはこんな朝日がのぼった。