2012年2月29日水曜日

タイマーとカメラ

タイマーとカメラ


家事ごとに欠かせないタイマーだが、いつもならば「ピーピー」とうるさく急かしていたのに、突然音が出なくなった。スピーカー部にゴミでも挟まったのかと、爪楊枝の先で突ついてみたりしたら今度は表示がいなくなった。いつもの様にいじり壊したか。



気を取り直してフィルムカメラの保管に使っている除湿庫の中を漁ったらタイマーに合う「ボタン電池」が見つかった。電池を入れ替えたら動き出した、やれやれだ。前よりも大きな音で「ピピピー」と急かす。



久しぶりにカメラを取り出してみた。重さといい、パシャと落ちるシャッターといい、メカニカルだ。写すよりもカメラの構造それ自体に惹かれた時代があったなー。



このレバーを動かすことでフィルムを巻きとり、ついでにバネに力を貯めて、シャツターを落とす。

干しサンマのこと

サンマ干し

生のサンマ(解凍)を背開きにして強めに白くなるほどに塩をまぶして10分ぐらい放っておいて、そのままじゃ塩がきついだろうから水洗いした。
それを、昨日の夕方網に入れて外に出しておいた。雨が降るとの予報で、今日の夕方取り込んだ。丸一日外気に晒した。
こんな感じ。


よく見ればそれぞれの尾の形が違う。ひとつとして同じ物はないのだ。ひとつとして同じ事は起きないのだ。と思い知る。


そういえば、このあいだから作っている麹も、同じ手順を踏んでも、出来上がりは微妙に違う、発酵ものはそこのところが面白い。時間が、いや時間こそが発酵の最大の要素なのだ。

2012年2月25日土曜日

炊飯器が壊れた

炊飯器が壊れた

プロパンガスを使う炊飯器だった。安全装置が作動しっぱなしなのか、スイッチを押すと「ボーッ」とガスが燃えるけれど手を放すと消える。(原発の安全装置もこうであったらよかったのだけれど、と思ったことだが詮無い事だ。いまさらながらあの燃料は一旦火をつけたら消えないのだもの、つまり山火事みたいなものだ、消えるまで待つしかない。それに灰の毒性がすごい。こんな燃焼物を扱えるほどヒトはお利口さんではないよな)
日々のことだから炊飯を省略するわけにはゆかない。土鍋で飯を炊くことにした。悩ましいのは水加減だ(米と水との割合)。「貧すれば鈍す」というけれど、そんなことはない、いいことを考えついた。水加減は壊れた炊飯器の内釜で計ることにした。「お前は今日から計量カップという厨房の恋人

さてこれで計って
沸騰したら弱火で15分程か。蒸気にお焦げの匂いがしてきたら火を止めて蒸らす。お焦げが剥がれやすくなるほどに。
こんな感じ、つれあいは「お焦げ好き」なのでお焦げ部分は彼女が独占することになっている。

あるリサイクルの現場

あるリサイクルの現場

幹線道路沿いに数年前に出来た24時間営業のスーパーマーケット(ハローズのことだ)。ここは「資源ごみ回収ボックス」が充実しているので、ペットボトルを持参した。ビン・カン・トレー・牛乳パック・等々、客はさまざまな資源ゴミを持ち寄り、ボックスに投入している。ついでに買い物もするらしい。

外での作業は年配には過酷だろう
「お世話さま」と、いつ行ってもボックスに付きっきりの年配の女性に声をかける。「兄ちゃん(これは私のことだ)そのネットの中に入れておいて」。ペットボトルボックスの中にはネットでできた袋が潜んでいてそれを引っ張り出したところらしい。「ぎょうさんあるなー、土日が多いかな」と聞けば、「そう、でも土日は業者が引き取りに来んの」問わず語りに彼女は続ける「でも、夏場よりはマシ、夏場はこんなもんじゃない」

争って大量に生産し、大量に消費している我々の生活、百円市が八十八円均一市になり、ゾロ目市七十七円なるスーパーマーケット達の底の抜けた競争。リサイクルのシステムが機能しなければ我々はゴミに埋もれてしまうであろう。その仕組みを我々は識ろうとはしていない。これは片隅の、ささやかな報告である。



2012年2月24日金曜日

石油ストーブ

石油ストーブ


春めいてきたとはいえ、深夜に起きだしてみればストーブを燃やしたくなる。点火して五分ほど経てば、火は立ち上り空気を取り込みつつ燃え始めた。


「ボッ・ボッ」という連続音を発しながら燃えている。芯の出し入れをし、火筒を調整してやれば、音は消え静かに燃焼している。その炎を見ながら「我が命も同様」のことだと思う。

燃料を入れて、空気を取り込み、静かに燃えている、そんなひとつの個体。それが「ストーブ」であり、「我が命」の形である。

冬の夜長、様々な時代の、様々な所で、「命」は燃え続けていた。

九十年前に燃え尽きたひとつの「命」にひとつの形を与えたひとつの詩。「やさしくあをじろく燃えてゐるわたしのけなげないもうとよ」宮沢賢治「永訣の朝」。

詩として、歌として、祭りとして我々の命は受け継がれ続けている。それを、「愛」と名付けてもそんなに問題ではなかろう。

2012年2月18日土曜日

麹づくり 顛末 2

麹づくり 顛末 2

麹は米に取り付くカビでしかないのだから、それを生やすのにそんなに神経質になることはない。「水」と「温度」と「空気」があればたちまち繁殖する。

これが今回使用した麹種、値は二百円程か、レトロなデザインが頼もしい
 そういえば、ヒト人類の友「水虫」もカビだそうだ。
それはそうとして(このイメージは捨てて)我が家で麹を作るには少し乗り越えねばならないハードルがある。それはネコだ。
麹づくりの理想は、炬燵みたいな空間に、蒸して水分を充分に吸った米粒を入れて温度を与える。炬燵ならばスイッチを「ポチ」とすれば、空間はたちまち40度Cぐらいにはなる。あとは空気だ。それは、さらし木綿に麹をまぶした蒸米を包み、それを「もろぶた」(私は稲苗を作る苗盆を使っていた。サイズは30センチ×60センチ)に平均にしておいて~。
しかし、すると、外気温零度の寒さに震えているネコは炬燵の中に入るのである。おまけに、いい匂いのする米粒が目の前にあれば、齧ってみたくもなる。それは困るのである。だから、炬燵の空間に直接に鍋に入れたコメ(麹をまぶしつけたそれ)を入れることにした。空気はどうするのか?それは、時々鍋を出して、混ぜることで供給する。それ以外にあるまい。

こうして、コメを蒸した
湯を沸かしたのだから。とゆで卵を作った。我ながらチイセー男だ。

こんな鍋に入れた
これがカビの付く前の蒸米、麹菌は振ってある
これが、製造工程を変更させたモノども


交渉人

あるブログに「コメント」しようとしたが上手く行かなかった。それで、ココに載せる。興味のない方は無視して下さい。
「ネゴシエーター(交渉人)

発言をたびたび修正(撤回はしない)する彼(橋下)は「なぜ間違っていたか」「なぜ修正するか」のかは言わないこれが、交渉人の特徴だろう。
それはどうしてか、彼が真底の交渉人(例えば弁護士)以外の何者でもないからではないのか。(本当の彼はそこには居ない・本当の彼は別の所に居る?)
つまり、彼は「誰かの」代弁者でしかないからである。
その「誰かとは誰か」
口汚く罵(ののし)る対象ではない。庶民の憎むところの既得権者でもない。〇〇でもない。と消去してゆけば「誰が」残るのであろうか。」

2012.2.17の日記

2012.2.17の日記



風荒く、空の高みで吹きすさぶ日。しかし、日差しは日ごとに強さを取り戻しつつある。この風に乗ってか、遠くのヒトの話し声が聞こえている。鼻に掛かったカン高い声だ。聞くともなしにいたら、昔の事を思い出した、昔は野良にヒトビトがたむろしていた。仕事半分、世話ばなし半分でワイワイやっていた。今から思えば「政治向き」の話もよくしていた。出来たばかりの「公明党」のこと、今は亡き「社会党」の奮闘のこと、など。むろんコメや野菜の値段など百姓向きの話題に交じっての話だ。どの政党を支持するか、支持無しであることは考えられなかった。そうしてみれば、みんな政治のファンだったのだ。ちょうどAKB48のファンが投票するように。


さて、遠くからの話はいつもの「自慢話」のようだ。ヒトビトは政治の話をしなくなった。当時に比べて生活費の中に占める公共費用(国保料・介護保険料・税の数々)は格段にその閾値を増しているにもかかわらず。


つまりそれは、政治が遠くなったということなのだろうか、それとも深く浸透してしまったということなんだろうか。これが成熟社会の必然なんだろうか。


「物言えば唇寒し冬の立ち話」

犬とのこと

犬とのこと


雨上がりを待って、犬どもと恒例の夜の散歩。犬どもはいつものようにご陽気だ。春の気配に誘われて伸び始めた草の葉先を食い千切ったり、花芽を用意している桜の木に肥やしを掛けたりしている。一方、私はといえば、少しく内省的だ。「俺は、つくづく好むか好まぬかでしか生きていないな」と考えたりする。

どちらも同じ、気ままに暮らしているのは同じだろう。と犬が私を見上げる。

2012年2月13日月曜日

麹つくり 顛末 1

麹作り顛末


叔母が、味噌を作るという。味噌には麹と豆と塩が必要だ。叔母は「あんたには麹をお願い」するという。それで、久しぶりに麹を作ってみようと思い立った。麹は用心しないと酒に変身する。上手く出来るかしら。

まづ、コメを搗こう。
ひたすら洗う
まだ洗う
今日はこのくらいでコラエてやろうか切りがない。

麹はもう良い匂いがしてきている、絵も記録も、とるのを忘れていた。今のようすを撮り行こう。


もう、お気づきだろうが、麹作りに定番の晒し木綿布、もろぶたとかは使わずにいる。面倒なことは嫌なのだ。そのあたりの無謀な冒険について以後書いてみたい。

2012年2月10日金曜日

春が来た

朝から小雪のチラつく寒い日だ、窓から庭の犬を見れば、前足?で掘った穴凹にピッタリ填(ハマ)って丸まっている。そのフカフカの尻尾で鼻先をピッタリ押さえて。名を呼んでも頭も上げない。むろん尻尾は振らない。寒にひたすら耐えているのだ。暑さにも寒さにも弱く、なお堪え性のない私から見れば「偉い」。こんなガマン、私には出来ない。

午後、あまりの明るい日差しに、西向きの窓を開ければ大量の風が吹き込む、冷たく棘のある風ではない。温められた大気が膨張して余ってしまった感じ。こんな時「春が来たな」と思う。風になぶられていると、同じ感覚を二十歳の時にも持った事を思い出した。季節の移ろいはそうそう変わるものではない、この我が感性もまた同じだ。二十歳の時と違うのは、この風に時おり産廃施設の焼却炉の匂いが混じっていることだ。
社会は変化しつつある確実に。

2012年2月6日月曜日

好戦の記憶

好戦の記録
またしても、自慢だ~。この前「防空電球」を取り上げたら、思わぬ反響が、お年寄りからあった。若者は今少しの未来が在るのだから私としては「年寄り」を楽しませたい。
早くも話題がそれるが、象が65歳になったと、ニュースで聞いたが、ソレより長命の象がいないのは何故か、それは殺してしまったからである。
以下、「岩田 宏」氏の詩

「動物の受難
あおぞらのふかいところに
きらきらひかるヒコーキ一機
するとサイレンがウウウウウウ
人はあわててけものをころす

けものにころされないうちに
なさけぶかく用心ぶかく

ちょうど十八年まえのはなし

熊がおやつをたべて死ぬ
おやつのなかには硝酸ストリキニーネ
満腹して死ぬ

さよなら よごれた水と藁束
たべて 甘えて とじこめられて
それがわたしのくらしだった

ライオンが朝ごはんで死ぬ
朝ごはんには硝酸ストリキニーネ
満腹して死ぬ

さよなら よごれた水と藁束
たべて 甘えて とじこめられて
それがわたしのくらしだった

象はなんにもたべなかった
三十日 四十日
はらぺこで死ぬ

さよなら よごれた水と藁束……

虎は晩めしをたべて死ぬ
晩めしにも硝酸ストリキニーネ
満腹で死ぬ

さよなら よごれた水と……

ニシキヘビはお夜食で死ぬ
お夜食には硝酸ストリキニーネ
満腹して死ぬ

さよなら よごれた……

ちょうど十八年まえのはなし

なさけぶかく用心ぶかく
けものにころされないうちに
人はあわててけものをころす
するとサイレンがウウウウウウ
きらきらひかるヒコーキ一機
あおぞらのふかいところに」

野暮な付け加えをすれば「きらきらひかるヒコーキ」は1945年日本の主要都市を無差別に爆撃したB29のことだ。つまりこの詩は敗戦18年後に書かれた。
寄り道はここまでにして、自慢に移ろう。これを見てくれ


酒杯だ。どうやら、私の祖父が兵役を解かれた時に「記念」として作ったものらしい。「退営記念」と読める「衛生部」とあるのは彼が「衛生兵」だったせいだろう。(このことは生前の彼から聞いている)。さてもう一つの同じデザインの杯もある。

これには「帰休記念」とある。この言葉の意味は考えてみる価値があるだろう「予備役」としてとの意味か。いづれにせよ、兵役を終え帰郷した時には、親戚一同を集め「宴」を設ける風習があつたと想像されるのである。
我が祖父は1895(M28)年生まれ、二十歳のころ兵役に就いて数年後に退役(退営)したとするならば、1916(T5)~1919(T8)年の間に作られたと考えられるのである。ちなみに彼の長男(我が父)は、1920(T9)年に生まれている。
どちらの「杯」にも共通に強調されている言葉は「人ハ武士」である。ここから百年近くたってようやく「人ハ武士」などではなく唯の哺乳動物(ソレもかなり愚かな)であることが共通の認識となりつつある。
日清戦争 1894年
日露戦争 1905年
満州事変 1931年
日中戦争 1937年
太平洋戦争 1941年
慌ただしく戦争を重ねて行ったこのクニに於いて、こうしてみれば、我が祖父の世代は幸運に恵まれて、こんな杯を弄んだ世代と私は考えた。彼らの息子どもは、太平洋戦争で戦死した者が多いのは、言うまでもないだろう。そして、彼らの棲息する地域にも空襲が襲いかかったのである。



2012年2月1日水曜日

「公務員」考

「公務員」考

身近に公務員がいないわけではない。私自身も公務員の子として生まれた。二十歳過ぎまで、親の行う公務に対する報酬で養ってもらった。その事実を消すことはできない。その上で「公務員考」を書いてみたい。
まずひとつの体験から述べよう。
私の棲息する地域(町内会単位でのそれ)に公園がある。二十年ほど前に河川敷を利用して作られた。その管理は市がしている。事の発端は、幅10メートル程のその川に何の必要もない橋が掛かったことにある。市の公園課に聞けば「管理上必要」との事だった。値は100万円。これが、私がこの公園の管理費のことを調べる必要を感じた理由だ。市はこの公園に年に300万の管理費用をかけていた。その額についてはそれが相場であるかどうかは問わない、しかし、どうにも変だ(おかしい)と思ったのは、その総面積1ヘクタール程の公園の管理組合(これは管理を委託した業者とは別に町内会の関与で出来た任意団体-つまり300万とは別)に公園課が除草剤を年間60本支給している事だった。(1ヘクタールの除草には一回一本で済む。おまけに管理を委託した業者の管理以外の範囲は皆無だろう)これを調べて、数日後、管理組合の者から脅しの電話があった。「いろいろ、嗅ぎまわっているみたいじゃなー」。との事だった。これは、市の公園課が管理組合に情報を漏らしている以外にあり得ないことだ。と公園課に執拗に抗議した、しかし、相手はへらへら、笑うばかりで、「そんな事はない」と最後は、課長補佐まで出てきて答えるばかりだった。今でもそいつの首を閉めてやりたいという衝動にかられる。これが、私の公務員に関する記憶だ。どんな職種にもいろんな人物が混ざり込んでいる。それは知っている。しかし、職務に求められている基本を逸脱して許されるのは「公務員」の特権だろう。
さて、沖縄防衛局、長の講話。「共産党」2012.1.31の国会での告発(暴露)が無ければこの無法(法律違反)はまかり通っていただろう、関係者以外に知られる事なく。
感想を箇条にしよう。
1. やりそうなことだがやはりやっていた。このクニの公務員の遵法精神はレベルゼロであることを証明した。
2. どんな選挙であろうと、その選挙結果が公務員の思惑を超えて働くこと。このことををはしなくも実証している。つまり公務員は多数には従わざるをえないという論理の認識。
3. このことは、「橋下」等を代表とする論調、「公務員の待遇を叩く」論調と連動しそうだ。しかし、これはまた別のことと区別しなければならないだろう。なぜならば、「待遇」いかんにかかわらず、公務員には公務員としての分限と職責を守る義務がある。たとえ、無給であっても、公務員にはやってはいけないことがあるのだ。
4. 言い訳がすごい「選挙に行くように言っただけ」とはお笑いだ。防衛省の職員とその親族はそんなに市民意識の低い人々の集まりなのだろうかそうは思えない。「選挙への参加」の呼びかけは、私の地域でも市の広報でされるけれど「防衛省」からされたことはないぞ。