2011年5月27日金曜日

夢見る資格4

「チ・チ・チ・チ」と音を発している送電線めぐってあれこれ思いつくことを述べてきた。

いずれにせよ、送電線網、それに連なる巨大橋網、そのむこうにある原発群。この国策による開発は、他にも同様に新幹線網。高速道路網。空港網。とそれぞれの地域の善意?を集めて建設されつつあったし。今もある。そうして、我々の生活を一変させつつあったその夢の綻(ほころ)びもまた顕(あらわ)になりつつあった。いや、何よりその夢への痙攣(けいれん)的批判を集めて「政権交代」が数年前にあったのではなかったか。

「野良君それが歴史の流れというものなのだよ。」という声もする。「それが資本主義というものなのだよ」という声も聞こえる。「あんたはあんたの櫻の園を追いかけている愚かものだ」という声もする。

私は「夢見る権利」を否定しない。しかし、最初に書いたように、夢見るにはそれ相応の資格が必要だろうと考える。

(この数十年、「夢見て来たものども」がどのような振る舞いをしてきたか、解体的、解剖的 分析的批判が必要だろう。これは「科学の目で原発災害を考える」(不破哲三)に詳しい。)

その上で、我とわが身にこれまでと違う夢を「夢見る資格」有りや無しやと問うているのである。

2011年5月25日水曜日

夢見る資格3

夢見る資格3
「未曾有」という言葉が原発事故の直後流布されたが、ほどなく廃れた、地震も津波も「未曾有」ではなかったことが明らかになった為だろう。しかし、福島の原発の周り数十キロに人っ子ひとりいなくなった今、この言葉は新しい文脈で使うべきだろう。「無人の地域が広がっている。こんなことは、この列島にヒト人類が住み始めて以来、まさに初めてのこと=「未曾有」である」と。
さて、話題にしているこの送電線は1994年から運用開始されている。四国の伊方原発は1977年より運転。瀬戸大橋は1988年開通。と、こうして西暦を並べてみれば1980年代が国策巨大事業のある終結点ではなかったか。(この国策がこの列島の住民の「民主主義」の帰結であったかどうかはまた違う論議を待たなければならぬだろう。ほどなく「IT・IT(Information Technology」と自民党の森(首相)がうわ言のように言い始めるのは2000年のことである。)
ここに、ひとつの町内会役員が辞任する旨を記した町民宛の「おしらせ」を紹介したい。
相手は国策であったのであるからひとたまりもなく「送電線反対」は葬りさられた。(おそらく殺られた当人もこの事態の根深さに気付いてはいなかった?)これまで培ってきた、ありとあらゆる愛着あるものを無慈悲に押し流してしまう国策という津波は1984年にこの村を襲ったのである。
そうして、この何十倍かの国策の津波が40年前に福島県の海辺を襲ったであろうと私は確信している。
(引用するにあたり、地名、人名は隠した。同じ立場に立ったどの町内でも同じような事態があったであろうと一般化したいがためである。)
「  おしらせ 最終号
 長い間お世話になりました。
 あつく御礼申し上げます。
 私達四人は、今後の町内会について、十分相談してみました結果、これ以上つづけてゆくことは、町民の皆様に、大変御迷惑をおかけするという結論に達しました。
 本日をもって辞任いたします。
 ここで、つつしんで、私達の進んできました経過をまとめさせていただきますと、──
 私達は、95パーセント以上の町民より、いただいた50万ボルト送電線設置反対の署名と、以前役員会で決定しました設置反対の議決、さらに、交渉窓口は、会長一任という議決、以上三点を堅持しつづけて参りました。これについても悔いるところはありません。
 皆様よく御存知のように、現在は、50万ボルト送電線設置につきまして、私達の堅持してきました100パーセント絶対反対の意見と、町内会役員の中の推進求利者とが、全く正面からぶつかり、(御存知ように他のこと(盆踊りなど)にも、支障が出てきました)対立しています。私達の辞任は、これ以上、この町内会をつづけてゆくことは、町民のみなさんに御迷惑をかけるという判断にもとづいた結論であります。ご了承をおねがいいたします。
 なお、気にかかることは送電線を設置すれば、多額のお金が○○へはいるので、分ければよい、という人の声も聞きましたが、これは、そんなに簡単なものではなく、全くデマであると、電源の人(○○氏)も言っています。
 このあと、運営に支障をきたさないように、早く総会を開いて、よい町内会が誕生し、さらによい町づくりがなされるように、望んでやみません。
 私達も、辞任いたしましても、ひきつづき、○○の美しい自然を守りつづけたいという気持ちに変りありません。どちらが正しいかは、長い歴史が裁くことでしょう。見守りたいと思います。
 力の無い私達が、十二年間もつづけて来られましたのは、皆様の心からの、御協力と御声援のおかげに外ならない、と思います。感謝の気持と満足とで胸は一ぱいであります。
 我達の祖先が残してくれたふるさと○○が、いつまでも美しく、光かがやくようにと、願ってやみません。

 1984年9月1日  」             
こうして、町内会役員を追放したいわゆる「推進求利者」たちは、めでたく一億円を手にすることとなる(ちなみにこの額はこの町内会の125年分の予算額に等しい。三桁ちがうのである)。むろんこの金は国策による金であるから、蛸が自らの足を食うみたいなものである。30年後一千兆円の借金をこのクニは抱える事となる。そして、この町内の一億円はすでに無い。我々は夢見る者どもの宴の後に立ちすくんでいるようなものかもしれない。

2011年5月1日日曜日

夢見る資格2

夢見る資格2 

  
遠景

これは、私の棲息する村を横切る50万ボルトの送電線である。「電源開発」という会社が管理している。会社は本四連系線という名をつけて四国の原発で作った電気を瀬戸大橋を経由して関西方面に流している。


上は我が家から見た絵



溜池から見上げた絵
これについては2010.9.5「池のこと また」と題してのこのブログに記したことがある。
『見上げれば50万ボルトの高圧電線がある。雨の時や湿度の高い時にはいつも「チ・チ・チ・チ」と放電しているような音をさせている。』
いわばブキミな予兆としてのその音になぜ私が反応したか、その理由を書いてみたい。