2014年7月7日月曜日

オーデオつづき

オーデオ装置を「感と経験」で。イヤ「経験」は無いから「感」だけで組んでみた。片方のスピーカーが鳴らない。ガリガリ音のする音量ツマミをみぎひだりひねってみると、かすかに音を拾っている、接触が良くないらしい。なだめてナダメて音を出してみた。オオ、ステレオになったぞ。バランスツマミを右に回すと左から音が出ている?そうこうしているうちに出てくる音が次第に鮮明で繊細になることに気づいた。調子の出るまでにしばらく暖機運転が必要ならしい。これは面白い。

五味康祐という作家がその昔いた。彼はオーデオマニアで「オーデオマニアは結局接触マニアだ」と看破していた。今になってみればそうだと思う。音が鳴るようになれば、今度はCDの音が飛ぶように思える、それでCDクリーナーもいるかなと思う。LPレコードを持っていなくてよかった、針だ埃落としだとこれも大変になるところだった。FM放送を聞くのが手間いらずだけれど、浪曲の後にオペラだったりする。聞きたいものを聞きたいのだ。ところで、接触マニアの辿り着くところは、たとえば「屁の音」をどれだけ臨場的に再現できるかみたいなところに行き着くのではなかろうか。五味康祐はどんな物を聞いていたのか気になるところだ。

オーデオ、承前。冷静になって?見てみればこのオーデオ装置のパイロットランプが二箇所ほど点いていないことに気づく。さてどうするか。30年前に戻りたいわけではないから、このままにして置くか。と思う。残念ながら、時は巻き戻せない。このことを同世代の安倍氏に伝えたい。私はこの時代の発する音を聞くだけでいい。彼の頭の中で鳴っている音は何か。だいたいのところ想像できるけれど、考えたくもない。

オーデオ、承前。初心者にとって「接触」はオーデオ技術の全てだと言ってもいいか。左のスピーカーの音が出たり出なかったりする、コードをいじると決まった方向でそうなることを発見する。断線を疑ったが、そうではなかった。機器側に問題があった。スピーカーからの線を受けるターミナルをある方向に押すと症状がでる。ヤッターついにハンダごての出番だー。イヤまて、冷静に「どこが切れつつあるか確かめよう」と蓋を外した。基板をためつすがめつ見るがよく分からない、しかしほんの少し基板をしわらせると切れたりつながったりしている。基板の中の断線らしい、素人にはお手上げだな、先走ってハンダごてを買いにゆかなくてよかった。しばらくして、このまま黙ったままのオーデオと向い合っていてもしょうがない。と気付く。

オーデオ、承前。パワーアンプの壊れたのを幸いに?違うオーデオシステムからアンプを移植した。鳴る。それもかなりの良い音だ。移植したアンプを見てみると、ふたつのスピーカーシステムを鳴らすことが出来るらしい。そうならばと、移植したアンプと同居していたスピーカーを運び込んだ(かなりの重さだった)。鳴らしてみた。すると腰抜けするほどへんがない。どこがどうというわけではない、「メリ・ハリ」がないのだ。蓄音機の音を大きくしただけ!と感じた。名のあるメーカー製のオーデオシステムには見向きもせずに、オーデオマニア達は資力と体力の限界までかけてオリジナルのシステムを組む。その意味が解った気がした。それにしても新しいアンプ、かなり熱くなる、アンプの上にアルミホイルを敷いて目玉焼きを作ってみようかしら。


オーデオ、承前。私のステレオ装置は1970年代から1980年代にかけて作られた物が多い。チューナーしかり、アンプしかり、スピーカーしかり。当時の価格もバカにならない、今でも躊躇する値段だ。どうして少なからぬ若者達がこぞって夢中になったのか。いや、そればかりではなく車にも夢中になっていた「ケンとメリーのスカイライン」は1970年代だ。メーカーが製品をさかんに作ったのはそれが売れたからだけれど。購買の原動力は「自由」だったと考える。ハンドルを握れば好きな時に好きな所に行ける自由。好きな音楽を好きな時に繰り返し聞くことの自由。今、車もオーデオも若者たちの興味の対象から外れつつあるけれど、「自由」を求める要求は廃れることはあるまい。

2014年7月2日水曜日

オーデオ装置を

朝、涼しいうちに、とオーデオ装置一式を廊下の網戸を開けて運び込んだ。すると新たな発見。網戸が破られている。ここから覗いて毎朝餌をねだる猫のしわざらしい。先ほど起き出してきたおふくろに「ほら見ろ、猫をネコカワイガリするもんだからこのザマだ」と言うと「あら、ホント、猫じゃろうか?」という。後ろにばったり倒れそうになるところを、ストレスの棒でやっと支えているところだ。ところで、オーデオマニアは私より一世代前に多いような気がしている、獣臭いベニア張りの離れの小部屋(当時の子供部屋はみんなこんな感じだった)で蓄音機に毛の生えたような装置でビートルズを聞くのがその時代の若者の典型だったのではなかろうか。その世代の一部分が凝った作りのオーデオ装置を手掛ける仕事に付き、同世代がその製品を盛んに購入した時代があった。何はともあれ、御託を並べるよりも音が出るようにしてみよう。何よりもパソコンと違って「ライセンス認証」みたいな事を言わないのがこの業界の良いところだ。
追伸
「ソフト、ハード」という概念で考えてみれば、我々世代とその前の世代は共通して稚拙な「ハード」の世代だった。電気関係は真空管を使っていたし、内燃機関は白煙をあげる2サイクルの時代だった。国内産の「ソフト」は無いにひとしかった。
50年かかってこの構造は基本は変わっていないと思う。
追伸の追伸
給与一月分を叩いてまで、手に入れたかった「音」とは何か。それはすなわち、蓄音機で聞いた「ビートルズ」を代表する西洋の「ソフト」だった。彼らが「美空ひばり」や「文楽の語り」を発見するには今少し時間がかかったのではなかったか。