2010年8月31日火曜日

にわか雨、カミナリ、停電

カミナリが来た


様子のいい娘の言うことなら、たいていのことは「おおそうか、そうなんだ。ごもっとも」とおじさんはヘラヘラ聞いてきた。しかし、「あしたも、猛暑日になりそうです」と言う天気のおねえさんにだけは「ええかげんにせえ」と感情的になった。それほどこの夏の暑気には、切羽詰るところがあった。

ようやく、雨がカミナリとともにやって来た。風も吹いている、叩きつける雨粒に混じって舞い上がった土ぼこりの匂いがする。

パソコン箱を開け「あめが~」と打ったとたんに、「パシャ」という雷鳴を合図に電気が落ちた。

電気を使って表わす「文字」や「絵」、つまり、パソコンやテレビを取り上げられてみると「本当のこと、物や事の芯の部分は伝わらないもの」と思ったことだ。思い返してみれば、神戸の地震のとき、中心部の震度は空白だった。いや、
地震に限らず、論理と想像力だけが、ともすれば、空白である物や事の本質部分を解き明かそうとするのである。

と、ここまで考えたところで電気が回復した。さあ、チャラチャラブログに戻ろうか。

2010年8月30日月曜日

恋はゲームじゃ

「恋はゲームじゃなく」


作曲:来生たかお 作詞:来生えつこ 『マイ・ラグジュワリー・インザナイト』のさびの部分だ。次に「生きることね」とつづく。ともすれば、恋もゲームになってしまう事を戒めたもの。と年寄は聞いたが「よけいなお世話」であるか。せいぜい馬の後ろには近づかぬようにしよう。

ところで、私がなんでこの歌詞を思い出したのか、すっかり「ゲーム」と化した政界芝居を見せられているからだ。「カネ(金)ギーホール民主」は1年前にオープンしたものの、出し物はお粗末。音は外すは、歌詞は忘れるは、台詞は棒読みだは、で客はドンビキ。近頃は菅孤鳥(かんこどり)が鳴いている。「なに?客がいない!そんじゃあワシにも歌わせろ」とオーナーが言い出してテンヤワンヤの騒ぎ。

この騒ぎの本当の原因は「ひとりじゃなんにも決められない」このクニの属国体質のせいだろうと私は考えている。

さて、この「ゲーム」、どんな結末であっても「反省」は聞かされまい。と書いて、このうえなく上等の「反省」を思い出した。其れを引いて、終わりにしよう。今日も暑いのか。

『  帰 郷

柱も庭も乾いてゐる

今日は好い天気だ

    縁〈(えん)〉の下では蜘蛛の巣が

    心細さうに揺れてゐる



山では枯木も息を吐〈(つ)〉く

あゝ今日は好い天気だ

    路〈(みち)〉傍〈ばた〉の草影が

    あどけない愁〈(かなし)〉みをする



これが私の故里〈ふるさと〉だ

さやかに風も吹いてゐる

    心置なく泣かれよと

    年増婦〈としま〉の低い声もする



あゝ おまへはなにをして来たのだと……

吹き来る風が私に云ふ 』

    中原中也 1907~1937(M40~S12)詩集『山羊の歌』より

2010年8月27日金曜日

不思議なズボン

たかがズボン、されどズボン。近頃はパンツというのか?じゃあ、我が家の犬猫と私を隔てるただひとつ指標であるパンツのことはどう呼べばいいのか。


ことほどさように、コトバと物との関係はひとすじなわではないみたいである。

このズボンは、穿いている時は長ズボン、干すと半ズボン、それではと穿いてみると長ズボンになる「不思議なズボン」なのである。

ちなみに横にあるのは連れあいのズボン。こうして並べて干してあれば若い時には、股間にかかわる、いや沽券にかかわると、ずいぶんココロ傷ついたこともあるが、いまでは「イヤミ?」か!ぐらいのことである。

2010年8月25日水曜日

池のこと

池水を抜く




雨は降らない。今日は朝から池水を抜きに上がった。

排水路に水は無い


水はこのくらい。池は大きな茶碗みたいなものだから、このくらいでもあと半分あるかどうかだろう。ちなみに下に8月10日の絵



抜けば涸れていた沢を水は落ちて行く。

沢音を後ろに聞きながら降りてゆけば、「稲の葉先に時をきめて昇る水玉」(永瀬清子詩集・私は地球)をみる。




ところで、どうして池水を抜きっぱなしにせず、断続して抜くのか。その理由は以下

1.ひでりがいつまでで続くかわからない

2.池の水には限りがある

3.断続排水の方が、水の消費は少ないだろう

さてこうして、三日にあげず池水を抜いている訳だが、人里では何事もなく水を待っている訳ではない。10日ほど前の夕方、百姓仲間がたむろしているところに行き合わせた。「もうワシの田には水は来た、池は止めたらどうか」とか「なんで、わしの田の水口を止めたんなら」と百姓根性丸出しの文句ばかり。皆さん私よりも歳は上だから私には好きな事をいう。稲を付けていないギャラリーもヘラヘラ笑って見ている。私の頭の後ろの方でプチンと何かが切れた音がした。「○○さん言うとくけど池を抜いとる時には、水のことはワシが判断する」、以下、理由を私は「まくしたてた」が、合理的でも、論理的でも無かったと後で考えた。全ては私の判断のしからしむる所なのであるから。私は百姓なのでいつも鎌ぐらいは持ち歩いている。そちらの方が説得したのか、その場からギャラリーはコソコソと三々五々にいなくなり、百姓仲間も不承不承に散開した。

限られたものを、平等に分配することは、そんなに簡単なことではない。池水の分配。こんな「ちっぽけな公共」でさえこのありさまである。
さて、野良に棲息するヒト人類どもにメンタマをひんむいた私の矜持とはと私に尋ねれば。
「文句があるなら、あんたがしなさい とは口が裂けても言わぬこと」その上で
「この先、雨なしで池水が枯渇し、稲の収穫に支障が出た場合、私は、まず私の田の稲を犠牲にする。そうして、そうしたことは、口外しないこと」であるようだ。

おお、コドモっぽい「ヒロイズム」だと笑わば笑え。「こうさせてもらいますから、私には、こうしてもらえますよね」みたいな野卑な論理しか、今は流通していないのではないのか。それに比べれば少しはましだろう。

2010年8月22日日曜日

「盆」には先祖が帰ってくるという。さて私にとっての先祖とは、と考えてみたが、見知った数名が思い浮かぶだけで、その先はおぼろである。「盆」とはいえ、見知らぬ者どもにドヤドヤ上がり込まれても、こちらは戸惑うばかりであろう。「わしゃ~、あんたのじいさんのじいさんになる。これは嫁」と杯を差し出す赤ら顔に酒をつぎながら「そうなんですか、で、そちらの方は?」。

そんな、やくたいもないことを考えていたら、室生犀星 1889~1962年(M22~S37)の詩を思い出した。

切れ切れの記憶をもとに、インターネットで検索してみた。「好めるオモチャ」「あみがさワラジのたぐい」「おのれちちたるゆえ」を「犀星」とともに検索にかけると『靴下』が出てきた。

『 靴下


毛糸にて編める靴下をもはかせ

好めるおもちゃをも入れ

あみがさ わらぢのたぐひをもをさめ

石をもてひつぎを打ち

かくて野に出でゆかしめぬ



おのれ父たるゆゑに

野辺の送りをすべきものにあらずと

われひとり留まり

庭などをながめあるほどに

耐へがたくなり

煙草を噛みしめにけり 』

(室生犀星「忘春詩集」) 1922(T11)犀星33歳。     

年賦によれば、32歳で授かった子(溺愛したと書いてある)に33歳の時に死なれている。その時の体験をコトバにしたものらしい。

「会うは別れの始まり」であるから、残念ながら誰でもいとおしい者を失う。しかし、ここまで、簡素に鮮明に、記録したものをあまり知らない。

「をも」の連発の仕掛けは、文(文章)は初めの一行目から順番に読み進めてゆくという法則を巧みに操っていると感心する。「石をもてひつぎを打」つ空しい音が聞こえてくるようではないか。90年前の事だ、今は見かけなくなった縁側のある家での情景を想像した。

しかし、何より、私がこの詩をいつまでも忘れられずにいる理由はそんなことだけじゃないだろう。ここには、近代になって初めて表現しえたところの精神のかたち(ある意味で雄雄しいそれ)があるからではないだろうか。
付記。たとえば、宮沢賢治「永訣の朝」と読み比べてみてください。かたや信者としての別れ、かたや宗教を媒介とせずに、いとおしいものとの別れのかたち。

2010年8月20日金曜日

インターネットに考

今日も今日とて、暑気(35℃を越えていたらしい)にもかかわらず、池水を抜きに上がった。暑いのでそんな事をスルのは御免こうむりたいのである。しかし、暑気=雨なし=水不足=溜池の水が要る。の等式は「さあ、サア、さぁ~、サァ~~、抜いてもらいましょう」とメンタマをむいて迫って来るのである。

それはそれとて、夕方5時の野良で、巨大な入道雲を北の空に見た。あれの下はさぞかしの雨と思ったことだ。視界いっぱいに広がるそれは今にも雨をもたらしそうでもある。さてもさても、彼の地は何処ならんと、家のパソコン箱を開け、雨雲レーダーを見れば。80kmかなたの中国山地の盆地の上の事であった。

インタ~ネットを覗きだして1年余り、この者は商品説明と世間話が得意なだけのもの。とタカヲククリつつあったが蒙を啓することもあることを知った。

2010年8月17日火曜日

10.8.16のメモ

どうにもこうにも、暑いから家に籠ってエアコンの風に浸って居る。風車のごとくに、やたらにクルクル回る電気料金メーターを見るとめまい(眩暈)がするのは、猛暑のせいなのだろうか。


たしか去る5月には。なに~?!。「暑い?」「かかって来い!」と言っていたはづなのだが。「ヤメテトメテ、やめてとめて」と暑気から逃げまわっている。

弱音を吐くまでもなく、つれあいはこう言い放った。「あんたは、自分にアマイ」。

2010年8月11日水曜日

池水を落としに また

      昨日の事だ池水を抜きに上がった。




この道を上がれば池堤
水はこのくらい。もう10年も前の事になるが水質検査をした。保険所によれば、沸かせば飲めるということだった 。
ザーという音とともに谷に落ちて行く。

眼下の谷をくだり、海までの田や畑を養う。





2010年8月7日土曜日

池水を落としに

溜池の水を抜きにあがった。池堤よりの画像。記録を見れば8月4日4時47分とある。対岸の街の灯りはまだはっきり見えている。
水は満杯である。この先、雨がなければ、この水で眼下の田や畑を養う。
この池に行くには、歩いて登る細い道しか無い。先人はユンボもブルトーザーもない時代にこれを造った。

8.7の完璧な日記

8月7日、本日は頭上から押し付けるような熱気がなかったようで楽だった。ちなみに最高気温は32℃であったそうだ。この気温を「楽」と感じるのは、いつのまにか暑気に体が慣らされていたのだろう。ヒトの適応力おそるべし。

「たとえば」と考えた。この適応力は「貧困」「消費税」「失業」「戦争」においても有効に働くはずだろうと。

『1945年8月6日の朝
  一瞬にして死んだ25万人の人すべて
   いま在る
   あなたの如く 私の如く
   やすらかに 美しく 油断していた。』
    石垣りん詩集 『挨拶(原爆の写真によせて)』部分 思潮社版16ページより。

2010年8月6日金曜日

雉のこと

カルガモよろしく子供を引き連れて散歩?している雉(メス?)に出会った、何処で、畑で。サトイモの葉陰に草に隠れていたので近くに行くまで気づかなかったのだ(互いに?)。キジが以前から山に棲息しているのは知っていたが、人家のすぐ近くまで降りて来て、おまけに子育てを始めていたとは。
畑といえば、今年のトウモロコシは、例年どうりの防御をしていたのに、網を食い破ったキツネ?にほとんどを食われた。半分齧って放ってある美味そうなそれを見た家の者は「キレイに食べりゃー、ええのに!」と御機嫌ななめである。「おう(会う)たらそうゆう(言う)とく」と、とりなしたものの、今だキツネにはお目にかかっていない。(目撃談はあれこれ聞いた。かわいいコドモを連れていたとか、いや私が見たのは一匹だけだったとか)
見慣れぬ、野生動物を身近に観察できることは、楽しく愉快なことではある。しかし、それだけでは済まない深刻な地すべり的変化が野良にも起こりつつあるのだろう。
私の集落では、ここ10年で稲をつける(栽培する)百姓は半分になった。
このことは、ファミリーレストランが半減したとか、コンビニに街の雑貨屋が駆逐されたとか、とは違った意味合いがあると私は思う。