2010年11月29日月曜日

「ほんにのうや」の郷

ほんにのうや」の里から、野菜を取りに来いという嬉しい命令が届いた。イヌの尻尾が私にあれば、横振り、縦ふり、グルングルン回しである。出かけた。
山に分け入れば、桜の木に種付けしたナメ茸がほれこのとおり、いやー「ゆたか」とはこういうことではなかったか。
義弟は、イノシシを数頭仕留めた。という、「撃ったんか」と問えば、「轢いたんじゃ」という?帰りは酩酊した私に替わり、つれあいがハンドルを持った。いつもは、「技量に合わせてユックリ行け、アクセルは控えめに、ブレーキは早めに」などとキラワレ口なのだが。昨日は「ドーンといけドーンと」などと言っていたのは何故なんだろう。

2010年11月28日日曜日

菅氏の勘違い

管氏の勘違い
APEC議長記者会見。 20101114日 。記者の質問に答えて、「管」氏の発言。
 「若い人が農業をみんな嫌っているのか。私はそうではないと思うのです。つまり,農業がやりたい,あるいは,農業ならやってみてもいいと,そういう思いを持っている若い人はたくさんおられると思うわけです。しかし、残念ながら,日本では農業をやっていなければ農地を買うことができないという農地法が」
「基本的に自作農を守るという立場で作られた農地法が,その後の時代変化の中で,若い人が農業に自由に参画する,あるいは,いろいろな,現在でも農業法人は認められておりますけれども,一般法人が農業に乗り出すといったことにかなり制約になっております。」
抜書きだから、正確を欠くかもしれない。彼のその場限りの思いつきであるかもしれない。違った日の、違った場所での菅氏の発言。1116日、衆院本会議。「若い人で農業をやりたいと思っている人はたくさんいる。自由に障壁なく農業に参加できるように農地法など法体系も見直す必要がある」(山陽新聞1117日より)
同じ記事に菅氏の現状認識がある「わが国の農業は貿易自由化とは関係なく、後継者難にも苦しみ、このままでは立ちゆかなくなる状況に陥っている」


このごろ、ブログの記事が長くなる傾向があって、自分でもウンザリしかけている。短めに済ませたい。以下、二三の疑問を述べて、感想を書く。まづ疑問。
1、            平均年齢、65.8歳を強調しているが、農業は家業で定年は無いのだから、定年のある業種との単純な比較は意味が無かろう。むしろ、家業の農業を何故、子が継ごうとしないのか、その事こそ問題の本質ではないのか、これは、農地法(の障壁)とは何の関係もなかろう。
2、            農業に参入するのに、農地法が障壁になっているという。どんな業種であれ、最低の資格は問われる、教師、弁護士、理容、美容、議員。資格を問われるのは当たり前ではないのか。そのうえ、「若い人で農業をやりたい人」と「企業の参入」を同列に扱うのは乱暴にすぎる。法の体系では個人と企業と法人はそれぞれ別の扱いを受けるのは常識だ。味噌も・・も一緒の議論は稚拙である。
3、            長くなるこれはやめて
感想である。以下
.農業生産物は商品であるが、特殊な商品でもある。我々は、それ無しには一日たりとも、生命を維持できない。米・野菜・肉などなど。これを工業製品と同列に扱うのはどうか。前にも書いたが、これ程、普遍、無償で流通している商品はあるまい。
2.いわゆるリーマンショックの時、どんな論議をしていたか、忘れたのだろうか。大量の労働者が巷に投げ出された時のことだ。「農業で吸収したらどうか」と政府も民間も盛んに言っていた。このように、景気の手軽な調節弁として、「農業」を位置づけてきた。粗末に扱ってきた、食い物にしてきた。これこそ、諸悪の根源ではないのか。
長くなった。


追記。手元に「農業委員会だより 72号」が配られてきた。「農地を売買・賃借したり転用するときは・・・『農地法の許可が必要です!!」との記事がある。罰則(罰金一億円)まで記載され物々しい。さっそく、電話を入れ、職員に聞いてみた、「罰則を適用された例はあるの?」と聞けば、「私はこの部署に20年いるが、記憶にない」とのこと。私の頭をよぎった事はふたつのことだった。1、みんなこの法を守るので適用例がない。2、適用する気がなく放置して、官民みんな適当にやっている。身近を観察すれば実態は後者であろう。
「そういえば」と私。「このまえ、農地法違反で、逮捕され市議会議員を辞めたケースがあったけど、あれはどうなん」と聞けば、「あれは贈収賄で起訴されたんです」とのこと、へー。
菅氏は「農地法」について、あれこれ言うが、まず厳密な適用を指示して見たらいかがかと思う(これこそが彼にしか出来ない仕事)。悪法も法なのである。現状のままで農地法をいじれば、「法に違反してないのだから」という理由で農地は企業に食い荒らされてしまうだろう。

2010年11月25日木曜日

おふくろの横書き つづき

10.10.30。メモについて書いた。その続報。
縦書きに戻った。
縦書き横書きの不思議を改めて感じている。

わたしは、こうしている

私はこうしている
このブログの、良き読者兼批評者、O先生に賄賂(新米の玄米)を持参した。先生は、金が無いのなら収穫物があるはず。と、資本主義以前の搾取をはばからぬお代官だが、金が無いのならオンナをと言わないのは、余程オンナに痛めつけられた過去がお有りなのだろうか。
それはそれとして、先生を前に、「今度のブログのテーマは『お手上げ運動』にしようと思う」と言ってみた。先生は、小粒なりといえども、マスコミの編集長であるから「運動」なる言葉には食いつきがいい。「そりゃあなんでえ」と身を乗り出す。
我々の日常は、歩いている時間より、車に乗っている時間の方が多い生活だけれど、車と車の付き合い方は難しい、互いに譲り合わなければならない場面は避けられない。相手への「感謝」をどう表現しているか、だいぶ前から私は意識して、手を上げて「感謝の意」を表わしている。オンナの人は最初こそ戸惑っていたが、最近はオトコと変わりなく、手を上げ返してくれるようになった。云々。
負けず嫌いなのか、先生は「そんなこたー、みんなしてる。ワシもしとる」という。譲ってもらっても平然としている者が多いので意識的に始めたのであるが、そうでもないらしい。

私が、車(バイク)を運転し始めた時は1960年代末だった。今よりうんと狭い道に車は溢れていて、「そこをどけ」「じゃまをするな」みたいなのが、一般的運転マナーだった。必要な時はもちろん、必要でない時も、クラクションをプープー・ブーブー鳴らすのが流行っていた、大きな音量の出るそれに付け替えて出陣する輩も珍しくなかった。そう「交通戦争」と呼ばれた時代だった。混み合った道で、バイクに乗った私の右足にさっきから何かが当たる、見てみると、車のバンパーが当たっていた。そんなことも思い出したぞ。
やんごとなきお方が、お手をちょっと上げて挨拶するように。知り合いにバッタリ合ってヤアというように。見知らぬ運転者同士が、挨拶する事が定着しているのであれば、それは成熟社会に近づきつつあるということなんだろう。

こんな事は、わざわざ(ことさら)こうしていると言い立てるような事ではあるまいに。私も負けずぎらいなのか、「スーパーのレジではどうしている。」と話題を変えてみた。みんな黙って品物を差し出して、黙って金を払って味気ないと思わないか。私はレジ係のヒトにまず「よろしいか」と声をかけ、支払いを済ませれば、「ありがとう」か「おせわさま」と言う事にしている。すると先生は、「わたしゃー、半額狙いで、たいてい閉店間際に行くから、店長まで顔見知りで、ヨー来てくれたと歓迎されとる」と相変わらず負けず嫌いなんだけど、これって、成熟社会の話題とどう繋がるんだろう。「貧困」とは繋がっているみたいだけれど。

2010年11月21日日曜日

日記

20101120日の日記
昨日、K氏より電話があり、署名活動を手伝って。と言われて、ノコノコ出かけた。場所は、コープの駐車場。計画中の産業廃棄物処分場に反対する署名集め。土曜日の正午前、三々五々買い物に訪れた、老若男女の大半は、わざわざ足を止めて署名に応じてくれた。思うに、原発や焼却施設や、葬祭場やと似て近くに住む者には迷惑な施設なのだから、表立って断る理由はなかろう。断るとすれば、「集めている者達がキライだ」ということだろう。私はすでに稼動している産廃施設に苦しめられている者だから、署名もするし、集めもする。

書き忘れているが、夜明けを待って、軽トラに「タコメーター」(エンジン回転数を表示する計器)を取り付けた。道を走る車にはこのものは本当は要らない、趣味の領域だ、だから楽しいし、愉快である。時速60キロの時3000回転。6000回転では120キロ、軽トラはそんなに出はしないし出さない方がいい。思い巡らせば、世の中には「タコメーター」しか付いていない四輪もあるぞ。まず田圃をノコノコ走るトラクター。それからサーキットを走るレーシングカー。

電気屋に行った。年80も半ばになり、目の衰えたおふくろが大きい画面でテレビを見たい、というので買いに行ったのだ。行ってみれば、エコポイント・アナログ終了がらみでものすごい混雑。店の者は「一時間、待ってもらいます」という。「安売りです」とチラシにあっても、買い手が殺到する状況では、商品の値段は高くなるのが、市場経済の第一法則だろうから、買わずに帰る。

久しぶりにLPレコードを聞く、デジタルを聴きなれた耳には、アナログの音は、けな気で切なく聞こえる。いずれにせよ、電気信号なのであるが。雑音混じりの中島みゆき「世情」を聞いていると、ある新聞記事を思い出した。それを記して日記を終えよう。

19731227日、朝日新聞
一人の男が、自ら命をたった。二週間ほど前のことだ。広告の世界、とりわけテレビCFの世界で「鬼才」といわれた人だった。杉山登志という。三十七歳だった。今月十三日の夕方、東京赤坂のマンションの自室で遺体となって見つかった。机の上に、原稿用紙が一枚さりげなく置いてあった。
リッチでないのに
リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません
「夢」がないのに
「夢」をうることなどは・・・とても
嘘をついてもばれるものです
日大芸術学部の学生時代から、この世界にはいり、日本天然色映画会社のデレクターとして、十三・四年もCFを作り続けてきた。発想のうえで、技法のうえで、いつもずば抜けていた、といわれる。「ほかのCFは杉山の亜流でしかない」と評価する人もあった。資生堂・女性用化粧品のテレビCFはほとんど彼の手になる。たとえば今秋のアイ・メイクのシリーズ。図書館で軽井沢で、中学生の男の子が、ふと中年の女性と目があい、淡い恋心をいだく・・・。ほかに「のんびり行こうよ、世の中は」の車。畑の新鮮な野菜が大写しになるマヨネーズ、など。製作本数は、平均して一年に六十本。仕事量がきわめて多いといわれるデレクターでも、年間せいぜい三十本どまりである。超繁忙であった。
酒をよく飲んだ。ウイスキーを好んだ。オンザロックを「破滅的」といわれるほど、ぐいぐいあおった。午前三時、四時まで、ほとんど食べず、ただ飲み続けた。ひと晩に一本あけた。
酔って帰る途中、自宅近くの三分間自動写真のボックスでよく、ひとり、写真をとった。「疲れた」とか「ハラが減った」とか彼がいうのを聞いた友人は、ほとんどいない。
彼のCFは「時代を二・三年先取りしている」と、よく評された。実生活でもその傾向があった。服装・長髪・ひげ・・・。ひげがはやりはじめると、彼はそり落とした。
妻や子はいない。最近繰り返し聴いていたレコードがある、という。「長くつらい旅だったでしょうね」という意味の言葉ではじまる、女性歌手ヘレン・レディーの「長いつらい登り道」である。』


ほんとうに、ヒトは成長したりするのだろうか、カップヌードルの残り汁、30数年前と同じように、内壁を底から上に箸の先で掻きあげている自分がいる。本当にヒトは変化したりするのだろうか。

2010年11月18日木曜日

オコゲ(飯)のコツ

おこげ()のコツ
男子厨房としては、「食べたい」と言うものを、作れなければ沽券にかかわる、「おこげ、そりゃーええわ」と言われれば作るしかない。しかし、これが意外と難しい、出来たり、出来なかったりで。
オコゲを好むつれあいに、「コツ」は何かと聞いてみた。というのは、彼女は小学生にして家の飯炊き係、兼務、風呂焚き係であり、その上「おこげ」作り名人だったからだ。
その昔の「名人」の家は専業農家で三世代暮らし、彼女の兄弟姉妹4名、両親、祖父母、とこう記しても、10人分の飯炊き。それに加え毎日、安定的に「おこげ」を供給していた彼女は「名人」と呼ばれてもよかろう。聞けばあれこれ思い出は語るものの、どうもコツなるものを彼女は考えてみた事もないみたいで、トンチンカンのやりとり末、私は解った。「良きおこげは、敢えておこげを作ろうとしない、欲なき精神に訪れる」という事を。
私も迂闊であった、30年近く彼女を観察してきて、なを、その性格のまま小学生であればそういうことなんだと発見した。
これからは、想像である。当時の彼女の行動についての。ハガマに米を入れ適当に洗い、クドにそれを仕掛けた彼女は、炊きつけに火を放ち、ハガマが沸騰すれば、どうしたか、遊びにいった。クドは、ガスと違い、幸い、熾き火が燃え尽きれば火は消える。放って置けば飯は炊けて、おこげもできるに違いない。やがて、遊び歩いた後、帰宅した彼女は、お腹も空いているし、おひつに入れるにはばかられる「おこげ」を、(固焼きの煎餅の様なそれを)晩飯前に心置きなく食らうことが出来ただろうこと。見たわけではない、これはあくまで想像である。
ハガマの中で米は、焦げ始めてから炭になるまで、ずいぶん余裕があるみたいでこれが小学生名人を生み出した一番の功労者だろう。
「おこげ」の良いところは、その香ばしさかもしれない。欠点はといえば、硬いところだ、差し歯では少しく尻ごむ硬さがある。香ばしさを活かして「おじや」に炊いたらどうだろうか。
これからは、小学生「名人」の呼吸で「おこげ」を作ろうと思っている。コツはただひとつ、遊びに行くこと、腹を空かせて食らうこと。
尚、「09.12.27」のこのブログを検索していただければ、飯炊きの項目があります。その時はまだ解っていなかった。

2010年11月16日火曜日

トウスとオデン

「トウス」をした。今日は後片付け。棚はまた棚に戻った。そして、いくばくかの米(玄米)が棚に載った。

「稲刈り」や「トウス」や、の報告をと思っているが、なかなか言葉にならない。そこで、オデンについて報告しよう。
毎年、ダイコンを見るようになると、そわそわする。オデンの季節だ。オデンは煮物だから、コトコトと火を通す。ひたすらにコトコトと。汁は澄んでいるのがいい。塩目はうすく、そのまま飲める様なのが好みだ。
ダイコンのほか何を煮るか、コンニャク、竹輪、タマゴ、アキレス、スジ肉、ジャガイモ、はんぺん、~~。でも主役はダイコンなんだな、作り始めよう。まず、下ゆでする。何もかも。
ダシのトリガラも下ゆでしている。
スジ肉も入れたぞ、これも下ゆでする。適当に、ゆで上がったら、スープを作ろう。

ダイコンなどは、他の鍋でまだまだ火を入れる。
スープはまだか。
いいかんじ。
スープに適当に味を付け、おおかた火の通った具を入れてコトコト。明日、煮直した方がおいしいという御仁もいる。今日は食わぬのかと思うと、食っている。
ついでに、オコゲご飯も炊いてみた。

2010年11月10日水曜日

車検!合格?

軽トラの車検
を受けた。合格?した。費用(手数料・税金・強制保険など合わせて)は2.8yen余。これ以上安く軽トラの車検証を手に入れることは出来ないものの、この価が適正か否かは私には解らない。(物の価の適正な価格は誰にも決められない)
私が、いわゆる「ユーザー車検」にコダワルのは、それが思わぬ知見を与えてくれるからだ。
例えば、この軽トラの最初の車検の時、ヘッドライトの光軸が適正値を外れていると不合格になった。プロに直してもらってアタフタと合格したが、合格の後、車検場の職員に「新車で買って、製造現場(メーカー)でこれでOKと工場から出てきた車が、どうして?」と聞けば「よくあること」と教えてもらった。つまり、製造過程(メーカー)の光軸の調整はイイカゲンが多いということ、新車は車検を受けず、3年?走るから、いいかげんな光軸の車はかなりあるだろう事。
知らなかったでしょう。これだからユーザー車検は止められない。
さて、あなたが自分で車検を受ける場合、水曜日をお勧めする。この日は、ほとんどの車屋(デーラー)がお休みの日で、車検場はたいてい空いている。
その際、これは、私が私に課したルールだが、車をイジル場合、ブレーキ関係には、触らないこと。走れない、それはいい。でも止まれないは、命にかかわる。止まる仕掛けはプロに任せよう。

無謀にも星空を

無謀にも星空を
撮った。O先生からは「挑戦してみる姿勢がいいですね。欲張らず、短めの露出から少しずつ時間を延ばして何枚か撮ってみてください。三脚は必須、できればレリーズも欲しいですが、デシカメの方に、長時間露光の設定があると思います。グッドラック」という引導にも似た励ましも貰っている。
欲でなければ星空など撮らない。「今日のこの星空を我が物としたい」、「欲張」りの結果がこれだ。これは「オリオン座」。絵の真ん中の縦三つの星、周りを囲む四つの星、夜に活動するひとは、この星座を知っているだろう。夜が来れば、東の空に「ドーン」と現れる。
周りを囲む四つの星の左肩の赤い星を「ベデルギュース」と呼ぶと、遠い昔、中学生の頃だったかもっと幼かったか、死んだオヤジに教えられた。意味もないその名詞のその音を、他の事は忘れてもそれだけを何故か忘れずにいる。


これは「すばる」。なんでか、この星座好きなんだな。この星の群れは周りの星々の様子とは違っていて、ほら、スバルがあそこまで上がってると、時間の目安にもなる。

2010年11月7日日曜日

一億総懺悔

一億総懺悔(いちおくそうざんげ)
さっきまで、NHKスペシャル「借金862兆円はこうして膨らんだ」を見ていた。大蔵省の関係者の証言は、時代が下るにつれて、発言に歯切れが悪くなっていった。このクニのエリートは時代を見通す能力も、またその能力の無さに責任を感じる感性も無いことが解った。番組のまとめに、「増税を拒否してきた国民」にも責任がある。と結論づけていたが、どこかでこの論理は聞いたぞ、「一億総懺悔」。敗戦後この論理が戦争責任を曖昧にする、役目を帯びて流布された事はご存知だろう。またぞろ同じ論理にだまされるほど、国民は愚かであろうか。
それにしても、税の話題は税の本質、「所得の再分配」をどうするのかということを忘れたとたんに、こんな乱暴な番組になってしまうと思ったことだ。彼らの否定する「増税反対」の国民世論は、「税の公平な負担を」というのが主張だったはずだ。プラカードの日本語を読みとれぬほど彼らの言語能力は低下しているのだろうか。
最近の世相に目を転じてみれば、中国、ロシアに関しての反応もそうだが、冷静を失っているのではないのか。税に関してもまた、冷静な論議も出来ないほどのこのありさまだ。借金の額の絶望的大きさもさることながら、私はそのことの方が心配だ。

2010年11月6日土曜日

きのうほどグーグルが

昨日ほどグーグルが
話題になった事はあるまい、このクニの大半のヒトはグーグルの名前を知る事となった。(注)そのせいか、真意(これが本当の問題かもしれない)は解らないものの、グーグルを閲覧はできるが、自分のブログの投稿欄に繋がりにくくなった。結局、最後には繋がったのは、見ての通りだけれど。
私は、先日(10月22日)、インターネツトの「無償」について書いた。その事の前提にこうした、見えない統制の下にインターネットなるものが存在すること、これは忘れてはならない事だろう。だからといって、私は「無償の可能性」を否定するものではない。むしろこれは、私の憶測が当たっているとすれば、貴重な経験であろう。
社会は一夜にして変わるという、それは、変えるだけの「仕掛け」が既に用意され、機能している、場合にはじめて可能となる。
(注)グーグルへの中国漁船のビデオ流出の件、これをトップニュースとして流さなかったマスコミはなかろう。

2010年11月5日金曜日

予約の制限

予約の制限?
車検は、自分で車を持ち込んで受けている、11月には、軽トラの車検がある。軽自動車検査協会に申し込んだ。メールで送られてきた「予約確定」の書面を、読んでいると、「受けない場合は予約の取り消しをしてください。」とあり続けて「なお、予約の取り消しをしない場合には、予約の制限をする場合があります」とある。
これはなんだ、この制限の中身は、車検を受け付けないということだろうけど、ちょっと問題じゃないか。よせばいいのに、イッチョカミの癖が出て、電話をした。「予約の制限というのは具体的にどういうことするわけ?」相手は、一寸待ってと誰かに相談した、しばらくの空白の後「具体的に、そういうケースが出てないもので」とか「まだこのシステムで始めてから日が経ってないので」と言う。「何時からこのやりかたで」と聞けば「2月から」とのこと。足掛け10ヶ月、一度も使う事の無いルールなら、やめたらいかがと思う。(車検は二年毎だから、すでに、半数近くの車は、問題なく車検に行っているということだろう)
それに、これには法律の私物化(私的運用・恣意的運用)という、役人の悪しき性癖の匂いもするぞ。

2010年11月4日木曜日

習性その3

ロールキャベツ
今朝は、車のフロントグラスに霜を見た。今秋初めてのことだ。露を掃おうとワイパーを動かすと、ガシガシと霜の上を掃いたので気付いた。乗り込んで来たつれあいに、教えてやると、「(サツマ)イモを早よう、掘らにゃー、いけんな」と言う。その言良し、彼女は毎年自分で植えて自分で掘っている、もう芋は太ることはあるまい。掘ればいい。つれあいは、続けて「あんたみたいに、暇にしてないから」と言う。?。いくら会話といえ、論理的でないとついて行けない。「病めるときも、健やかなる時も、互いに~」の誓いの行く末はこんなもんなのである。
さて、トウス(籾を玄米にする工程)をしようと目論んでいる。「トウスといえばロールキャベツでしょう」と誰も言ってくれないから。自分で言うことにした、歳時記にはむろん載っているはずもない。作ってみたい、食ってみたいそれだけなのである。
稲刈りのご褒美?に貰ったキャベツがある。

今頃のキャベツは堅く結球してないので、そのまま剥がすことが出来た。堅く巻いたやつは芯をくりぬいて、まるごと茹でる。
少し煮てやわらかくした。
ざるに揚げて冷ます、ものの5分で冷める。
用意した挽肉(塩・コショウ・タマゴ入り)に、キャベツを整形して出来た切れ端をみじん切りにして混ぜ込んだ。
春巻きを包む要領で、包んだ。私は爪楊枝は使わない、肉に火が通れば、回りのキャベツはシンナリとキャベツに寄り添うものだから
閉じ端を下にして、鍋に、並べた。どんな汁で炊くか、お好みだ。ホワイト系、ブイヨン系。和風おでん系。私は、コンソメを入れてみた。
このジイジ鍋を前にして、何をやってんだか?ネコは興味が無いみたいだ。
ヒトは焼肉屋のケムリの前にココロ穏やかでない、らしいけどネコはゆったり通り過ぎるだけだ。

2010年11月2日火曜日

精米

精米
精米機は玄米を白米にする機械だ、これの動力は電気モーター。籾が乾燥したので、トウス(籾から籾殻を外す工程)を省いて、籾を直接白米にしてみた。いわゆる「籾搗き」だ。
これが籾、このままで、来春、水に漬ければ発芽して苗になり米になる。
グルグルしていると、だんだん白米が見え出したぞ
このくらいで止めておこう、チラホラ見える籾は米を炊く時に摘み出せばいい。

新米とは言わず、この米を朝飯に炊いておいた。お出かけ前のつれあいは「今日のは新米?」と機嫌がいい。稲刈りを急がせたり、刈り取りの見張りに来たりしていたのは、きっとこれが食いたかったのだろう。


追記。このままホッパーに入れたまま、一晩放置して、再度10分程回したら、籾殻はきれいになくなった。摩擦で糠を削り取るのが、この精米機のキモだから回していると熱を持つ。その熱で籾殻に付着した水分が多少飛んだせいなのか、それとも、ゆで卵もいったん冷やすと殻が剥けやすくなるあのマジックのせいなのか、いずれにせよ、またひとつ勉強したぞ。

雨あがりの風に

雨あがりの風に
干物を作ろう。昨日のことだ、サンマを三匹購入した。背開きにして、塩水に漬けてしばらく、5分程か、置いた。そのあと、網のなかで、闇の中で、一晩中風に揺れていたサンマ。

ひっくり返してもうしばらく干そう、晩飯の采だ。

米の水分

米の水分
さて、籾の乾燥は、すったもんだの内に次第に15%に近づいてきた。米の水分を計る器具(ドライメーター)が手元にある。身近の米の水分を計ってみよう。「随分とお暇な事」と言われそうだが、そうかもしれない。
1.      一年間、紙袋に入れたまま室温で放置していた玄米、13.5%。これは、黴(カビ)ていた。
2.      一年間、紙袋で、冷蔵庫14℃で保管していた玄米、13.0%。これは、今食っているもの。
3.      一年間、紙袋で、冷蔵庫14℃で保管していたもち米、玄米、12%。「ほんにのうや」の郷からの頂き物。これは、このあいだ、餅にして食べた。
4.      新米を籾搗きした白米、15.2%。「籾搗」については次回に述べる。
こうしてみれば、常温で紙袋にいれたままでは、夏を越してはもたないこと。冷蔵庫の保管は水分が一年で2%は抜ける事、が解った。新米に比べて古米が食味、風味に欠ける理由はこのあたりにもありそうだ。と書いて一昨年(二年前)の米を缶々に入れていたのを思い出した、計ってみよう。13%だった。これは黴ていない。これは1年間冷蔵庫に入れていたものを、缶に移したものだ、缶の中では水分は減らないということだろう。
さて、米を、傷ませることなく、美味しいまま保つことは、なかなか難しい問題だ。
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)か、あれが実現すれば、年に一度しか米の取れないこのクニでも、いつでも新米が食えるようになるのだろうか。その代わり、新幹線から眺める、一面の田圃の風景は消えるだろう。どうしたものか。
TPPについて、論じる能力は私には無いが、私なりの、基本的な視点を提起してお終いにしよう。
1.グローバルの流れに遅れるなと言われているが、このグローバルはアメリカスタンダードではなかろうか。
.市場経済は万能なのか。つい先ごろまで、いや今でも、エコカー減税、エコポイント制度など、政府の政策的介入を我々は見てきた。こういう、ある特定の産業分野への露骨な介入は、市場経済万能の否定ではないのか。
3.昨日は中国、今日はロシア、近隣のクニとのトラブルはこれからもあると考える。基礎的食料ぐらいは、国内でまかなう体制が必要ではなかろうか。「自衛」とは本来こういう事ではなかったか。またこのことは、国内政治の安定をもたらすだろう。「衣食足りて礼節を知る」という中国からのことわざもある。今日の「米」に困る国民に冷静な判断が出来るとは思えない。