2010年3月31日水曜日

ブログの孤独 つづく




ツルハシをふるい木の根(これは棕櫚の仲間と思われる)を片付けた。掘り出した根を見ると、なにやら見覚えがあるデザインだ。しばらく思いをめぐらせて、脳の血管のMRIの絵と似ていることに気づいた。最近身近のものがMRIを撮ることになってしまい、医者の説明を聞いたのだ、これとよく似た絵を見ながら。それにしても、同じようなフォルムに「野良」でお目にかかろうとは、思ってもみなかった。自然の摂理を解りきることは、ヒト人類にもまた出来ぬ事だろう。しかし、命について考えるヒントは、意外なところにあるものだ。

2010年3月28日日曜日

ブログの孤独 つづく

ラヂオの発見

深夜、風呂に浸かっていると、突然停電した。湯の中とはいえ真っ暗闇に裸でいることとなった。
カミナリも鳴っていない、地震でもない。すぐに復旧するだろうとしばらく待っても点かない。とすると、この家だけなのかしら。さて、面倒なことよ、このままふやけてしまう訳にはいかない、闇のなかで髪を洗い、体を拭いた。ところが、暗闇でパンツを穿く段になってどっちが前か後ろか判らないことに気づいた、幸い前開き部分がある、手探りで切り抜けた。つぎにシャツをと手探りすればこれの前後は微妙なのである、ままよ二分の一の確率、と被れば、見事に前後ろが逆だった。まことに明かりに頼る生活なのである。
とりあえず、明かりをと、手探りでローソクを探したが、記憶にあるその場所は闇の中なのだ。どうするか、毎晩の犬の散歩に持ち歩く懐中電灯を探り当てた、でそれでローソクを見つけた、懐中電灯で照らしてローソクに火をつける。何をやっているのだとも思わない。不思議なものだ。
窓を開けて外を見れば、一面の闇だ。街灯も消えている。「地球滅亡の時かしら」と思う。ニュースは電気で運ばれてくるから、どうだか判らない。
なんにも知らないでやすらかに眠っているつれあいを起した。面倒くさそうに、「でんわをしてみたら」という。なるほど電話は通じるのだ。「こんな夜中、困っているのはあんただけ」とも言っていた。この人物は地球最後の日にもこんなに「安らかに油断」しているのだろう。
電力会社は「御宅を含めて400軒ほど止まってます」という。たいしたものだ、何処の家に電気が通じてないか、フィードバックするシステムがあるらしい。「いつ直る」と聞けば「原因不明で見通しがたたない」という。
しかたない、暗闇の中でポータブルラヂオを聞きながら過ごすことにした。するとラヂオ放送が意外と面白いことを発見した。正直に言えばそれから、ラヂオにはまっている。
ところで、次の日、電力会社に原因を聞いてみると「リード線」が外れていた為と言う。何故外れたのかは解からないという。突然の停電はまたありそうである。

2010年3月21日日曜日

ブログの孤独 つづく

白菜の「トウガタッタ」

食い残した白菜の芯が伸びて花が咲いている。菜の花だ。
中はどうなっているか、ムイテみよう。

こうしてみると、一枚一枚の葉の根元からそれぞれに芽をのばし花を咲かせていることがわかる。いのちの持つメカニズムの不思議をいまさらに思う。オセンチは横に置いておいて、食う話をすれば、
葉はしわくなっていて食えない、でも芽を摘んで塩でもんで浅漬けにすればうまい。
さっと湯にくぐらせて、炒めてみたらこれもいけます。

ブログの孤独つづく

ブログの文章が鼻についてきた。絵で遊んでみよう。

草とり
百姓は土にたねを蒔き、土のうえで植物を育てることをしている。土には育てたい植物以外の植物も育つのである。百姓はえこひいきをして、育てたい植物をかわいがり、その他を雑草としていじめるのである。まことに、因果で剣呑な仕事でもある。


こんな道具を使う。大きいのが市販のもの、小さいのが私が作ったもの、柄の部分は折れた鍬の柄を使った。


冬の間に育った草は根がしっかりひろがっている。左が土をつけたまま、右は根を洗ってみた。よく見ればもう種をつけつつある。草はこれだけの量の土から栄養を得ようとしている。だから、坊ちゃん、嬢ちゃん育ちの栽培植物は負けてしまうのである。


草取り前




草取り後、これはタマネギの苗床をそのままにしていたもの、タマネギになるか試してみている。手前に手製草取りの柄が見える。


2010年3月16日火曜日

ブログの孤独 つづく

婚活

以前に「見合い写真」を撮った仔犬の婚活が進まない。犬を飼わない(飼えない)理由はこの世に山とある事を発見した。一方、飼う理由は我が胸に聞いてもこれと言った訳はあるようでない。「犬と居ることが嬉しい」ぐらいか。

「婚活」くらいのことで、騒ぐなと思っていたが、これも「縁」のものらしい、あせってもだめらしい。ところで、正確には「就活」なのかしら、仔犬の場合は。

それはそうと、二匹の内、めでたく飼い主の見つかった方の仔犬の消息が聞こえてきた。「お手」も「待て」もできるようになったらしい。感心なヤツとグラスを傾けていると、つれあいは言う。あんたは「お座り」をして酒をケチャケチャ飲むのは出来るけど、「まて」が出来ない。仔犬を見習いなさいと。

話は変わるが、犬猫(ネコの子も居る)の子育てを身近に見ていると、発見がある。散歩にまだ参加できない仔犬は家で待つことになる、母犬は、帰ると散歩中に貰ったご褒美の菓子を、吐き戻して仔犬に食わせているのを昨夜見つけた。鳥の子育てではそうする事を知ってはいたが犬もそうするらしい。一夜明けて、今朝のことだ、ネコの親が、私の目の前で今しがた飲んだ牛乳を吐き戻して子猫に与えた。
子供には、食べ物と安心して眠れるところを、時に命と引き換えにしてでも与えるという論理が彼等にはあるらしい。ヒト人類に参考になるかどうかは別にしても。

2010年3月14日日曜日

ブログの孤独 つづく

種まきをした。

温床はズーット長年手抜きをしていた。今年はラエの先生に教えて貰ったやりかたで種まきをした。温床は以下の図

地面に適当な深さの穴を掘る。30センチは要る。深ければそれだけ発熱材が多く入るので熱が出る。その穴に、わらと堆肥を交互に重ねて入れる。上から踏み固めながら入れて最後に土をかけておしまい。土の厚さは5センチもあればよかろう、種を播くだけだから。

一番下に入れるのは藁がいい、一番上に積むのも藁がいい。どうしてか、わらに堆肥が絡む事で発熱するからだ。一番上のわらは堆肥と土が混ざり合うのを防ぐため。
だから、藁としたが、一番上のそれは新聞紙でもよかろう、私はそうしてみた。そして、堆肥と書いたが、畑の周りにある草でもいいし、木の葉でもいいだろう。台所から出る生ゴミも熱を出す、畑に残った冬野菜のクズもいい。それから、私は藁の上に米糠をふった。つまりは、なんだかんだで発酵してもらって、その熱を利用するということなのだ。一週間は熱を出す。そうしているうちに春が来てが暖かくなるという寸法だ。書き忘れているが、藁は湿らせておいた方がいい。

こうして書いてみると、ラエの先生の教えを適当にしか守らない不肖の弟子でしかないことが明らかとなった。

堆肥と書いて思い出した。このごろの牛には輸入した飼料を与えるせいで、糞には牧草の種が混じっていて、牛の糞をそのまま堆肥にすると牧草が発芽してくる。外国から来た植物は我々の世代にはセイタカアワダチソウが繁茂した事が記憶にあるが、牧草はこれからどうなんだろうか。グローバルの負の面はこの辺りにも現れている。

まことに、ヒトは、自分に都合のいいことだけしか頭に浮かばぬようである。負の面には後から気づいてあわてるように出来ているみたいだ。

2010年3月13日土曜日

言葉を集めて つづく

・ 「カラキャーアテ」

からかして。枯らして。「芋の苗をからきゃーてしもうた」ついこないだまで、こんなコトバが、野良では飛び交っていた。

2010年3月12日金曜日

ブログの孤独 つづく

風呂に始まり風呂で終わる話  漱石つづき

漱石の仕掛け(作為)は巧妙である。冬になると毎年のように何度も読み返しながら今回初めてこの話は、風呂に始まり風呂で終わる。仕掛けが潜んでいることに気づいた。

『永日小品』の中の「火鉢」。あらすじは、と書いて、書くほどのあらすじはない。作者が冬の寒い日、布団の中で目を覚ましてそれからのなにげない半日の話。美味しいところを写して見ようか、うんと短い作品だから、全部写してもしれているが。

「思い切って、床の上に起き上がると、予想よりも寒い。窓の下には昨日の雪がそのままである。風呂場は氷でかちかち光っている。水道は凍り着いて、栓が利かない。」
これを書いた100年前の東京はやはり寒かったみたいだ。「火鉢に手を翳(かざ)して、」「掌(てのひら)だけは煙(けむ)が出るほど熱く」なるが「足の先は冷え切って痛い位である」これでは「とても仕事をする勇気が出ない」子供はぐずっている、下女は病気みたいだ医者を呼んで診させる、来客はといえば金の無心をするばかり、自分は「まだ、かじかんで仕事をする気にならない。」凍りついている風呂を焚くのはあきらめたのか「とうとう湯に行った。湯から上がったら始めて暖ったかになった。清々して、家(うち)に帰って」

これから、何度読みかへしても、美しい数行が始まる。
「妻が出て行ったらあとが急に静かになった。全くの雪の夜である。泣く子は幸いに寝たらしい。熱い蕎麦湯を啜りながら、あかるい洋燈の下で、継ぎ立ての切炭のぱちぱちなる音に耳を傾けていると、赤い火気(かっき)が、囲われた灰の中で仄(ほのか)に揺れている。時々薄青い焔が炭の股から出る。自分はこの火の色に、始めて一日(じつ)の暖味(あたたかみ)を覚えた。そうして次第に白くなる灰の表(おもて)を五分ほど見守っていた。」
無手勝流にまとめてみても、漱石はあらゆる物が凍りついている描写から始め、火鉢の中に見ている炭の焔の描写で終わらせていることに気づかれるだろう。日録の体裁をしていても騙されてはいけません。手練の一太刀に切られて、心地よいばかりなのでは在りますが。

付け加えれば、岩波文庫『夢十夜』にも「火鉢」は入っていて、これには、読むに価する阿部昭氏の解説が付いている。気難しくシャイな阿部氏であるが、漱石に切られて、思わずに本心を露呈しているみたいだ。彼の最良の文章がここにある。
次は「阿部昭」氏を。と考えたが、これは楽しみに取っておこう、誰の楽しみか、それは、私の楽しみである。

2010年3月11日木曜日

ブログの孤独 つづく

大きな物語・小さな物語

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子、朝日出版を読んだ。図書館から借り出すと、黄色の栞が挟んであって、「この資料は、次の人がまっています。」とあるから人気の本なのだろう。本は買って手元に置くといつでも読めると読まずにいることが多いから、借りて、せかされて、こうして急いで読むのもいい。この本は出版時に賛否があった。「日本が中国を侵略する、中国が日本に侵略されるという物語ではなく、日本と中国が競いあう物語として過去をみる。」(ページ84。)あたりの加藤氏の視点を否とした論もあったようだ。読んでみて、いい本だと思った。部分を取り出すので誤解を恐れている。続けて取り出す。「天皇を含めて当時の内閣や軍の指導者の責任を問いたいと思う姿勢と、自分が当時生きていたとしたら、助成金ほしさに分村移民(満州への移民のこと-引用者注)を送り出そうと動くような県の役人、あるいは村長、あるいは村民の側にまわっていたのではないかと想像してみる姿勢、この二つの姿勢をともに持ち続けること、これがいちばん大切なことだとおもいます。」(ページ403。)これが、本編の最後にある。歴史を職業としようと、しまいと、このクニの行く末を思うヒトは、この問題提起を共有しているはずである。
加藤氏にはこの本にあるような、小さな物語を集めて大きな物語を紡いでゆく事を期待したい。彼女には出来るのではないかと思った。

2010年3月10日水曜日

ブログの孤独 つづく

核密約

有ったらしい。新聞によれば、「無かった」と言っていた連中は、談話を出した「しらなかった」と。

消息筋によれば、新聞紙面にはそう記述してないが談話は「しら・なかった」と書いてあるようである。これは、新しいコトバの用法で「知っていた」と「言いたくなかった」を繋げる斬新なやりかたである。「しら・なかった」と書いて「シラナカッタ」と発音する。さっそく、国語言い訳審議会は新しい短縮用法の採用について検討しているという。
また、某テレビ局は刑事ドラマの取調べ室の「台詞」に採用を検討しているらしいが、現場の混乱が今から懸念されているという。

2010年3月8日月曜日

ブログの孤独 つづく

漱石の観察(かんさつ)
漱石の癇癪(かんしゃく)

と題して少し書いて見たい。手元に「文鳥・夢十夜・永日小品」夏目漱石 角川文庫260、がある。

「あんたのはー」と引っ張って、「長い!」と「毎日見とるよ」という数少ない読者は言う。であれば、それが私なのだろう、わたしにとって丁度いい書き方がこれなのだ。今更、あれこれすべきだとは思わない、いや、思い出してみれば、生まれてこの方、一度もヒトの要求に答えたことはなかったみたいだ。このまま死んでも悔いは無い。読んで頂ける人には、漱石についてはこの日付に書き込むのでそのことをお伝えしておきたい。

さて、漱石を知らぬヒトは稀だろう。1867年に生まれ1916(T5)年に49歳で没。彼に関しては、膨大な論評がある「漱石」と検索しただけで140万を超える項目がある。詮索はそれらに任せて、美味しいところだけをいただこう。

私の好むものは、職業作家として、書いたものよりも、楽しみとして書いた?短いものだ。

「文鳥」。この話にあらすじは、こころならずも弟子(我輩は猫に出てくるようなそれ)の薦めで小鳥(文鳥)を飼い始め、それが、死ぬまでの話だ。近代の芸術家らしく「喪失」を書いたかどうか、そんなことは、あれこれ言い立てる人に任せて美味しいところだけ。

「文鳥の目は真黒(まっくろ)である。瞼の周囲(まわり)に細い淡紅色(ときいろ)の絹糸を縫い付けたような筋が入っている。目をぱちつかせるたびに絹糸が急に寄って一本になる。と思うとまた丸くなる。籠を箱から出すやいなや、」

名文家にはバイリンガルが多い。鴎外しかり、百閒しかり、最近では、奥本大三郎しかり。村上春樹もそうなのか、「~やいなや」は確か英語の教科書にあった。

「文鳥は膨らんだ首を二、三度竪横(たてよこ)に向け直した。やがて一団(ひとかたまり)の白い体がぽいと留まり木の上を抜け出した。と思うと」

さて、何度読んでも、しばらくしたらまた読みたくなる私のとっておきのところがその後にくる。

「文鳥は嘴を上げた。喉のところで微(かす)かな音がする。また嘴を粟の真中に落とす。また微かな音がする。その音が面白い。静かに聴いていると、まるくて細やかで、しかも非常に速(すみ)やかである。菫(すみれ)ほどの小さい人が、黄金(こがね)の槌(つち)で瑪瑙(めのう)の碁石でもつづけざま敲(たた)いているような気がする。」

小さなものを観察して、これほど細やかにくっきり書いた人を私は他に知らない。

さて、癇癪である。「しばらく死んだ鳥を見詰めていた。それから。」「そうして、激しく手を鳴らした。十六になる少女が、はいと言って敷居際に手をつかえる。自分はいきなり布団の上にある文鳥を握って、少女の前へ抛り出した。」そうして「下女の顔を睨めつけた。」

小さな鳥を冷静に観察する目はまた自分の激昂も冷静に観察しているのである。彼がこれをしなかったなら、もう少し長く生きられたかもしれないと思う。でも、100年の後にも読まれる作品にはならなかっただろう。

この項つづく

言葉を集めて つづく

政治のコトバ

・ 「シコウ」
試行。本当は見直すつもりは無いのだ。しかし、やることに、大儀も、名分も立たないので「試しにそうするだけ」と言い訳する時に使う。

最近では、岡山市で、議会の代表質問を削る時に使われ。また、国では、普天間基地の行く先について使われそうである。

言葉を集めて つづく

・ 「ミズヲノセル」

水を乗せる。意は田や畑の栽培植物(作りもん)に水をやること。「水を走らせる」と言ったりする。
カラカラに乾いた土に水をかけるとすぐには浸みこまない。水は乗ったり、走ったりした後に、ゆっくりと浸んでゆくのである。

2010年3月7日日曜日

言葉を集めて つづく

・ 「フミヒシャグ」

踏みひしゃぐ。メモには「踏んでつぶしてしまう」「ユンボで田のケシをフミヒシャイデしもうた。」とある『ほんにのうや』には「踏みめぐ」があった。同じ意味だ。どんな簡単な辞書にも、「踏む」と組み合わせて多彩な表現があるみたいだ。「ふみたおす」「ふみにじる」「ふみとどまる」。

2010年3月6日土曜日

ブログの孤独 つづく

金は時なり

新聞の記事を読みに、中央図書館に行った。3月2日火曜日の午後のことだ。図書館は利用者で溢れていて、カウンターでは列に並んだ、職員の対応はテキパキあわてることなく行われていたから、このくらいの込み方はいつものことなんだろう。ちまたでは活字離れで本が売れない、というが、どうなってるのだろう。聞いてみれば、平日は1000~1500、休みの日は2000の利用者があるらしい。

さて、目的は「議会の代表質問をとりやめる」と決めたいきさつを調べるためだった。後に、議会事務局に聞いたりして、私なりに理解したところを書いてみよう。

発端は、ある議員が議会運営のコスト(経費)を減らしたらどうかと提案したことに始まる。すると、市長は議会開催時間が長過ぎる、と答弁した。これに飛びついた議員は数をたのんで、本会議の代表質問をやめることにした。と、いうことらしい。あくまで試し。と言っているらしいが、元に戻ることはあるまい。

つまり、「金」のことが「時間」のことにすりかえられたわけだ。これで、市長と議員の仕事は減るわけで、なんだか、トントン拍子の決まり方の様子からすれば出来レースだったような気もする。

それにしても、議員報酬は見直さない、仕事は減らすでは、この議会のこの先が思いやられる。

そうして、これが、市の掲げる「行政改革」の旗印のもとに行われたことに驚いている。

2010年3月5日金曜日

言葉を集めて つづく

・ 「アッコウ」

アッコウをする。悪行をする。わるさをする。いじわるをする。「気に入らん事があるとあの男はアッコウをするから」

2010年3月4日木曜日

ブログの孤独 つづく

体育会系

私の手元に一枚の切り抜きがある。毎日新聞2010.2.20日19面、スポーツ欄「開花の予感 選抜82・チーム編 嘉手納」の記事だ。見出しに「ごう音に鍛えられ」とある。米軍「基地から約500㍍。」の高校の話。記事の中身は「大きな音には慣れている。甲子園の大歓声の中でも集中力を保てる」「甲子園では基地の騒音より大きな声で頑張りたい」と好意的である。

私はもう十日もこだわって切り抜きを捨てられないでいる。はたして、「ごう音」がヒトを鍛えるものであるかを。答えは見つかりそうに無い。

もしも、「無理篇にゲンコツ」の環境がヒトを育てるのである。という伝統的(旧軍隊的)発想が、この記事の根底にあるとすれば、それはそれで、納得できる。

そんな記者の書く記事など読みたくも無い。

2010年3月3日水曜日

言葉を集めて つづく

・ 「クイデ」

「ほんにのうや」の郷での体験を、メモには「02.4.2 葬儀の相談において」とあり、「クイデあるいはクイデン、食事のことは自分ですること、めいめいが家で食べて、それから集まる事、集まってもらった家では食事は出さない」とある。たしかに、儀式には直接係わらないにしても、生き残った者にとっては、食うことは切実で大切な事柄であろう。おそらく、「クイデでしますので」と連絡するのであろうと思われる。

ところで、字を当てるとすれば、「食い手」だろうか、それとも「食い出」それとも~。

どう思われますか。

2010年3月2日火曜日

ブログの孤独 つづく

どうしてなのか、最近、ブログのデザインをいじっている。どうやらブログを持つことに飽きてきたらしい。

元々、パソコンは20年ほど前に死んだ親父が、生涯趣味としていた「短歌」を編集して「記念誌」を作るために調達したものだ。つまり、少しましなワープロとして。

電気を使ったやり取りは、せいぜい、黒電話までで、ファクシミリも眼中になかった。いま隆盛を誇っている、携帯電話は持ってない。家を出た子供からメールが来てる、とつれあいからケータイを渡されて、耳に当てて笑われる始末だった。(今はまずメガネをかける。)
もともと、そのレベルのヒネクレもんが、「パソコンを持っとるなら、あんたインターネットをひかれえ、おもしれえもんがたくさん~」の誘いにスケベ心を動かされて、覗いてみた。
「ブログ」なるものがあり、それを読んでいると、生来の「イッチョかみ」の血が騒いだのか、「野良通信」を始めてしまった。

「野良通信」としたのは、10年ほど遠ざかっていた家に帰ってみると、産廃業者が癌のごとく村に居ついて、パチンコ台を積み上げるや、堀散らかして素性の知れぬものを埋めるやら。燃やせるものは、電線のビニールまで燃やすやら、もともと、曖昧な隣地の土地境界まで踏み越えてあれこれしていた。(我が故郷は攻撃を受けまさに沈みかけた戦艦のようにいたるところから煙を上げていた)抗議したら、胸倉をつかまれた。「暴力をふるうな」と言うと、「本当の暴力はこんなもんじゃない」と凄まれた。今でも思い出すと、鼻の奥がツーンとする。

村に住む数人で「自然を守る会」を作り機関紙の名を「野良通信」とした。「ダイオキシン」が世間を騒がしていた頃の話だ。(ダイオキシンはどこにいってしまったのだろう)
やがて、メンバーはバラケ、機関紙も私一人では作るのも配るのも出来なくなっていた。「野良通信」はその名残だ。他意はない。

さて、ブログをいじったら、パソコン画面に「エラー」が連発するようになった。元々他人の作った機械、他人の作ったソフトを我が物のごとく扱えるとは思わないが、どうしたものか。だめならもはやそれまでだ、人生の如くに。