畦(アゼ)をとる
6月9日の絵だ。「野良通信」を標榜している手前、報告しようと思う。
池に上がって新たに水を落とした。既に落としている水で、池の直ぐ下の田は、代かきが済んでいる田(手前)もあれば、これから代かきという田(向こう)もある。雨模様だけれど、このくらいの雨では、乾いた山肌が水分を吸って河原の水量には影響はない。対岸の西大寺は雨脚に霞んでいる。
それにしても、少し濡れた山は綺麗だ。鳥の羽ばたきののような、シダ?の薄青が目にしみる。
見上げる谷(この谷に降った雨を貯めてこの池はある)に産廃処分場が出来れば、この池も谷も失われてしまうだろう。
止水栓を抜けば、水は音を立てて吸い込まれてゆく、漏斗のように水にエクボが出来るのが面白い。小さな竜巻だな。
山を降りてみると、O氏が「畦」をとっていた。こうして田の周りを盛り上げて水漏れを防ぐ。平地の田では廃れた技術なのだろうか、棚田では畦とりは欠かせない。これを「伝統芸能」と私は口外するが誰も否定はしない。
手元に寄ってもう一枚
さて昨日、10日の日曜日でほとんどの農家は田植えをすませた。みんなもう若くはないから「クタクタ」に疲れているだろう。(稲を付けなかった私はブログを書く余裕がある)
金にならない稲作りをそこまでして続けるその訳をこのブログで伝えることが出来れば良いのであるが。
追伸
今日の事だ。恒例の水争いが始まった。アレがこうしているから、わが田には水が来ない。「とんでもねえ」事をするヤツだ。それぞれの田にとって丁度いい水加減など池水頼みの棚田では難しい。限られた水を喧嘩しながら分け合って、この百年程凌いで来たのではなかったか。我々がこの谷で棲息して来られたのは、喧嘩しながらも分けあって来たからではなかったか。と私は考えるが、争いを仕掛ける者は、コンニチの水の事で精一杯である。水路掃除ではあれほど互いに協力したのになー。
しかし、と私は考える。もっと大きな力が我らの稲作りを脅かしつつあるのではなかろうかと。
2012年6月11日月曜日
2012年6月3日日曜日
水利組合
水利組合
私の生息する谷では、今年も稲が作られようとしている。(私はここ二年作るのをやめているけれど)
こんなチラシを10数枚作って配った。「手書き」にしたのは、私の好みだ。この方が良いとは思いませんか。どこまでもロマンチックなおヒトなんだな私は。
午前六時、外を見れば小雨模様だ、さてどうなるか。雨が降らなければ溜池に水は溜まらない。さりとて雨中の草刈りは億劫だ。
こんなように
こんなように刈ってゆく。谷に流れる水を貯めている田もある。
さて、本日の相談で、池の水を落とす日は6月6日に決定した。田に水を引き、畦(あぜ)を取り、代(しろ)かきをして、早ければ6月10日から田植えが始まる。
お望みならば、そのあたりの事を御報告してもいい。
私の生息する谷では、今年も稲が作られようとしている。(私はここ二年作るのをやめているけれど)
こんなチラシを10数枚作って配った。「手書き」にしたのは、私の好みだ。この方が良いとは思いませんか。どこまでもロマンチックなおヒトなんだな私は。
午前六時、外を見れば小雨模様だ、さてどうなるか。雨が降らなければ溜池に水は溜まらない。さりとて雨中の草刈りは億劫だ。
さて、雨はあがり。みんな集まった。今日は学区の体育大会が重なったので、三名抜けたが、十名集まった。記念に一枚。
前期高齢者、中期高齢者ばかりだが文句あるか。
草刈機を持たせれば、若者には負けない。 こんなように
こんなように刈ってゆく。谷に流れる水を貯めている田もある。
池に上がれば、四国の原発からの50万ボルト送電線は、不気味な「チッ・チッ・チッ・チッ」を云っていない。
愚かな国策のこと、なんて今は考えないで。次の池に行こうか。
愚かな国策が、頭上を50万ボルト送電線として通過しているにせよ、我々は自らの裁量で稲を作ったり(作らなかったり)する。それこそが「自治」の基本ではなかろうかと愚考した。さて、本日の相談で、池の水を落とす日は6月6日に決定した。田に水を引き、畦(あぜ)を取り、代(しろ)かきをして、早ければ6月10日から田植えが始まる。
お望みならば、そのあたりの事を御報告してもいい。
2012年4月24日火曜日
タケノコノコノコの事
タケノコのこのこの事
いちどイイ思いをしたら、「もう一度同じ思いを」とノコノコ出かけるのがヒト人類の弱点でもあり、可愛いところでもあるだろう。そうでなければ、パチンコ業界、いや「東京証券取引所」もまた存続できない。私はと言えば、もう一度タケノコを獲りに出かけた。場所は前回と同じ古い家の庭。今回は買ったばかりの新しい「カメラ」も持参した。
それで撮った絵を載せよう
向こうの竹藪がお目当ての所だ。石垣の上から竹の根が降りてきている。
中に踏み込んでも目が慣れるまで、タケノコは見えてこない。この絵の真中付近にタケノコはある。
こんな感じで、タケノコはある。目が慣れてくれば
こんな所にも
こんなものも、見えてくる。「ヒト」の目は、いや「命は」と言い換えてもいいか、「保守的」であるから、「新しい芽」はなかなか見極めることが出来ないのだ。見ようと目を凝らす「ヒト」にしか見えないものがある。
買い物カゴに溢れたので獲ることをやめた。半分は糠を使わずに湯で、湯掻いて自家用に喰うことにした。半分は「パソコン先生」に持参しようか。先生は「何時でもおいで」と言ってくれているがその言の意味は「何か持っておいで」とも言っているのだ。持参ついでに「新しいカメラを自慢する」チャンスもあるぞ。
湯掻いたタケノコで、木の芽和えを作ってみた。烏賊と白味噌とタケノコを和えた。食ってみれば、もう少しタケノコに歯応えがあった方がいい。つれあいの感想もそうみたいである。「どんなんなら」「こんなもんじゃない?」。さて、うまい「木の芽和え」を目指していま少しタケノコを探すか。
ココだけの話。料理に関して、言葉(批評)はあまり当てにならない。料理を作る者は、食うヒトの、箸使い、食器の立てる音、歯とスプーンの当たる音、息荒く食うスピード、等々でその料理が成功したかどうかが判る。私は、ずいぶん長く家で料理を供しているが、「オオ、心より欲して食っている」と感じたのは数回しかない。それでいいのだ。旨かった記憶は生涯残るのだから。
いちどイイ思いをしたら、「もう一度同じ思いを」とノコノコ出かけるのがヒト人類の弱点でもあり、可愛いところでもあるだろう。そうでなければ、パチンコ業界、いや「東京証券取引所」もまた存続できない。私はと言えば、もう一度タケノコを獲りに出かけた。場所は前回と同じ古い家の庭。今回は買ったばかりの新しい「カメラ」も持参した。
それで撮った絵を載せよう
向こうの竹藪がお目当ての所だ。石垣の上から竹の根が降りてきている。
中に踏み込んでも目が慣れるまで、タケノコは見えてこない。この絵の真中付近にタケノコはある。
こんな感じで、タケノコはある。目が慣れてくれば
こんな所にも
こんなものも、見えてくる。「ヒト」の目は、いや「命は」と言い換えてもいいか、「保守的」であるから、「新しい芽」はなかなか見極めることが出来ないのだ。見ようと目を凝らす「ヒト」にしか見えないものがある。
買い物カゴに溢れたので獲ることをやめた。半分は糠を使わずに湯で、湯掻いて自家用に喰うことにした。半分は「パソコン先生」に持参しようか。先生は「何時でもおいで」と言ってくれているがその言の意味は「何か持っておいで」とも言っているのだ。持参ついでに「新しいカメラを自慢する」チャンスもあるぞ。
湯掻いたタケノコで、木の芽和えを作ってみた。烏賊と白味噌とタケノコを和えた。食ってみれば、もう少しタケノコに歯応えがあった方がいい。つれあいの感想もそうみたいである。「どんなんなら」「こんなもんじゃない?」。さて、うまい「木の芽和え」を目指していま少しタケノコを探すか。
ココだけの話。料理に関して、言葉(批評)はあまり当てにならない。料理を作る者は、食うヒトの、箸使い、食器の立てる音、歯とスプーンの当たる音、息荒く食うスピード、等々でその料理が成功したかどうかが判る。私は、ずいぶん長く家で料理を供しているが、「オオ、心より欲して食っている」と感じたのは数回しかない。それでいいのだ。旨かった記憶は生涯残るのだから。
2012年2月18日土曜日
2012.2.17の日記
2012.2.17の日記
風荒く、空の高みで吹きすさぶ日。しかし、日差しは日ごとに強さを取り戻しつつある。この風に乗ってか、遠くのヒトの話し声が聞こえている。鼻に掛かったカン高い声だ。聞くともなしにいたら、昔の事を思い出した、昔は野良にヒトビトがたむろしていた。仕事半分、世話ばなし半分でワイワイやっていた。今から思えば「政治向き」の話もよくしていた。出来たばかりの「公明党」のこと、今は亡き「社会党」の奮闘のこと、など。むろんコメや野菜の値段など百姓向きの話題に交じっての話だ。どの政党を支持するか、支持無しであることは考えられなかった。そうしてみれば、みんな政治のファンだったのだ。ちょうどAKB48のファンが投票するように。
さて、遠くからの話はいつもの「自慢話」のようだ。ヒトビトは政治の話をしなくなった。当時に比べて生活費の中に占める公共費用(国保料・介護保険料・税の数々)は格段にその閾値を増しているにもかかわらず。
つまりそれは、政治が遠くなったということなのだろうか、それとも深く浸透してしまったということなんだろうか。これが成熟社会の必然なんだろうか。
「物言えば唇寒し冬の立ち話」
風荒く、空の高みで吹きすさぶ日。しかし、日差しは日ごとに強さを取り戻しつつある。この風に乗ってか、遠くのヒトの話し声が聞こえている。鼻に掛かったカン高い声だ。聞くともなしにいたら、昔の事を思い出した、昔は野良にヒトビトがたむろしていた。仕事半分、世話ばなし半分でワイワイやっていた。今から思えば「政治向き」の話もよくしていた。出来たばかりの「公明党」のこと、今は亡き「社会党」の奮闘のこと、など。むろんコメや野菜の値段など百姓向きの話題に交じっての話だ。どの政党を支持するか、支持無しであることは考えられなかった。そうしてみれば、みんな政治のファンだったのだ。ちょうどAKB48のファンが投票するように。
さて、遠くからの話はいつもの「自慢話」のようだ。ヒトビトは政治の話をしなくなった。当時に比べて生活費の中に占める公共費用(国保料・介護保険料・税の数々)は格段にその閾値を増しているにもかかわらず。
つまりそれは、政治が遠くなったということなのだろうか、それとも深く浸透してしまったということなんだろうか。これが成熟社会の必然なんだろうか。
「物言えば唇寒し冬の立ち話」
2012年2月13日月曜日
麹つくり 顛末 1
麹作り顛末
叔母が、味噌を作るという。味噌には麹と豆と塩が必要だ。叔母は「あんたには麹をお願い」するという。それで、久しぶりに麹を作ってみようと思い立った。麹は用心しないと酒に変身する。上手く出来るかしら。
まづ、コメを搗こう。
叔母が、味噌を作るという。味噌には麹と豆と塩が必要だ。叔母は「あんたには麹をお願い」するという。それで、久しぶりに麹を作ってみようと思い立った。麹は用心しないと酒に変身する。上手く出来るかしら。
まづ、コメを搗こう。
ひたすら洗う
まだ洗う
今日はこのくらいでコラエてやろうか切りがない。
麹はもう良い匂いがしてきている、絵も記録も、とるのを忘れていた。今のようすを撮り行こう。
もう、お気づきだろうが、麹作りに定番の晒し木綿布、もろぶたとかは使わずにいる。面倒なことは嫌なのだ。そのあたりの無謀な冒険について以後書いてみたい。
2012年1月19日木曜日
2012.1.19の日記
雨・国歌・国旗
久しぶりの雨が降っている。そうでなくても閉じこもりがちの冬の日、いよいよ閉じこめられている。乾燥ぎみの畑には、良いお湿りだ。植えている玉ねぎに肥料を施せば雨に溶けた養分が玉ねぎを太らせるだろう。でもカッパを着て冷たい雨の中を畑に行くのは億劫だと窓から眺めて雨間を狙っている。予報では一日シトシトと降るらしい。明日があるさ。それに、玉ねぎは大きい方が良いのはそれを収穫して食べる私の都合だ。肥料のことは玉ねぎの都合ではない。腹を空かせた犬猫に餌を遣らないのとは違うだろう。
大阪の方では、国歌・国旗に忠誠を示さないと罰を与えると言っている。(東京でも同じ事をしていた)。百歩譲って、それで大阪が活気に溢れた都市になるのだとしても、(それで東京が活気づいたとは聞かない)。でもなんだか嫌だな。と私の気分が囁く。嫌な事をさせられているヒトを見るのはつらいのだ。もう百歩譲って(これで二百歩だ)私が、国旗・国歌が大好きで心から国歌を歌い、国旗に敬意を示したいと思っていたとしても、「心からそれを好まぬ」ヒトと一緒に歌い、敬礼するのは嫌だなと思うだろう。やはり同好の士とともに言祝(ことほぎ)たい、と思うのが自然なのではなかろうか。もう百歩譲って(これで三百歩だ)「こんなええかげんな連中とは私は歌わない、敬礼もしたくない」という「愛国の士」が現れたとき、彼らはその論理にどんな「指導と罰」を与えるのだろうか。心の内面に踏み込んだ途端に解く事のできぬ問題に直面せざるを得ぬのではなかろうか。
と、書いていると「世の中はそんな原理主義者ばかりではない。大抵のヒトは生活や暮らしの為に適当に歌ったり、敬礼したりするものだ」という声が傍らからしている。でもそんなにして歌われる「国歌」って「何なんだろう」。
暗くて、寒くて、冷たい日だ。傘でも差して外に出てみるか、「犬も歩けば棒に当たる」という諺もあることだし。
久しぶりの雨が降っている。そうでなくても閉じこもりがちの冬の日、いよいよ閉じこめられている。乾燥ぎみの畑には、良いお湿りだ。植えている玉ねぎに肥料を施せば雨に溶けた養分が玉ねぎを太らせるだろう。でもカッパを着て冷たい雨の中を畑に行くのは億劫だと窓から眺めて雨間を狙っている。予報では一日シトシトと降るらしい。明日があるさ。それに、玉ねぎは大きい方が良いのはそれを収穫して食べる私の都合だ。肥料のことは玉ねぎの都合ではない。腹を空かせた犬猫に餌を遣らないのとは違うだろう。
大阪の方では、国歌・国旗に忠誠を示さないと罰を与えると言っている。(東京でも同じ事をしていた)。百歩譲って、それで大阪が活気に溢れた都市になるのだとしても、(それで東京が活気づいたとは聞かない)。でもなんだか嫌だな。と私の気分が囁く。嫌な事をさせられているヒトを見るのはつらいのだ。もう百歩譲って(これで二百歩だ)私が、国旗・国歌が大好きで心から国歌を歌い、国旗に敬意を示したいと思っていたとしても、「心からそれを好まぬ」ヒトと一緒に歌い、敬礼するのは嫌だなと思うだろう。やはり同好の士とともに言祝(ことほぎ)たい、と思うのが自然なのではなかろうか。もう百歩譲って(これで三百歩だ)「こんなええかげんな連中とは私は歌わない、敬礼もしたくない」という「愛国の士」が現れたとき、彼らはその論理にどんな「指導と罰」を与えるのだろうか。心の内面に踏み込んだ途端に解く事のできぬ問題に直面せざるを得ぬのではなかろうか。
と、書いていると「世の中はそんな原理主義者ばかりではない。大抵のヒトは生活や暮らしの為に適当に歌ったり、敬礼したりするものだ」という声が傍らからしている。でもそんなにして歌われる「国歌」って「何なんだろう」。
暗くて、寒くて、冷たい日だ。傘でも差して外に出てみるか、「犬も歩けば棒に当たる」という諺もあることだし。
2011年11月22日火曜日
イッカ・ニカ(一荷・二荷)
イッカ・ニカ(一荷・二荷)
落語「壷算」を楽しんでいると、単位に「荷」が出てくる。「古いところを聞いていただきます」と始める事の多い落語であるが、この話も「明治・大正」頃のようすである。
身近でこの単位を使っている職種があるのをご存知だろうか。「汲み取り」「し尿処理」の業界である。
前にもどこかに書いたが、岡山市の汲み取り代金は高いと思う。他の市と比較したわけではないが、つましい生活を圧迫する額である。見方を変えれば、食うに困れば出るものも出ないわけで、汲み取り代金が生活を圧迫する事もなくなる。でもこれって「壷算」の論理にどこか似ている。
そこで、自ら汲み取ることにした。この計画が家の者にバレれば反対されることは火を見るよりも明らかであるから、秘密裏に事は運ばなければならない。使います物は、タンク・運搬車・汚泥ポンプ。これを購入する。もんだいは「何処へ」運ぶか。これは、柿の木の畑にした。幸い人家からは遠い。
さて決行日を何時にするか。
そんな事を考えていたら、その昔、詩人「田村隆一」が「水を飲み泥を排泄し」と書いていたことを思いだした。さて、観念ではない本物の「泥」を相手にするか。
2011年9月6日火曜日
台風の跡あるいは下衆の顚末
台風のあとあるいは下衆の顚末
台風12号(タラスという名前らしい)は日本海に消えてしまった。この台風の衝撃は身近の者を痺れさせている。昨日今日と海沿いのスーパーマーケットは、臨時休業している。「売り出し」のチラシは折込に入るが「休業」のチラシは入らないから、二日とも門前で引き返すことになった。冷蔵機器を運び出していたから、手ひどく浸水したのだろうか。オデンの話を聞いてくれたレジ嬢どうしているかな。
あまねく被災したのであるが、どこがどんな被害を受けたのか、身近な事さえこんな時はわからないものだ。
あまねく被災したのであるが、どこがどんな被害を受けたのか、身近な事さえこんな時はわからないものだ。
空には晴れ間が戻り、
日差しも陰を作っている。
溜池はどうなっているか気にかかる、行ってみようか。
河川敷の草々はきれいに流されてスッキリしている。土の登り道は水の流れで轍(わだち)が深くえぐられていてカブでは登りにくい。池は無事だ。アラテ(排水の為の水路・洗い堤?)を越して水の流れ落ちたたことは、枯れ枝の流れ残った形でわかる。満水だ。
洗い堤に立ち一枚、
隣の谷を降りてみると、T氏の棚田が崩れていた。
この崩れた田には稲ではなく、里芋(サトイモ)をつけていた。稲を付けていれば、岸(ケシ)のモグラの穴など、毎日のように見回りをして潰してゆくけれど、畑にすると岸(ケシ)のことはついおろそかになる、そんなこんなで、崩れるのは意外とこのケースが多いように思う。
しかし、そうは言っても、棚田は崩れる時は崩れるのである。むしろ、崩れたら直してきたヒトの行為の形が棚田の形なのであろう。
しかし、そうは言っても、棚田は崩れる時は崩れるのである。むしろ、崩れたら直してきたヒトの行為の形が棚田の形なのであろう。
少し下では、増水した水路に石垣が洗われて崩れていた。
ちょうど水路のカーブした外側に当たる所だ。絵で見るように丁寧に積んだ石垣で、経年による石垣の劣化が原因とは考え難い。私が思うに、最近このすぐ下流をコンクリート三面張りの水路に変えた。それで水速が増し石垣に当たる力が増えたせいだろう。これは仮説の領域であるが。
それから下ると河川に出て、こんな感じに不思議な壊れに出会った。
上流から下流を見て
側面のコンクリート張りは壊れていない、しかし、川の両脇の土がきれいに流されている。
これは一枚上の絵に写っている橋から上流をみたところ
この現象の原因は特定できる。川底から側面の土が吸い出された為だ。
この河川の側面コンクリート張りにしたのは私の子供の頃だから、50年間起こらなかった事がなぜ、今回起こったのか。
この河川の側面コンクリート張りにしたのは私の子供の頃だから、50年間起こらなかった事がなぜ、今回起こったのか。
それは、大掛りな「川浚い(かわざらい)」を施工したせいだ。地元の業者に委託してのこの工事は、公共工事減少の流れのなかで業者の「小遣い稼ぎ」として考案されたものだ。不要不急のこと、愚かな事をするものと私は考えていた。しかし、こんな事になるとまでは考えていなかった。
皮肉な事に、今度は、復旧の仕事が生じたわけである。
ここに到って「下衆どもは死ぬまで下衆だ」と私は考える。むろんいづれも、行政の発注した工事の結果であるから「下衆」の中心は行政である。
わたしは死ぬまで彼らを宥すことはなかろう。
さて、O氏の稲はこんな具合だった
皮肉な事に、今度は、復旧の仕事が生じたわけである。
ここに到って「下衆どもは死ぬまで下衆だ」と私は考える。むろんいづれも、行政の発注した工事の結果であるから「下衆」の中心は行政である。
わたしは死ぬまで彼らを宥すことはなかろう。
さて、O氏の稲はこんな具合だった
今が、稲の生涯で、一番長(た)けの伸びた時だ、私の胸近くまである。
近寄ればこの天候を受けて花が咲いている。
2011年9月4日日曜日
台風冠水顚末 1
台風冠水顚末
これを書いているのは9月4日午前4時。きのう3日は台風が頭上を通過し、私の棲息する地域は冠水した。ツイッターで呟き続けた記録を手直しして載せてみたい。同じような台風による冠水体験を7年前にしているので驚きは半分だったが、油断もまた半分あった。
・三日早朝、夜明け前。
雨風の音で目を醒ます。階下でコーヒーを入れていると、オス猫がやってきて、東向きの窓際に座って「出るから開けて」とこちらをみる。開けてやると雨と風がドッと吹きこんできて驚いた彼は思案している。いつまでも開けてはいられない。そこらじゅうの物が濡れてしまう。あきらめさせた。すると、北向きの裏口に彼は行って「ここから出る」と私を見る。「おまえな。これは台風というもので、裏口にも来とるんで」と開けてやる。言葉は通じないから見せて納得してもらう以外になかろう。彼はしばらく風と雨に満ちた暗闇を見ていたが、思い定めたものか弓を引き絞るように背中の筋肉に力を込めた、次の瞬間、闇の中に消えた。「何処ぞに、これと決めた相手でも待たせているのだろうか」とジイは考える。
・一時間後
猫は出て行った。これといった相手を待たせているわけではないおじさんも、川と海の水を見に行くために出てゆくことにする。
沿岸部0メートル地域の浸水はふたつのケースがある。ひとつは、海水が堤防を越えてくるケース。もうひとつは、海水は堤防で防いだとしても、山からの水で浸水するケース。私の体験では後者の確率の方が高い。メカニズムを説明すると。土砂降りの雨の時、海の水位が高いと樋門を開けて海に排水する事が出来ない。もたつく内に堤防の内側に海と同じ水位の水が溜まり浸水する。このことはあまりご存じないだろう。堤防をいくら高くしても内側に淡水の海が出来るわけだ。これまでは遊水地の存在がそれを緩和してきたのである、この地域では海抜0メートルの水田が遊水機能を担ってきた。しかし、水田の埋め立て・宅地化で水田の遊水機能は急速に失われつつある。寓話的に表現すれば「ヒトの一時の欲の海に、われわれは浸かる事になる」わけだ。
2011年8月31日水曜日
トラクタお前もか
トラクターお前もか
ツイッターはその時々の感想を述べるにはちょうどいい道具だ。多面的なブログ表現の一面が感想の集積なのであれば、140字を繋げてブログにしてみよう。つなげることで時々の思いのブレ、思考のクセ、がよりリアルに表現できるだろう。少し手を入れながら時系列で。
「トラクタのエンジンがかからない。草刈機ならば混合ガソリンエンジン25㏄だが、これは軽油ヂーゼルエンジン800㏄。おまけに車と同じでスターターモーターを回してかけるしかない。バッテリあがりか?と予備のバッテリに替えてもみた。しかし、スタータがウントもスントもいわないのだ。イジリたおすかと家に取って返し。冷蔵庫の氷をグラスに入れ琥珀の液体を注ぎ」
気を静めたわけだ。そして、反省してみる。
気を静めたわけだ。そして、反省してみる。
「トラクタを動かそうとしたのは、他でもない。草まみれの畑を草刈機で刈り倒した後を耕そうとしたからだ。トラクタの不動を確認した後に、どうして私は四爪鍬(ヨツメグワ)で耕そうとしなかったか。と反省している。目的は耕すことにあるのであるから。使えぬ道具は捨ててそうすることが論理の導く所だった。」
「目的をはづれて、メカニズムに惹かれ、メカニズムに淫する性癖。倒錯的なそれ(不調であればあるほどアドレナリンが出てくる体質)は。『あんたは、変わっている』と言われる原因だとつくづく思う所である。さて、日も暮れてきた、あしたは、どこから弄ろうかしら。」
反省していない。次の日の朝、
「さて、トラクタのどこを見るか。1.スイッチ=クラッチを踏むことに連動するそれ。2.ヒューズ=メインのそれではなく電気回路の途中にしかけてあるそれ。3.スタータ。生きているか死んでいるか。バッテリはひと晩かけて充電した。さあ始めるか。」
ところが、つぎのツイッターはこんな具合。
「『さあ始めるか』と書いて5時間経っている。寝惚け眼(まなこ)で自分の書き込みを見ている私は、何者なのか?外を見れば陽も高く暑そうだ。その気はあったみたい。しかし、お昼寝タイムと重なって。このざま。やる意思や良し。とするか。」
またしても、反省。そして居直り。
「トラクタが直った。あれこれイジッタ末、最初に疑った、こと(バッテリがあがっている?)に立ち戻った。昨夜充電したバッテリは2007年に購入した物だった。いくら一晩かけても充電しないことに気付く。新品を購入。一発で動いた。今は、私のケチを確認することが出来てとても満足している。」
またしても、反省と居直り。
またしても、反省と居直り。
「トラクタの試運転をした。カバーを付けるのはまだ。畑にいるとU氏に『どしたん?蓋がねえが』と言われた。明日から水を落とす。」
畑でU氏と相談し池水を抜くことに決めたわけだ。
「トラクタの爪の回転を落として、何度も耕す。土は湿っていて、命をはぐくむ場所は湿っているものだと。そう思う。」
2011年8月18日木曜日
今度こそ「水引」のこと
水引の旗。この旗には書いていないが池の名前の下に「水落相談」と書き込むのが正式な旗である。作り直すときにはそう書こう。
説明は以下に
今度こそ水引のこと
「水引」をしている。と構えて「水引の事」を書いていない事に気づいた。脱線しないように『レポート』風に。書けるかしら。
今年は、七月二十日から雨が降らずにきている。河原の水も無くなった。八月九日に一回目を抜き、今日で二回目の池水抜きになる。午前五時、池の堤から対岸の街灯の粒々を望遠モードで
池水を抜けば
沢に勢いよくザーと音を立てて落ちてゆく
沢に落ちた水を水路に引いて
田まで一気に落とす
さて、水引に関する「しきたり」について書いておこう。この「しきたり」は文字に書かれているわけではない。無文字のルール。不文律。なのである。説明は以下に。
まず、田の水が欲しいとなると、「そろそろ水を落さんか」と誰でもいい、言い出すわけだ。すると水引は旗を立てる。(以下は、その旗を関係の者がすべて見るという前提にたっている)
そして、一日おいた次の日、池水を抜くのである。一日置くのはなぜか、田によって、今回は水の要らないところはイデをしめる。あるいは、水引にその旨伝える。欲しいところは十分に入るようにイデをあける。つまり、準備の期間が一日あるわけだ。
次の日から、旗の出ている期間は各戸のイデは田の耕作者であってもいじれない。イデは「水引」だけが動かす事が出来るのである。「水引」は皆の田にだいたい水が行き渡ったと判断すれば、旗を仕舞う。この時は、まだ水路には水が流れている状態である。旗が無くなれば、それぞれは、欲しいだけ、イデを開けて水を入れたり、また止めたりできる。(これを「水のかけひきをする」と言う)
そして、日照りが続くかぎり、この一連のしきたりを繰り返すわけだ。
旧弊な田舎のしきたりといえども、旗一本でコントロールをする、なかなかよく出来たシステムとは思いませんか。
今日夕、旗をしまおうと野良に行くと。O氏に会った。畦を歩いてきて、顎の辺りを掻きながら「流すだけ、流して。なんにもせんから」と独り言のように私に言う。「だれがなんにもせんのなら、そいつはだれで」とわたしは声を荒げて聞き返す。無文字のルールにはこのくらいの諍い?も薬味なのである。O氏は立ち去り。私は、旗を仕舞いに行く。
わたしが、稲を付けていないのに「水引」をしている理由のひとつは、一番最初に水不足になる田の持ち主に「水引」を任せると、いらぬ軋轢が起こるだろうからである。誰もいなければそうも言っていられないのだが今年は私がやっている。どんなちっぽけな公でも、「我田引水」は宥されないのである。
注、ブロガーという投稿の仕掛けがうまく動かない。写真の場所のコントロールが出来ない。この投稿は「以前のエディター」なるものを使ってやっとこさの結果だ。ブロガーの調子が直れば書き直すつもり。
2011年8月11日木曜日
今年も池水を つづき
今年も池水を つづき
水引もきょうで三日目、5時前に野良に出た。すると、東の空が燃えだした。オウ、今日のはスゴイ。あい にくカメラを持っていない、慌てて小走りで家に取って返し、家の中でもドタドタ急いで、カメラを手に闇のまだらに残る路地を東に走った。(稲も作らずこんなことにかまけている)
その輝きをあるものの象徴として絵に残したい。私のその時の、その衝動を分析してみれば、そいうことになるだろう。
絵に託して、なにを象徴したかったのか。それは、地表のあらゆる命の輝きもまた同じではないか。という私の一瞬の感慨に尽きるだろう。
それは、私の価値にすぎない?ブログ載せて私はそのことを問うているのである。
足元のO氏の稲はこんな具合、今年も米は取れそうだ
西の空も染まっていた
程なく輝きは失せる
今日も暑くなりそうだ
どうして私はガラにもなく急いだのか。私にはその燃え上がる空は、ほんのひと時の輝きにすぎないと解っていたから。その輝きをあるものの象徴として絵に残したい。私のその時の、その衝動を分析してみれば、そいうことになるだろう。
絵に託して、なにを象徴したかったのか。それは、地表のあらゆる命の輝きもまた同じではないか。という私の一瞬の感慨に尽きるだろう。
それは、私の価値にすぎない?ブログ載せて私はそのことを問うているのである。
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