2012年1月31日火曜日

プチ事故

プチ事故

県北からの帰り道のことだ、午後7時過ぎだったか、国道2号線(バイパス)を西から東に家に向かって(餅と野菜を積んで)走っていた時のことだ。
児島線から合流する車線(側道)を軽四輪が上がってきたのが見えた。軽四輪は私たちの車の前に出られると判断したのだろう、アクセルを踏んで右にハンドルを切った。それは、こちらが、少しアクセルを緩めれば入れてあげられるぐらいのタイミングだった。
ところが、本線と側線との間には、「縁石」(アスファルトを盛り上げたもの)があったのだ。(明るければ見えていただろう)
軽四輪はそれに右の前のタイヤを乗り上げ見事に大きくバウンドした。ショックでホイールキャップは本線を転がっている。横転事故は免れたが軽四輪は斜め左前の本線で止まった。軽四輪の運転者がそのまま右にハンドルを切っていたら簡単に横転していただろう。

                                         赤丸の部分が問題の場所、左から右に走っていた

このプチ事故を助手席で見ていた私の感想。
1. 自分の運動神経を過信して、運頼み、神頼みの運転はしないこと―(己を知ること)
2. 軽四輪はそのまま、ヨロヨロと発進し運転を続けたが、せめて、安全な路肩を探して止まり、前輪の状態を確認すべきであろう。
3. 以上のような事を私が書けるのは、事故を見たつれあいが本線上で急ブレーキをかけて止まったためだ。これも危ない。「何をしている、行け」と声をかけたが、フリーズしたものか行かなかった。もしその時、後ろから車(大型トラック)が来ていたらと思うとゾッとしている。

つれあいの運転振りに、あれこれ口出しをすると「(あんたは)自分のしたいようにしたいんじやろ!」と素っ気ないが、危ないものは危ないのである。
日頃、私のことを蹴散らかすように扱うこの者は、いざ運転手となると豹変して優しくなるのである。横あいからぽっと出てきた車を入れてやろうと、後先構わずブレーキを踏んだりするのである。どういう判断がそこに存在するのか、解るようで解らない。



2012年1月29日日曜日

旧正月の餅つき 顛末

腰痛

昨日のことだ、つれあいの故郷、県北から「旧正月の餅を搗くから帰っておいで」と連絡があって、イソイソと手伝いに出かけた。県北に着くとすぐ「まあ一杯」などということになって杯を重ねてご機嫌になった。

さて、ご機嫌の私は、餅つきの手伝いもソコソコに途中離脱して、炬燵に潜り込んでうたた寝に相成った。県北の炬燵は「掘り炬燵」で足元が広い。仰向けになって足を伸ばして「オオ極楽」。と寝たはいいが、海老反りの姿勢が腰には良くないらしく、昨日夜から腰が痛い。
もともとペンギンみたいな体型なのであるが、歩き方までペンギンみたいになってしまった。この名誉?の負傷についての「同情」は今のところ何処からもない。
ペンギン体型については「これを参照されたい。

2012年1月27日金曜日

クレジットカード

クレジットカード

インターネットで古本を購入ようと、カチャカチャ、叩いていると。お支払いは「カード(クレジット)」以外はお受けしません。という項目でしばしば躓く。
私は、そんなものを持った事も無ければ持とうと思った事もないけれど、カードでしか購入出来ない本があるのは癪に障る。
そこで、クレジットカードを作りに「銀行」に出かけた。案内のヒト(女性)に事情を説明して、窓口の娘(これも女性)に申し込み用紙を渡された。
「収入は?」「そんなものはない」「職業は?」「これと決まったものはない」「既婚でしょうか?」「もう三十年も既婚している」「扶養家族は?」「無い」「既婚で扶養家族がないのはおかしいですね」「私は扶養していないが、相手から見れば扶養しているかもしれん」長い沈黙の後、「そういう事だって、在りますよね」
このカード、発行されるものかどうか、私の「興味」はそこに「津津(しんしん)」なのである。
「俺こんなカード持ってんねん」という御仁の自慢はどこから来るのか、解らずに過ごして来たが、つまりはこんな「審査」を通過したことなんだろう。

2012年1月25日水曜日

オデン・筑前煮・干し秋刀魚

昨日のことだ、食料の買出しから帰ったら、おふくろが筑前煮(鶏肉・ごぼう・コンニャク・ダイコン・ニンジン・しいたけ・高野豆腐・小芋などを煮たもの。汁は煮詰めて具に絡める)を作っていた。

それはそれで喰えばいい。しかし、煮物が重なるにしても、私は予定していた「オデン」(たっぷりの汁・牛の筋肉・ダイコン・ゆで卵を浮かべたもの)を作った。筑前煮と材料が重ならないようにした。

これが我が家の「メニユー係」私の工夫である。練り物(ハンペンなど)とコンニャクはいつでも汁の中に投入できるようにしている(むろん下湯でしてからの事になる)。
この判断について、誰にも文句は言わせない。ひとつの家に主婦(主夫)は一人しか棲息できないのである。

「個性」と「全体」との軋轢と融合これは、我々の日常生活における永遠のテーマではなかろうか。と書いて後、止せばいいのに、この寒風でしか出来ない。と秋刀魚の生(解凍)を開いて塩水に漬け、干し網に仕掛けた。

我ながらいい出来だ
さて、オデンと筑前煮と秋刀魚干しの行方はいかに。

書くまでの事ではないけれど、我々の「日常茶飯事」は文字どおり「食い物」を中心にして回っている。事件は現場でそれも、食卓の上で起きているのである。皿にひとつだけ残った「牡蠣フライ」を誰が食すか。互いの間合いを計り、力関係を考え、恋の行方ほどにも、悩むのが「我々の習性」なのだ。このケースの場合、「あんたの手元にあるソースの乗った皿、それをこちらに寄越しなさい。残ったソースがもったいない」とのつれあいの一言で解決したのであるが。
これを書いていると、雪が降ってきた。


地球はまだ美しいか

2012年1月19日木曜日

ケーコートー

ケーコートー

反応の鈍いドンクサイ人物をこう表現していた。今では滅多に聞かなくなった。
台所の蛍光灯がチカチカし始めた。寿命が来たらしい。家の中で一番長く点いているのがこの台所の明かりだ。この際、節電も兼ねて流行(はやり)のLEDに取り替えようと思い立った。電気屋にゆきコードとか口金とかを買い込んで付けてみた。裸電球がブラ下がっているのと同じだけれど、点けてみるとLEDの光は少々目にきつい、それでフードを付ける事にした。何かないかと家中の物を怪しげな目つきで漁った後、行き着いたのがこれ。



自慢したいのである、我が発想と工夫を。家の者どもも文句も無しにこの明かりの下で箸を使っているのだから、この家族少し変わってますな。





自慢といえば、これを見せたい、戦前(正確には戦中か)の「防空用電球」。ソケットに付けてみたらまだ生きていた、絵でもお解かりのように、真下にしか明かりが行かぬようにしてある。「防空」といっても敵アメリカの圧倒的戦力を防ぐ知恵がこれだから勝ち目は無かったと言わざるを得まい。この明かりの下でB29の不気味なプロペラ音を息を潜めて聞いていた時代はそんなに遠くはないのである。ちなみにこれが活躍していた時から8年後に私は生まれている。



2012.1.19の日記

雨・国歌・国旗

久しぶりの雨が降っている。そうでなくても閉じこもりがちの冬の日、いよいよ閉じこめられている。乾燥ぎみの畑には、良いお湿りだ。植えている玉ねぎに肥料を施せば雨に溶けた養分が玉ねぎを太らせるだろう。でもカッパを着て冷たい雨の中を畑に行くのは億劫だと窓から眺めて雨間を狙っている。予報では一日シトシトと降るらしい。明日があるさ。それに、玉ねぎは大きい方が良いのはそれを収穫して食べる私の都合だ。肥料のことは玉ねぎの都合ではない。腹を空かせた犬猫に餌を遣らないのとは違うだろう。
大阪の方では、国歌・国旗に忠誠を示さないと罰を与えると言っている。(東京でも同じ事をしていた)。百歩譲って、それで大阪が活気に溢れた都市になるのだとしても、(それで東京が活気づいたとは聞かない)。でもなんだか嫌だな。と私の気分が囁く。嫌な事をさせられているヒトを見るのはつらいのだ。もう百歩譲って(これで二百歩だ)私が、国旗・国歌が大好きで心から国歌を歌い、国旗に敬意を示したいと思っていたとしても、「心からそれを好まぬ」ヒトと一緒に歌い、敬礼するのは嫌だなと思うだろう。やはり同好の士とともに言祝(ことほぎ)たい、と思うのが自然なのではなかろうか。もう百歩譲って(これで三百歩だ)「こんなええかげんな連中とは私は歌わない、敬礼もしたくない」という「愛国の士」が現れたとき、彼らはその論理にどんな「指導と罰」を与えるのだろうか。心の内面に踏み込んだ途端に解く事のできぬ問題に直面せざるを得ぬのではなかろうか。
と、書いていると「世の中はそんな原理主義者ばかりではない。大抵のヒトは生活や暮らしの為に適当に歌ったり、敬礼したりするものだ」という声が傍らからしている。でもそんなにして歌われる「国歌」って「何なんだろう」。
暗くて、寒くて、冷たい日だ。傘でも差して外に出てみるか、「犬も歩けば棒に当たる」という諺もあることだし。

2012年1月17日火曜日

きのうはあすに

きのうはあすに

新年の詩を持っている詩人は幸せである。なぜなら、一年に一度は思い起こして貰える事があるから。
中桐雅夫1919年生まれ~1983年没
「きのうはあすに」
新年は、死んだ人をしのぶためにある、
心の優しいものが先に死ぬのはなぜか、
おのれだけが生き残っているのはなぜかと問うためだ、
でなければ、どうして朝から酒を飲んでいられる?
人をしのんでいると、独り言が独り言でなくなる、
きょうはきのうに、きのうはあすになる、
どんな小さなものでも、眼の前のものを愛したくなる、
でなければ、どうしてこの一年を生きてゆける?
『会社の人事』1979年ページ140より。


ところで、ほとんど手遅れなのだが、つれあいは慎重に選ぶ必要がある。今年の正月には『美酒すこし』中桐文子。を手に入れて傍らに置いている。
破滅的に飲んだ彼のつれあい中桐文子が1985年に彼を偲んで?出版した本だ。没後2年か。そこで、彼は完膚なきまでに裸にされている。「序」がすごい、いやこの序だけでも、充分彼は立ち直れないだろう。「かわいそうなひと」と題されたそれは。文末ごとに、「かわいそうなひと」。と何度も重ねて記述され、最後に「彼が死んだ。彼には器用な飛翔はとてもできっこないであろう。ぶきっちょによろよろと、どこに行くのかも解らずに宙空をさまよっているとしか思えない。かわいそうな、かわいそうなひと。」と結ばれている。中桐雅夫の詩友であった、鮎川信夫氏が、マアマアおだやかに、と仲を取り持った、ような解説を書いているけれど、それの結びが「(この本は)強い辛口の酒である。中桐雅夫はしたたか酩酊して、安らかに眠りに就くであろう。人生の苦味をいっぱいにたたえた薫り高い詩で、一切の事が縁どりされていることに満足して。」というのだから、どっちの肩をもっているものやら。
いずれにせよ、できれば、つれあいは「寡黙」を選ぶべきだろう。私の知る限りそんな幸運に恵まれたヒトはいないのであるけれど。
いろいろ、述べたが、だれの味方でもない私にとって、この「序」は「きのうはあすに」と供に忘れるには惜しい作品であるのだ。

2012年1月12日木曜日

子猫旅立ち

2012.1.7にこんな事をつぶやいた。
「日付が変わって、犬共との散歩。今日は「ぬくい」夜だ。寝静まった家々の明かりを見ながらの散歩。犬の気配に寝とぼけたものか鷺がヨタヨタしている。これに犬どもは興味津々だが、私はさほどでもない。他の事を考える。「自由」の事を。こんなに自由を手に入れた事はこのクニの人々とって史上初めてだろう。仕事・暮らし・服装・思想信条・政党支持・不支持。その代わりの「自己責任」。政府の言うところの無茶振りの自己責任論が、一定の支持を得るのはそんな下地があるのだろう。と。帰宅してみれば猫の家族がダンボールの家で寝ている。」

トロンとした目は下に湯たんぽが潜んでいる
それから今日2012.1.12のつぶやき。
母猫の連れ帰った三匹の子猫。家の中での「ワルサ」も手に余るようになった。外に出そうと考えた。この風の中、いつでも戻れるように窓を開け放っておいた。仔猫供は、用心深く外をうかがっていたが、やがて生まれて初めての場所に出て行った。それを見ているおじさんの事は気にも留めずに。
この後、幸運に恵まれて彼(彼女)達がイノチをまっとうする事を祈るばかりだ。
ヒトの子育ても、犬猫の子育ても同じ事ではなかろうか。心配しつつ。信頼して。個々の持つ能力と運を信じて待つこと以外には。
犬の鋭い牙に脊髄を一撃にやられて絶命した子猫を何匹も見てきた故に心配はつきぬのである。

数時間後、帰っている三匹を確かめて窓を閉ざした。一匹の足は泥で染まっているどうやら、「ドブ」に落ちたらしい。

「命とは何だろうか」

2012年1月3日火曜日

一月一日前後のこと

一月一日前後のこと

毎年元日の新聞折込チラシの厚みには驚く。今年は試みなかったけれど、或る年は重さを量ってみたことがある。どのくらいだったかは忘れた。チラシといえば、年を跨いだ広告はないみたいだ。例えば売り出し期間は12月30日から1月3日というような。これは、何はともあれ、「正月が区切り」とこの国では以前から誰もが無条件に認めていたせいだろう。何よりつい先ごろまで世間の貸し借りを『盆と暮れ』で清算していた。
12月31日の明け方事だが、我が村に時折突然出現する「合宿形式日本語学校」の中国人生徒の早朝ジョギング訓練に出会った。ちょうど生ゴミを畑のコンポストに運んだところだった、手指が痛いほどカジカミ、長靴のなかの足指も痺れかけていた。自転車で先導する指導員の後に十数名のジャージ姿の若者が走ってきた(女性もいたがほとんど二十歳ぐらいの男性)てんでに「おはようございます」と彼の国のアクセントで挨拶をされた、私は十数回「おはようさん」とこの国の訛りで答えた。何事も軍隊式なんだな、年の瀬の31日にも勉強か?と驚いたが、考えてみれば、彼の国は旧暦が年の変わり目なのだろう。それにしても、「合宿学校」は一月しないうちに解散され、彼らはすっかり居なくなる。聞くところに寄れば「皆(みんな)仕事が決まって」旅立ったのだと聞く。どの国の若者でも、彼らの幸福を願う事には変わりはない。けれど、この奇妙な日本語学校の若者の就く仕事とは何かと合点がゆかないのである。
追記。今年のチラシを計ったら400gだった。