2016年12月14日水曜日

ミサゴ(オスプレイ)の墜落

奇妙な軍用飛行機オスプレイが沖縄で墜落した。およそヒトの乗り物、自動車の歴史は衝突の歴史だし、船の歴史は沈没の歴史だし、飛行機の歴史は墜落の歴史なのだ。だから墜落その事には驚かない。しかしその後の経緯には驚いている。不時着してから美しい物語が始まるサンテグジュペリの「星の王子さま」みたいな展開は望めそうもない。なにはともあれ沖縄の市民とアメリカの若者が無事であったことが唯一の救いだ。

2016年11月30日水曜日

オリオンのこと

お隣の国、穏やかじゃないな。民間の人物が大統領を牛耳ってたってスキャンダルで大統領を辞めさせるらしい。激しいな。いや、このクニだって「経団連」って民間が政府を牛耳ってるんだけれどな。
パソコンをスリープにしてもう寝よう。テレビも点けず外を見ればオリオン座が見事じゃあないか。お隣の国でも東の空にはオリオンが見えるはずなんだが、デモで疲れてみんな眠っているのかしら星も見ずに。


 手持ちで撮ったらこんな感じ
ならば三脚を持ち出して

 少し視野をひろげて
数枚






2016年11月25日金曜日

午前三時の月

昨夜は星がきれいに見えた。登ってきたばかりのオリオンは見事だった。ベデルギウスの赤が鮮明で我知らず彼の星の運命を思ったことだ。これは午前三時、下弦の月、私の住まいする所も数時間すれば、あの月を照らしているあの太陽の方に向く。
ベテルギウス

2016年11月23日水曜日

本日のニュース

夕刻になれば、きょうのニュースをマスコミは流す、さしずめ今日のお題は、首都圏の「雪」か。「雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう・Silent night, Holy night・きっと君は来ない ひとりきりのクリスマス・イブ」この山下達郎の歌を思い出した向きは年寄りに多いんじゃなかろうか。あのJRのCMとともに。
東京のひとりよがりは毎度のことなので付き合いきれないと思うこともショウジキままある。
ところが、今日のニュースはこれではない、夕刻、わが村のお寺に備えられている拡声器が警告を放った。
大意を記せば「本日、新田堤(通称 シンデンズツ 注=県道の所、東京でいえば霞ヶ関))で猿が二匹目撃された、親子と思われる、戸締まりをして外出をしないように、駐在さん(=警察官)も来ています」。
さて困ったのは犬どもの散歩のことだ。
ところがつれあいは「猿は夜行性じゃあ無かろう」と言う。どうやら夜間の散歩は中止とはならないみたいである。
それにしてもこの寒空である、猿の親子はどこで暖をとっているのかしら。

2016年11月22日火曜日

キオツケ

夜になると、キヲツケ、ミギムケ、ナオレ、バンゴウ。みたいな号令が張り上げた声で聞こえてくる。軍隊みたいだなと思うが、私の住む瀬戸内地域はこのクニではめずらしく自衛隊も米軍も見かけないところだ。では何の誰の号令なのか訓練なのか。耳を澄ましてみればこの村の消防団員達だった。彼らのこんな訓練を聞くのは初めてではなかろうか。きな臭い世相の反映でないことを祈る。

2016年11月21日月曜日

一夜にして


一夜にしてこうも変われるものか。安倍氏が早速にトランプ氏に会いに行った途端にこのクニのマスコミはトランプ肯定に変わった。見てはないがNHKの報道は見るにはばかられたという。アメリカの属国の立場にある政府が「ヨイショ」をすればマスコミどもは「オミゴト~」とまるで太鼓持ちのありさまだ。暗澹(あんたん)たる思いでいっぱいだ。このクニの主権者のひとりとしてこのことだけは書き留めておきたいと思った。無批判に政府の発表を垂れ流し無残な戦死者、数百万人に至ったマスコミの反省はどこに行ってしまったのか。

2016年11月20日日曜日

秋の朝霧

雨があがって、昨夜は温い大気がどんよりと地表を覆っていた。お陰でお名残の蚊に刺された。夜が明けてみればいちめんの霧。


2016年11月19日土曜日

リカちゃん人形のこと

映像でしか、それもおおかたは絵でしか、世間の動静を見聞できない私である。次のアメリカ大統領が「トランプ氏」に成ると決まって、10日程になるのか、映像や絵を見ていると、どこかで見たことのある物を思い出している。それは「リカちゃん人形」だった。リカちゃん人形の家族構成には興味も関心もないが、検索すればトランプ氏の家族と相似するのではなかろうか。

2016年11月17日木曜日

鴨鍋のこと

一国の代表を尊重することは国民の義務ではない。しかしながら、代表が民主主義の法体系によって選ばれているとするならば貶(いやし)めたり茶化したりすることは控えるべきであろう。
それはそれとして、今朝方いやな夢を見た。鴨がネギを背負って東の方に飛び立った夢だ。正夢にならなければ良いのであるが。
さて、マスコミ諸氏は鴨鍋事案をどう取り扱うか目覚めた私はそんな倒錯した気分にある。

2016年11月15日火曜日

どうなのウサギくん

陽のあるうちは曇り気味で今宵の観月はダメだろうと思っていた。日暮れて帰宅したつれあいが柄にもなく「今日の月は大きいで見てごらん」と言う。あわてて窓を開けて二百五十ミリでパチリ。月が少しだけ大きくあるということは、この地球もまたあそこからは少しく大きくあるということなんだ。どうなのウサギくん。

気温17.0度シー。湿度56%。いわゆるスーパームーンの日に。

2016年11月14日月曜日

ブレーキを踏んだつもりがアクセルだった

「ブレーキを踏んだが止まらなかった。」高齢者の交通事故が突然増加し始める事はないだろうから、高齢者の交通事故を意図的に選んでニュースに流しているのだろう。こんなニュースにはご用心。通勤に車を使っているつれあいはもしも自分の身にと心配している。年齢早見表を見てみれば私は年六十を三つも過ぎているし、彼女はちょうど還暦だった。「アイサイト言うんかなブレーキが掛かる車がええ」という私はそれじゃあ防げないだろうと考えた。重さ1トンを越す物体がその走行能力フルパワーを発揮すれば(発揮し続ければ)直ぐには止まれない。問題は、止まろうとする明確な意志を持ちブレーキを踏む、踏んだそれがアクセルであるといういうことだろう。慌ててますますアクセルを踏みつづける。解決はひとつしかないだろう、踏むもの、踏めるものはブレーキだけにすることだ。ハイブリッドだのアイドリングストップだの燃費を誇るのもいい。それに注ぎ込む技術力を踏み間違いストップの方にも向けてほしい。警察庁によれば七十五歳以上の免許所有は480万人そのうち返納した者は12万人だそうだ。四十人に一人(2.5%)に過ぎない。免許証更新の煩わしい手続きをしてまで免許証を持ち続ける理由は「それが必要だから」だろう。政府が老人から運転免許証を取り上げる方向にあるのだとすれば、同時に、いやそれよりも早く老人の足を確保する政策が必要だと思ったことだ。

2016年11月12日土曜日

アメリカのトランプ


トランプ氏は案外まともなヒトだと日本のマスコミは報じる。いや、身悶えするほど報じたがっているみたいだ。それにしても、この、ビッグデータの時代、隅々まで人々の嗜好を分析し対応するこの時代に、数少ない天邪鬼なマスコミを除いてヒラリー・クリントンの敗北を予想しえなかった事に驚く。訳知りの評論家、政府のいう有識者、有象無象のマスコミ取り巻き連中の予想は外れる。この事を証明したことに2016年アメリカ大統領選挙の唯一の意義はあった。

2016年11月9日水曜日

昼寝から醒めたら

今日は昼前に入院しているおふくろを見舞って、と言っても不肖の息子のすることは、電話で指示されたもの、ティッシュとかを持参して顔を見て帰るぐらいのことだ。私の狙いは帰り途にスーパーに寄って弁当を買うことだった。毎日々日々の家事を選んだ者は自分の作った物を食う事に飽き飽きしているのだ。さて、税込み320円の弁当を手に入れて帰宅した。思い設けた楽しみを食いつつこれの原価は幾らだろうと思う。われながら貧乏が骨の髄まで染み込んでいるな。どうやら150円位らしい、。それはそれとして、昼寝から醒めたら、カボチャに成っていたのではナシに、お王子様に成っていた(ジパングのお王子様だけは嫌だな、人権が無いんだもの)ではナシに。醒めて目を擦れば、トランプ氏がアメリカ大統領に成っていた。世界最強の暴力装置を握る司令官、グローバル経済を操る独占を保証している法体系の元締め。イギリス、フィリピン、と来てアメリカまでもそういう事に相成ったのだった。民主主義の脆弱さが露呈しつつあるのだろうか。他人事ではない、この日本でも民主主義の脆弱は顕著に顕れているのではなかった。
後刻、帰宅したつれあいは「よっぽど、ヒラリーは嫌われとったんじゃなー」という。そうだとしても、なぜトランプを選んだのかの説明にはならないだろう。と思ったことだ。

2016年10月4日火曜日

ノーベル賞・オリンピック・ニッポン

ニホンの研究者がノーベル賞を受賞した。
関連する解説記事を読んだ。私だけなんだろうか?チンプンカンプンだ。おそらく書いた記者も解らずに書いたのではなかろうかと推察した。オートファジー研究者からすればとんでもない記事も含まれていると思われる。一刻の猶予も許されない記事ではないのだからマスコミは腰だめでゆっくり書いたらどうなんだと思ったことだ。ニッポン・ニッポンと連呼したオリンピック報道を思い出すのは私だけなんだろうか。

2016年9月22日木曜日

東京、豊洲、小皇帝

東京都の新たな市場を巡ってはワイドショーの美味しいネタみたい。拝見しているとスケールは違うものの、このクニの戦争責任(敗戦責任)の論議を思い浮かべた。誰が何処で何を決めたのかが一向に明らかではない。そして結果は一億総懺悔?石原都知事が当時、小皇帝と呼ばれていた事。その意味が今になって明らかになりつつあるのだろう。結果責任を認めないその一点に置いてしかり。自殺者がでなければ良いのだが。

国籍考

卓球。福原愛氏が台湾の選手と結婚すると明らかにした。二重国籍だナンダと騒いでいる愚か者どもは、この事態にどう反応するのか楽しみだ。日の丸を背負っていない。日の丸を背負っている。その区別の根拠は何だろう。日の丸のためにと死んでいった我が父親の世代が不憫でならない。

2016年9月3日土曜日

夜半にオリオンを

夜半、3時過ぎ、目を覚まして部屋の明かりは消したままに、開け放った窓から東の空を見ている。
ん?あれはオリオンではなかろうか。目を凝らして良~く見ればそうだった。
冬の星座の雄たる者が夏の終わりは夜中にコソコソやってんのかみたいに思った。
すると東風(こち)がビュ~と吹き始めてまるでオリオンから吹いてきたみたいに少しく涼しくなったのだった。

2016年8月25日木曜日

行き違いには

おふくろが少し離れた町の病院に入っている。昨日のことだ、顔を覗けると、まっていましたと言わんばかりに、彼女から注文があった。補聴器の電池を買ってほしい。遠藤周作『沈黙』を読んでいるが文庫本なので文字が小さくて読みづらい、彼の他の本を読んでみたい「彼の書くものは面白いから」という。さらに、家で読んでいた新聞「毎日」を病室で読みたいとも言う。
死にかけて担ぎ込まれたヒトにしては随分な回復ぶりだ。
遠藤周作についてはネットで「ユーモア小説集」というものを注文しておいた。それにしても今時彼を読んでいる読者はどれくらいいるのだろう。
新聞はその町の「毎日新聞販売」を調べて電話して置いた。
さて今朝のこと、朝七時におふくろからの電話。何事ならんと聞けば「山陽新聞がきとんじゃけど」。ん~?となって昨日の販売店との会話を思い浮かべた。
「毎日新聞販売ですか、〇〇の病院の〇〇室に入院している××に新聞を届けてもらえますか」と頼み、こちらの連絡先も相手に知らせておいたのだが~。確かに「毎日新聞を」とは言わなかったな。
事ほど左様に、ヒトとヒトとの意思疎通は誤解と思い込みの障害物レースのようなものなのだ。換言すれば、ヒトとヒトは互いの思い込みによって繋がっている存在なのである。
街なかのカップルが人目にも憚らず必要以上とも思える接触行動を行う理由はこの辺りにあると考えた。言葉のやり取りなんて彼ら彼女らの「切実」には対応しきれて居ないのである。
さて件の販売店に電話して「行き違いが有ったみたいだ」と告げるとスンナリ誤解は解消された。オトナは「行き違い」には慣れているのだった。

2016年8月19日金曜日

オヨヨとのの字を

ニッポン女子のメダル獲得活躍を応援しているニッポン男子の気持ちが解らない。彼女達は格闘技系に強い。オヨヨと退いて四畳半の片隅で畳に「の」の字を書く「女」はもうこの世には居ないのだということを自覚しているのかしら。

2016年8月17日水曜日

世を拗ねて子ツバメ

小銭入れをひっくり返して、500円玉が何枚、100円玉が何枚、十円玉が~、って数えているようなオリンピック報道も見たくない。高校野球も見たくない。とすればラジオだ。とザラザラ音を接点潤滑スプレーで抑えて聞いてみればこれもまた高校野球とオリンピック。
世を拗ねて窓から外を見ればツバメがさかんに飛び交っている。少し飛んでは電線に戻りまた飛んでは~と繰り返しているのは南に帰る子ツバメたちの練習なのであろうか。岸辺から川面に飛び込んではまた岸辺に泳ぎ戻る昔の子供達の夏の遊びを思い出した。
子ツバメ達が止まり木にしている電線は我が家に引きこまれている電力線だから、二階の窓の直ぐ側にある。私を警戒しない彼らを観察してみれば、電線から前に飛び出して(飛び降りて)それから羽根を広げるやりかた。や前に体重を掛けると同時に羽ばたくやりかた。があるようだ。ここから遠く南の島々には常に電線があるとは限らないのであるから、さまざまな飛びたち方の多様こそ彼らの生存をより強固なものとするに違いない。そんな事を考えながら世を拗ねているおじさんは残念ながら彼らの関心のうちにはないらしい。

無償にさせていただきます

8月15日の事だ。「今までご機嫌よく回っていた扇風機がウントもすんとも動かない」と書いた。無償修理保障期間の一年間は一ヶ月オーバーしている。捨てるには惜しい、それで昨日メーカーの修理窓口に持ち込んだ「クチの悪いヒトは当たり外れがあると言うよ、くじびきじゃあ、あるまいしな」と窓口で嫌味のひとつも言いながら依頼した。すると今日の午後のことだ「直りました、無償にさせていただきます」と電話があった。いま扇風機は何事もなかったようにご機嫌で回っている。そして何故か私もご機嫌が良い。これは「無償」が効いたものと思われる。

2016年8月15日月曜日

ウントもすんとも

今までご機嫌よく回っていた扇風機が前触れもなく最強の風力になった。オイオイどうしたの?と見る間に止まった。それからウントもすんとも動かない。動かない扇風機を見ていると不快指数がいや増すような具合だ。暑気にあぶられて、壊れたものは直すか捨てるしかないのだ!と、なんだか哲学的になったりもしている。私も壊れかけているのかしら。

これ 2015年製造でっせ。ネットで検索したら当たり外れがあるらしい。籤じゃあるまいし。
と書いてフェイスブックで嘆いていたらパソコン先生からアドバイスがあった。

「ならば、念のため分解してみて、配線と部品の様子を確かめて、即座に直りそうなら、手をつけて、むずかしそうなら、二度とそのメーカーの製品は買わないことにしてはいかがでしょうか?」

私の返事「裏のネジを数本緩めて、基盤を眺めてみたが異常ありの箇所は見つからなかった。これはDCモーターだからもう少し複雑な仕掛けなのかと思っていたが拍子抜けだ。こんなに簡単なのに壊れるなんて!とまた腹立たしい。」

パソコン先生のアドバイス「DCモーターなら、速度調整は抵抗です。急に高速回転したなら、抵抗の短絡、そしてモーター内のコイル焼損ということかなあ~?」

私の感想「「抵抗の短絡」って良くあることなんだろうか。羽根を回すモーターは焼けたような臭いはしてなかったけど。いずれにせよ安全装置はないのか。例えばヒューズのような。ん~いや考えてみれば動かないことが安全の保障なのかな?」

パソコン先生の感想「だから外科手術で原因探求。またはやめて新品。決断のとき近づく?」

さてこの扇風機の運命やいかに。

2016年8月13日土曜日

前畑ガンバレ

[逃げ回る王者リネール 銀の原沢「チャンス少なかった」]これはデジタル朝日の見出し。この頃、世の中おかしくない?逃げまわってはいけないの?このクニ中、勝ちゃあいいって「ニッポンニッポン」って声が裏返っているのではないの。「前畑ガンバレ」の連呼レンコ連呼レンコ。が私の耳には聞こえている。

2016年8月12日金曜日

盆休み

スーパーマーケットの客はお盆モード。いつになく客が立て込んでいる。レジを打つ彼女達におじさんは聞いてみた。「お盆の休みは取るの?」と聞けば、たいてい盆休みは一日だけ~ということらしい。すでに休み?終わった彼女は「もう済みました」とつれない。「美しい?日本の伝統」を壊しているのは安倍お前ではなかろうか。

2016年8月10日水曜日

ニッポン日本?

オリンピック(リオ?)高校野球、天皇のお言葉、これがマスコミを占拠してテレビもラジオも聞く気も見る気もしない。いずれも感動エピソード満載で親や親戚知人を動員してホラ感動しなさいよ!押し売りばかりである。
私は経験してはいないが「戦時下の日本」ってもしかしたら?こんな感じだったのではなかろうかとまで考えた。おまけにこの暑気である手元の計測器は33,9度C.

2016年7月31日日曜日

パンイチと宅急便

たいした用事はない。それでも無理矢理にコジツケて外の熱波の中に出た。そうしなければ外に出る理由はないのだリタイヤ老人には。帰宅して閉めていた窓という窓を開け放ち。氷で割った焼酎を飲んでいたら、宅配便が来た。上着はそのママだが下はパンイチ。面倒だいまさらズボンなんてと玄関に行く。「これから上着を脱ぐところだった」と説明して荷を受け取った。幸いにして男性であった。
最近は宅急便配達においても女性の進出がいちじるしい。思い込みは改めておいた方が良かろうと反省したことだ。

2016年7月29日金曜日

旅とクーラー

生まれ育ったこのクニ。生まれ育ったこの地域、この村。それは私の血肉なんだろう。この暑気に浸かって居て、クーラーの効いた部屋に移動すれば、なんだか体の芯に溜まっていたストレスがス~と引いてゆく気がする。どこかに旅する心地はこんなものなのだろうか。

2016年7月23日土曜日

電動車いす

電動車いすの事故がニュースになっている。この物は非常に危ないものだ。特に自転車やバイク(カブ)を運転した経験がある者にとっては非常に危険だ。自転車もバイクもハンドルのレバーを引く(握る)事によってブレーキが作動して止まるようになっている。ところが電動車いすはレバーを放すことによってブレーキが効く仕組みだ。レバーを握れば発進する。これは車のハンドルを左に切ったら右に曲がるようなものなのだ。私はずっと前に用水路に突っ込むように落ちた電動の車いすを引き上げたことがある。幸い命に別状はなかったが引き上げたそれを動かして最近までカブに乗っていた運転者を思いこの欠陥を知った。危ない仕掛けだと思っていたがここにきてその危なさがニュースになった。
これからますます自転車・バイクの運転経験者が電動車椅子に乗り換えるケースが増えてくるだろう。危ないぞ。

2016年7月18日月曜日

退位と打ったら体位と出る

天皇の退位の事で聞き耳を立てていたら、日本国憲法の一条から八条までは「天皇」に関する条文だ。と聞こえてきた。私の頭に「日本国憲法」は入っていないから、検索して読んでみると指摘のとおりだった。最高法からの扱いとして「日本の天皇制」はなににもまして解決すべき事だったんだな。そう思ったことだ。それにしても今回の退位報道は軽すぎないか。七十年前に良くも悪くも我々が真剣に向き合った課題(天皇制)をかように軽くとりあっかって良いものであろうか。

2016年7月16日土曜日

トルコでクーデター

トルコでのクーデターは鎮圧されたようだ。国を守るために組織された武器と兵士が時として自国の政府と市民に牙をむくこの事の危険は他山の石としてこのクニでも論議されてしかるべきだろうと考えた。
世界史の視点から見れば軍によるクーデターは珍しいことではないのであるから。

2016年7月15日金曜日

ゴキブリ放い放い

昨日、晩飯を作ろうとした時のこと。鍋を入れているシンク下の引き出しを開けると「ゴキブリ」が鍋の横でチョロチョロしている。急なことで突然明るくなったのであわてているみたいだ。そこで何をしようとしていたかは想像がつく。しかし、冤罪ということもあろうじゃないか、さっそく御用となして取り調べを急がねばならん。と捕獲にかかると逃げ足は早い、ゴキ一族が支持率ゼロポイントにもかかわらずはびこっているのはこの特技のせいなのだろう。
好事魔多し、天網恢々疎にして漏らさず、というかゴキにとって運の悪いことに勢いよく逃げ込んだ場所が「ゴキブリホイホイ」だった。
閻魔も眉をひそめる程の悪食の私でさえいらぬ殺生は避けたいものだ。スリッパみたいな定番の武器を振り回すことなくすみそうだ。と思った途端、ゴキは入った所の反対のところ(出口?)から勢いよく走り出てきた。???
ただひとつの存在意義を失した者の名をここに記して猛省をうながすものだ。「アース製薬・ゴキブリホイホイ」と。

追伸
後刻、帰宅したつれあいに顛末を話した。つれあいは食器を洗う手を止めて、ホイホイの粘着部分を突いて「ホラ。古くなっているからクッツカない。」と簡単に言う。しかし、それは彼女の指先が濡れているせいなのだ。何を言うか「これを見ろ」と我が指で突けばネバネバしている。いずれにせよホイホイはゴミ箱行となった。世の真実はそれほど検証不可能なのだ。

2016年7月13日水曜日

共産党のこと

    共産党は変わった。その昔「共産党を除く」といじめられていた事は記憶に新しい。その後は長く「独自の戦い」を孤独に戦って今に至った。それから今回の変化。冷静に見れば、自民党も公明党も昔の名前で出ていますだけれど中身は変わってしまっている。共産党も昔の老舗の名前で出てますだけれど変わっているはず。その変化を歴戦を支えてきたオールドファンが理解できるかどうか。むしろその辺りにこの試みの成否があるような気がしている。

町内会考

 180戸ほどの衰退しつつある集落に住んでいる。
もっとも衰退はこのクニの伝統的集落においては珍しい事ではなかろう。
伝統的集落に於いては地縁はもとより血縁関係もまたまとまりの要素となっている。
株って言葉、同じ名字の集まりに使う(株うち)、
この言葉、証券の株以外につかうことはこれぐらいしかないのではないか。
地縁血縁を共にすれば寺の檀家、お宮の氏子も同じ枠の中に入っている。
するとどうなるのか。町内会費とともにに寺の維持費と氏子費とついでに消防(団)費を集めるのである。月に均せば千円ほどになる。バカにならない額である。
集める手間から考えればこのシステムは合理的だ。
しかし、この強固に見える町内会システムには重大な欠陥がある。参加単位が「家」であることなのだ。

存立の単位が失われている。
町内会のどんな决定もイエ単位でしか行えない。このルールは成立の経緯からそれ以外にはありえないだろう。
兄弟姉妹が親の遺産をめぐって争う時代にイエはもうないのであるまいか。

舛添 ローカルニュース

何ヶ月こんなことやってるんだ?!舛添劇場から始まって東京のことは少々食傷気味だ。私が岡山ではなく東京に暮らしていたら話はまた別なんだろうが。テレビなどは露骨に東京の話題ばかりだ。「雨が降ってきました、鬱陶しいですね」と、東京でやっている。「その雨こっち(岡山)ではもうやんだんですけど。」東京のローカルニュースに付き合わされているこっちの身にもなって欲しいものだ。とここまで考えて、あっ!そうかテレビを見なければいいんだと気づいた。

2016年7月12日火曜日

2016.7.12朝

参院選の結果を見て思うところがあった。有権者と言われているけれども。実は我々は授権者なのではないのか。
権力者のおこぼれを頂戴することの授権者。
選挙っての授権者の権利?を行使しているだけなのではないのか。
日々の暮らしを成り立たして往くためにはおこぼれを期待する他はない我々の現実を抱えて。
「あなたの日々の安寧を捨ててあなたや子供の未来の安寧を選択しなさい」それはまた違った領域での話になるのであろうか。。

2016年7月10日日曜日

今日はレンタルビデオ屋が

久しぶりに濡れていない新聞が届いた。テレビ欄を見れば、クニを味方につけて視聴料を無理やり課金するN放送を筆頭に右へならえで「開票速報」番組が並んでいる。今日はレンタルビデオ屋が忙しいだろうと想像した。テレビ局なんて本音はCMだけ流したいのだろう。頭から尻尾までCMのような番組だってあるじゃないか。

それはそれとして、アメリカで警察官が狙撃されたニュースが気になっている。これは内乱の始まりではなかろうか。一般社会の警察力は良くも悪くも圧倒的な破壊力・制圧力を見せつけることで社会に認められている(認めさせる)存在なのだ。やったりやられたりしてはいけないのである。そうだから力の行使に当たっては自らに被害の及ばぬよう万全の準備をして臨むものだからである。

2016年7月6日水曜日

この温気に

やせ我慢なんだが、わが個室にはクーラーなるものはない。扇風機と睨めっこして数日過ごしたが、ついに難民となる選択をした。クーラーの稼働しつつあるつれあいの部屋の片隅に移動した。部屋というものは隅々まで冷気が充満しているもと部屋の片隅で思ったことだ。今朝のこと、部屋主から苦情がきた「メガネの置き場どうにかならんの!踏みそうになったじゃない!」どうやら敵はわがメガネの安否より足裏の安全が大切らしいと思ったことだ。

2016年7月3日日曜日

視点・論点のこと

NHKの視点・論点という15分番組をまるで新聞の切り抜きをするようにビデオレコーダーに貯めている。そして、まとめて視る。この番組はチョットした話題をチョットした訳知りが短時間でわかりやすく教授しようという企画である。だからなのか出演者は大学のセンセイが多い。テレビで喋りなれていないセンセイ方の緊張ぶりが初初しい。
この番組はたいがい前置きなしに喋り始めるが、私は前置きが長くなった。言いたいことを言っておこう。この先生達の男女比率が男10、女1。なのだ。これでは「男の視点・男の論点」と変えた方がいい。と思う。

2016年6月30日木曜日

インテリ芸能人はただの物知りか

テレビを見ていると、インテリ芸能人枠というものが存在しつつあることに気づく。お馬鹿キャラ対インテリ軍団対決クイズ番組なるものが視聴率を稼いでいるみたいだ。言わずと知れた安倍総理。彼はインテリ枠には望んでも入ることは叶わななかったからおバカキャラ枠で活躍しているみたいだ。それはそれで人気はあるわけだ。いや、むしろ「芸能人なるものの本質」はお馬鹿ぶりを楽しませるところにあるのであるから彼は望んでもいなかった「おバカキャラ」を期せずして手に入れたということだろう。私は、このことの危うさを危惧している。

2016年6月29日水曜日

雨漏りにて

こう、連日雨に降られると雨漏りの無い家、サッシ窓を閉めると雨粒の入らない家、そんな家に住む事のできる巡り合わせにつくづく感謝している。その昔、屋根地に赤土を載せて平瓦と丸瓦を組み合わせた屋根はたいてい雨漏りがした。風雨強き時は雨戸を閉める(たてると言っていた)ことのほか雨粒の侵入を防ぐ術は無かった。たかが半世紀前の話だ。私の好む漱石の作品。百年ほど前に書かれた「硝子戸の中」(ガラスドノナカ)という作品は当時は珍しかったガラス戸という言葉で読者をそそったものと考えた。付け加えるとこのガラスをささえるのは木製の枠だった。この半世紀、この百年変わったのは住環境だけではないもっと変化したのは社会制度だろう。イギリスが~という選択をしたのは投票という制度の上だった。有権者一人一票、当たり前のこの概念だってそんな昔に発明されたものではない。(EU諸国はこの選択方法に異議はない)それに引き換え、今だに身近な町内会では「家、単位で一票」のこのクニもあるではないか。こうしてみれば民主主義制度そのものも変化しつつあるのではなかろうか。民主主義の危うさを躊躇(ちゅうちょ)せずこの変化、この矛盾の危うさに個人として一票を入れたい。

2016年6月25日土曜日

2016.6.25のたわむれ

    この温気(うんき)にあてられたものか、歳九十のおふくろが茶漬けしか食わなくなった。「お刺身がおいしかったって」とつれあいが言ってたな。
    さらばとて車を出しスーパーに刺し身材を買いに行った。道すがらの選挙ポスターに「この道を行く」のキャッチコピーを見る。言わずと知れた安倍(自民党党首)の絵に添えられたそれを。連想してこれを思い起こした。
    https://www.youtube.com/watch?v=VlXjwtWF2oU
    作詞・北原白秋。(大して意味のない言葉を心地よく聴かせることにかけては天才的コピーライターの元祖。)
    うろ覚えながら車中にて私も唱う。「この道はいつか来た道~ああそうだよ~桜の花が咲いてる~菊の花も植わっている~この道はそうだよ~破滅への道だよ~」
    二番「この道はいつか来た道~ああそうだよ~サクラ花は散りいそぎ~キクの花は海に沈んだまま~ああそうだよゥ~」

2016年6月4日土曜日

2016.6.4朝

    昨夜、犬の散歩、星空がきれいに見えた。あまつさえホタルをも見た。
    少し眠って朝方4時前、目が覚める。聞くとも無く耳に漁船のエンジン音が聞こえて来る。「ブーン」、ヂーゼルエンジン4気筒だなと思った。同じ時間、50年の昔の中学生だった頃、出漁する船の音は「ポンポンぽんぽん」焼玉エンジンだったな。と寝床で考えた。
    ヒトビトの暮らしの道具は変化しても漁を求めるヒトの暮らしは変わらない。

2016年2月4日木曜日

2016.2.4日。このクニの報道

「清原」が覚醒剤使用で逮捕。されたという報道がマスコミを席巻している。自宅からの連行。彼の供述模様。が即時に報道されている。清原氏はあくまで容疑者であるからこのような「逮捕事実確定」の報道はいかがなものか。いや有ってはならない。と思う。「糖尿病を患っています」の彼の供述報道に至ってはオイオイこれは何??清原氏にはプライバシーなるものはないの?と思った。負のイメージ「糖尿病」「覚せい剤」「禁止薬物」「落ちこぼれ」等々。容疑者に浴びせられる言葉に際限はない。このクニのマスコミの言う所の「正義」って危ういと思ったことだ。

2016年2月3日水曜日

2016.2.3赤旗

2016.2.3.7.15記。赤旗
凍てつく朝の路面にもかかわらず配達された今朝の赤旗一面におどろいた。そして感動した。「口利き、ってこれだ」「少しイロを付けて・事務所の顔立てて」「甘利疑惑」「URが面談の一部公開」。これではまるで週刊誌の見出しではないかと思い、そして後に。この見出しこそがマスコミだと感動した。読者が知りたがっていること。今ここで知るべき事は何か。を報道している。小泉に習って「感動した!!」と記述しよう。
ひるがえって、「毎日」の一面を見れば「民主クリントン氏哄笑」いや間違い「民主クリントン氏辛勝」だ。これはこのクニに住まいする者達の望んで知りたい情報なんだろうか。このクニが五十何番目かの属国ならばいざしらず。だが、それでいいのか。付け加えれば。
民主主義の貧しいクニは多くある。それを指摘し憂う前に「毎日」は自らを憂いた方が良いのではなかろうか。少なくとも2016.2.3.付毎日新聞の一面は眠っていた。

2016年1月19日火曜日

ヒヨドリ



年中近くの山で騒いでいる「カラス」ども、尾羽根をヒラヒラとバランスさせて高くひくく滑空してみせる「トビ」たち(私の地域ではトンビと言う)はそれとして、2月になればいろんな鳥を目にするようになる。なにやらけたたましく啼く声で窓を開けると今年もヒヨドリが来ていた。
どこで聞いたものやら、はたまた独りよがりの思い込みからか、ずっとこう思い込んでいた「山に食うものが無くなるから里に降りてくるんだ」と。あまつさえ、それを吹聴していた記憶もある。

ヒヨドリを検索してみると渡り鳥らしい。近くの山に住んでいるものとばかり思っていた。思い込みとはこういうもので、ヒトの認識の大半は思い込みで出来ていると思った方がイイみたいだ。
じっさい、数百メートル離れた山に暮らし、食い物が乏しくなると里に降りてくるなんて視野の狭い定住者の考えつきそうなことだよな。
私にヒヨドリの鳴き声の意味が聞き取れないのはもしかして異国の言葉だからなのかもしれない。

これが鳴き声のぬし
こんな感じ

違う電線にももう一羽いる



 
これは鳴いている。恋の季節なのか


こうなるとネコも忙しくなる。