2010年4月29日木曜日

ブログの孤独 つづく

猫のキモチ



台所で筍を湯がいていると、猫どもがまとわりついてくる。うるさいのでイリボシを一匹づつやった。お兄ちゃん猫はすぐに食っちまった。仔猫はイリボシを手玉にして遊んでいる。しばらくそれを眺めていたお兄ちゃんは「ちょっと貸してみろ、遊び方を教えてやる」と取り上げて、二三度手玉にして見せて、それから、食っちまった。

2010年4月26日月曜日

ブログの孤独 つづく

井上ひさし氏の死


彼の書いたものの三分の一ぐらいは読んでいるだろうか。1934年生まれというから、私より、ちょうどふた周り前に生まれた彼の書いたものを読んできた。おおげさに言えば、私の青春と供にあった。いや、「ひょっこりひょうたん島」は見ていた。歌えと言われれば、出だしの歌を歌ってしんぜようかしら。

ヒトは永遠に生きるわけではないから。死を知ればある感慨もある。「良きことも、悪き事ももうできないんだ」。ツイッターみたいに書きたいと始めたからもう終わりにしたい。私の好む彼の物語は「四十一番の少年」「月なきみそらの天坊一座」。いづれも、一生懸命な少年が出てきて、せつない思いを展開する。彼の描いた、いや。彼自身のせつない思いをどう評価するか、これからは、この時代が逆に問われるのだろう。「国家と市民」。「権力の分析」。かれのテーマをそうまとめて、「知の巨人」みたいないいかげんな言説で終わらせようとしてるみたいだけれど。私は、彼は生涯をかけて「けなげ」の復権を試みたと思う。そして、それはそれで、充分ではないか。

ブログの孤独 つづく

少し前のことを話題にしよう。「アイスランド」なる所で火山が噴火した。ジェット機で移動する人々には混乱があると報道された。もうひとつの小さいニュースがこの噴火に関してあった。アイスランドからの部品が入手できないためにという理由で、このクニの工場、「ニッサン自動車が製造中止」に追い込まれた。

このニュースを前に、私は二つのことを考えた。ひとつは「世界大戦」は当分の間起きないだろうということ。地球の裏側から部品を調達している経済(賃金を低く抑えるための言い訳としての「グローバル」ではない。これこそ真のグローバルであろう。)においては、世界規模の争いは簡単には起せないだろう。狂信的指導者が判断無しに事を起す以外には。このこと。もうひとつは、ここまで、経済が単一のDNAに統一(収斂)されたとすれば、そのことの弱点もまた深刻なものがあるだろう。言葉を変えれば、多様性に欠けるものは脆いであろう。このこと。

前者をめぐっては、もうひとつのことも考えた、「普天間」をめぐっての論議のなかに「安全保障」はどうする。という主張がある。我々は、ひと昔もふたむかしも前の「戦争」のイメージでこの問題を論議してはいないだろうか。このこと。

2010年4月24日土曜日

ブログの孤独 つづく

ネギ坊主は、こんなぐあいだ。こうなっている。



待てないと。昨年のネギ種を種まきしている。ちっちゃな種が発芽した。これは、こんなぐあいだ。ネギは水に弱いのにこの多雨の中、なんとか命脈を保っている。エライ!



サクランボ、鳥はもう見に来ているだろう。毎年、鳥と同じように、近所の子供たちも見に来ていた。「もう食べてもいい?おじちゃん」。このごろは、彼等はもう大きくなって「携帯」を見るばかりで「サクランボ」は「それなに!」みたいである。畑に木を植えた?それはなかろう。と母親を詰問したのはもう20年の昔になる。しかして思うに、「これもあり」であったのか。

2010年4月20日火曜日

ブログの孤独 つづく

五十肩


車を走らせていて、外の陽気に窓を開けた。右手を肘から車外に伸ばそうとしたら痛い、痛くて伸ばす以前に上げることができない。五十肩らしい。50の坂を降り60の坂を昇りつつあるのであるからこんなもんではある。しかし、どうしたらいいものか。炎症だ、使うなと言われても、「頭や」「工夫や」「気使い」はなんとか使わずとも済ませてきたが、肩は無理ではなかろうか。

2010年4月19日月曜日

ブログの孤独 つづく

我々はどこから



中央下にあるのは、サクラである。毎年これを見る。花が落ちてしまえば、他の木に混じって山の一部分になる。そうすると、私は1年間この木のことを忘れる。

この木は「経済」としては、持ち主には一円の利益ももたらさないだろう。しかし、切られずにいて、毎年のこと、「おう、あそこのも咲いてる」と私には見られている、そんなサクラ。

こんな存在を、芸術とか芸とか、文学とか、詩とか絵とか、歌とかヒトは呼んでいるのではなかろうか。「おう、ここにこんなものが。おもしろい。」

我々は、この100年でそれまでの経済システムを捨てきた。ここ10年20年の激動に翻弄されているが、それは、その一部分に過ぎないだろう。残されていることで、私を年に一度覚醒させるサクラを見て、フランスの高名な画家(ゴーギャン)を思い浮かべた。

「われわれはどこから来たのか。われわれは何者か。われわれはどこへ行くのか」絵にしては異様に長い名前のこれは(検索すれば見ることができます。私はこの題を問題にしている)、1848年に生まれ1903年に死んだ、「ゴーギャン」の晩年に描いた絵の題名である。近代の象徴、株式仲買人を職としていた彼は、家族を捨て、植民地タヒチに行きこの絵を描いた。おそらく、最後まで答えは見つからなかっただろう。

2010年4月18日日曜日

ブログの孤独 つづく

貝の運命



これはアサリである。飼っているわけではない。「砂出し」をしている。出したほうが貝のためになるわけではない。ヒトの口が砂をキラウためだ。つまり、この後、貝は水からじっくり火を入れられて、ヒトに食われることになる。シジミの詩。


石垣りん詩集 現代詩文庫46詩潮社1771年より

きわめて、論理的である。考えてみれば、こんなことを書かなければならぬ理由はだれにもなかろう。しかし、時には書いてみるのもいいのではなかろうか。こんなようにして。シジミ、アサリを見る度に思い出すわけではないが、ときおり私は、こうして思い出す。石垣りん、1920(T9)~2004(H16)。


ところで、先日の永瀬氏(1906~1995)の詩の手法に似ていると思われませんか。こんな詩が書かれ、またさかんに読まれたこともあったのである。

2010年4月17日土曜日

ブログの孤独 つづく

畑にて


葱坊主はこの高さで花を咲かせるらしい。


同じ列の花。これはこんなになっている。このツブツブの先に種が出来る。


ついでに、サクランボ。


まだ、青い。鳥はもう見に来ただろうか。

2010年4月16日金曜日

ブログの孤独 つづく

犬のキモチ



深夜、目を覚ました。これという用事があるわけではない、階下に降りて、コーヒーを飲んでいると、庭の犬がやって来た。しばらく、ガラス越しにこちらを見ていたが、明らめたものか、むこうを向いて垣根越しの何かを座って見ている。飼い犬の気ままな暮らしにも屈折するところがあるものなのか、後ろ姿は肩を落としているようにみえる。しかし、考えてみれば、犬には肩など無いのだった。外は冷えているようだ、もうひと眠りしようと部屋にもどれば、通り雨の音がしてきた。犬はどうしたかしら。

2010年4月15日木曜日

ブログの孤独 つづく

比喩の射程 2


「私は地球」これ程の規模の比喩はなかろう、これを越えるとすれば、「私は宇宙」か。「私は神」かだが。「神」に関してはつい60数年前まで実存していたので「宇宙」が最高だろうか。御託は程々にして、この詩は極めてリアリティーに富んだ比喩によって出来ている。



思潮社版1996年第二版 
「現代詩文庫1039」より

「ガガーリン」による地球への報告「青かった」。「アポロ計画」での宇宙からの地球の映像。いずれも1961年から1972年にかけての出来事だった。それに触発されての彼女の「詩」だと考えてよかろう。

妙に、極めてエロチックであることにお気づきだろう。そうなんだ、ちょっと周りが困るほどのスケベが彼女の詩の芯の部分なんだな。「女」はそういう存在である。と相手にされなくなってから気付いている、「手遅れ」なんだなこれが。

稲を作る私は、しばしば挫折して「屍衣」をお願いしたいくらいである。いずれチャンスがあれば「稲の葉先に時をきめて昇る水玉」を絵で載せる事が出来るだろう。7の月。夜明けに稲田に行ってみれば、茂り始めた稲の葉先に水滴がびっしり付いているを見ることができる。彼女の言うようにそれは、大気の水分が付着したものではなく、稲が土から吸い上げたものなのだ。正直に言えばそれを見ることはあっても彼女の詩を読むまでそれの意味を知ることはなかった。「永瀬清子」死してもおそるべし。
この項、おしまい。

2010年4月14日水曜日

ブログの孤独 つづく

バイクの電動化


車と同じに、バイクも電動化が始まっている。外国、特に中国などはこのクニよりよほど進んでいるとニュースは伝える。ところで、暴走族はどうなるのかしら。深夜、音も無しに突っ走る一団が現れるのだろうか。なんだかシュールな光景である。それじゃダメと排気音はスピーカーで、ということになるんだろうか。予測がつかない。激動の時代である。

2010年4月13日火曜日

ブログの孤独 つづく

「雨も上がったことだし」注1。畑に行った。


注1 中島みゆきアルバム『愛していると云ってくれ』1990年の中に「おまえの家」という歌がある。その出だしの歌詞。

絵を撮った。


ねぎ坊主。大きいのは少し黄色みをおびてきた。この高さで花を咲かせるつもりなんだろうか。



温床の中。上の絵は4月8日。下は4月13日。雑草を始末するとスッキリした。大きくもなったようだ。霜が降りなくなる20日頃、路地に出して苗にしようか。

山に入って、タラの芽を獲った。その絵も載せようか、今から撮る。

さっそく絵にしてみた、野の物の持つところの荒々しさ、毒々しさを感じてもらえるだろうか。守るにせよ、壊すにせよ「自然」なるものはヤワなものではないのだ。さて、これをどう料理しようか、てんぷらか。絵を見れば、タラの芽についていた小さな甲虫も写りこんでいる事を発見した。

ブログの孤独 つづく

比喩の射程 1


思っていても、そうであるとか、ましてそうではないとか言わないのが紳士のたしなみだろう。しかし、これはかなりの別嬪ではなかろうか。短髪、丸めがね、ちょっとキツメのお姉さん。黙っては居ないだろうこの口元は。

このポスターで、永瀬清子展を知った。(吉備路文学館・25日まで)先週だったか、重い腰をあげ、「行くぞ」と周りに宣言し、行ってみると休館日(月曜日)だった。永瀬ファンのH女史に「どうだった」と聞かれて「実は~」と言うと、大変な喜びようで、近年あんなに人に喜ばれた記憶はない。できる「失敗」はした方がいい、他人の楽しみにはなる。後日女史はちゃんと月曜日をはずして行ったらしい。

行ってから書こうと思っていたが、行かずに書くことにした。「比喩の射程」と題して。

永瀬清子氏(1906(M39)~1995(H7))をお見かけしたのは1980年頃、何かの集会に来賓で来られていた時のように記憶する。そのころは、貫禄が加わり、宮崎アニメに出てくる海賊の女親分のように成っておられた。年表を見ればその少し前に出された詩集『海は陸へと』(1965~1972)に私の好む詩「私は地球」はある。
この項つづく

2010年4月10日土曜日

ブログの孤独 つづく

密約文書


どうやら、捨ててしまっていたらしい。と新聞をすなおに読めばそう思う。

学生の頃、戦前の廓(くるわ)関係の文書を探したことがあった。これが無かった。(戦前は公娼制度というものがあって売春は国家の管理するものでもあった。事の是非は別として、いわゆる「慰安婦」の存在は国としても国民としても、何の違和感も無かったろう。)当時は「空襲で焼けてしまったもの」と考えていた。しかし最近、そうではなかったと思い返している。敗戦が明らかになったとたんに、国を挙げて一斉にそこらじゅうの公の文書を燃やしたのだ。証拠隠滅。
まことに、いさぎよくない行いといわざるを得ぬ。きのうまでの「サムライ」がそうしたのだった。

きのうのことだったか、役人だった人々が歴史に興味を持ち、熱心に研究している事を紹介した。しかし、他ならぬ彼等の職場が、歴史を捨て、隠蔽してきた張本人であること、これ以上の皮肉を私は思いつかない。

2010年4月9日金曜日

ブログの孤独 つづく

モノモノの連関


ブログでひとつの絵に出合った。これは「常夜燈」。


それと、そっくりなのが私の暮らす所の神社にもある。これは「奉燈」。


どちらも、130年前頃に作られた物と推測された。場所は海を隔てた対岸になる。

デジカメで下の絵を撮っているとF氏が通りかかった。歴史に興味があるらしく、丁寧に由来を説明された。彼は、1935年(S10)頃生まれ、国立大学卒業の後、役人生活を終えてこのムラ(生まれたところ)に暮らしている。後日、地元の石工に関する論文のコピーをポストに入れていただいていた。
ひるがえって、私の血縁H女史もF氏と同じ様な経歴をたどり、退職して市内に暮らしている。彼女もまた歴史に興味がある。暇があれば、いや無くても、同好の諸子と遺跡めぐりに精をだしている。

130年前の物と、75年前の者。それぞれに連関がありそうである。

ところで、歴史は必ずしもきらびやかではない事実の向こうにモノモノの連関を見出し、空想を展開する事が楽しいのである。それは魚釣りの楽しみと似ているし、極言すれば「恋愛」のそれにも似ているだろう。
時の流れは無情に我々を運び来たり、全てを忘却に終わらせようとしているが、我々の感性はそうであるからこそ遠い彼方にまで及ぶのであろうか。

注、最初の絵は「竹永みつえ」氏のブログより。

2010年4月8日木曜日

ブログの孤独 つづく

座右の銘


どう読むのか、「ザウ」と読んできた。「ザユウ」と辞書にある。意味は、「向上心のある者の、戒め、励まし」らしい。

さて、今度は私の「ザユウノメイ」を披露する番だ。最近書き付けた銘。「いやなことはしない」「したくないことはしない」「やりたくないことはしない」「いやになったらやらない」まだあるぞ。

正気か、と聞かれれば、しごく正気なのである。

それはそれとして、「みんなの」だとか「たちあがれ」だとかこのクニの政党の名前が読み易くなってきた。これはみんな投票有権者向けだろうから、有権者は「ひらがな」しか読めない、解らない、と思われているのだろうと思ったことだ。この解釈が当たっているのであれば、このクニは、極めて深刻な幼児化現象に立ち至ってる、と考えるべきなのだろう。しかし、名前だけでは何を目指す政党なのかますます解らない事も確かで、幼児化した?有権者には到底無理だろう。

私の、ひらながのザユウノメイよりこの事を「正気か」と問ってもらいたい。

ここからは、冗談だが、「しじゅう民主党」とか「こうみょう党」とか出てきてもおかしくない。せめて表札ぐらいはしっかり掲げたらと思う。たとえば「共産党」とか「愛国党」とか。「社会民主党」なんかもはっきりしているぞ。

余計を付け加えれば、「たちあがれ」と言う、当人の立ち位置は、どこにあるんだろうか。泥沼の中でもがく者を励ます者の足には泥が付いてないことがあるよな。

2010年4月7日水曜日

ブログの孤独 つづく

親をどう扱うか


朝、新聞を読んでいると小泉(元首相)の息子(親の地盤看板おまけに金庫番を引き継いだ世襲議員の典型)の話題がある。扱いは「イラクで自爆テロ」50名死亡の記事よりも大きい。マスコミのアサハカがここに現るだろう。いまだにマスコミは、「コイズミ」話を好むらしい。さんざん稼がせてもらったもんな。ところで、息子はこういう扱いをどう感じているのだろう。

親の扱いはむずかしい。ヒトと「事を構える」事が多い私は、しばしば、「どうしたんで、おとうさんは、もっと穏便だった」と言われて来た。あの人はタマサカ親であっただけ、「関係ない」とその場で言い切れない事にコダワッテキタ、「どうしてそうなるのであろうか」と。

親の扱いは簡単だ一心同体と思えば。たとえば、記事にあるコイズミの息子のように。でもそれでは息が出来ないんだな。「自分」というものがあるとした場合。と生意気に若いときから親を否定してかかって、すでに数十年、やっと最近、親父は喧嘩好きだった事を発見した。ただ、ケンカの仕方を知らなかっただけなのだ。とも思った。彼のケンカは連戦連敗。晩年の将棋ゲーム(任天堂やつをテレビに繋いで)も同じだった。それなりにいっぱいいっぱいでやっていたのだ。おやじまた「ピロピロピンをやってる」

ひるがえって、自分の勝敗表は自分でつけるわけにはゆかない、まだゲームは終っていないのだから。

余計を付け加えると、コイズミの地盤、「横須賀」に近い、「鵠沼」(くげぬま)の作家、「阿部昭」は親と子の葛藤をテーマにした優れた小説を残した。たとえば「司令の休暇」。こうしてみると、一心同体に地域性があるということではないみたいである。

2010年4月6日火曜日

ブログの孤独 つづく

ネギ坊主


トウモロコシとキュウリの種を蒔いた。どうも私は種を発芽させ、育てることが苦手なようだ。「ラエ」の先生に教わっている時から先生のように上手く行ったためしがない。

今回も二回目の種まきをすることになった。適度の水分と温度があれば種は発芽し育ってゆくもの。と知ってはいる。しかし「こんなもんだろう」とほっておいて「早く芽を出せ柿の種」とやってダメになることが毎回である。毎回なのはまじめな反省がないせいなのだ。こればかりはどうしょうもない、毎年諦めずに「種まき」をしているということで、こらえてもらおう。

ねぎ坊主の絵を撮った。前回は4月2日だった。どうなったか。


ついでに、サクランボの絵も載せておこう。

上が3月20の絵。下は4月6日今日。同じサクランボの木です。

ブログの孤独

ヒネクレもんに春

畑に行くと、イイ匂いが漂っている、焼肉の匂いだ。たいがい、近くの産廃施設の油染みたキナクサイ匂いが漂っていたりするものだから思わず発生源を探すと桜だった。

畑のある谷の川土手を市が公園として整備していてそこに、数十本の桜が植えられている。それに木の数倍のヒトが群れて肉を食って騒いでいるらしい、遠くまで届く甲高い子供の声が聞こえている。

公園に植樹は桜。この三位一体、単細胞の役人の発想には以前から呆れている。それはそれとして。

この季節になると、見渡せる山のどこに桜の木があるか、その派手な花で直ぐに解る。この木は「ひそかに・ひとしれず・しとやかに」ができない木なのだ。どんな山深くにあっても「宴会請けタマワリマス」なのだ。

ためしに、ひとりで、そっと満開の桜の下に行ってみると、目に見えぬくらいの小さな羽虫が飛び回っているのに気づくだろう。それを狙ってなのか、鳥も飛び来たって枝を揺らす。こころもち桜餅の匂いもするようだ。

夜、犬たちと、ひっそりした公園に行った。そこで、発見したものは、「無い」ということだ、例年ならば、お花見後にはゴミが散乱している、それが今年は「無い」。こうして世間は少しずつ変化してゆくものなのか。

幹や枝を隠すほど咲いた花は意外なほどの空間に広がっている。

犬たちには、さまざまな食い物の残り香がしていて、興味深い散歩だったようだ。

2010年4月3日土曜日

ブログの孤独 つづく

ツィッター化
「こう書いたらいいのだろうか。このところブログを書くことが苦痛になっている。(季節が変わりつつあるせいもあるのか。)このブログをそうすることにした。これからは一言で済ませる。それからのちにそのテーマを膨らませることがあるならご容赦願いたい。」

と書いて、ブログに載せることにした。ブログを始めてしばらくたつ。その間、よってたつ「ブログ」そのものについてあれこれ考えることがあった。匿名性、無償性、無限のコピー性、無責任性、あれこれ。

「自己顕示ですよ。」という意見もあるが、服装や化粧や、学歴や、職歴、家柄。などヒトがまとう、纏わざるをえぬ事とは違う気もしている。

いづれにせよ、「ブログ」。これでしばらくは遊べそうである。

ブログの孤独

本人が

「やった」と言っているのだから、ヤッタという前提で考えてみる。参議院の若林氏の不正議決投票の事だ。この参議院の議決結果は「有効」なんだろうか。不正を院として認めた以上、「議決」の有効、無効についての判断はあったのだろうか、マスコミを見る限り、そのあたりのことが鮮明ではない。

どこかでお目にかかった御顔と記憶を探ってみると、「総理大臣」になられたかもしれぬお人だ。

確かめたわけではない。市民が選挙で「不正」行為をした場合、罰則があるだろう。それは、若林氏には適応されないんだろうか。

「バレチマッタ」と後ろ頭を掻くだけで、済んでしまいそうな状況だが、このクニの60年、言葉を替えれば、自民党的政治の象徴(我等の下に法は在る・法の下に我等は無い・即ち我々が法である)がここにある。と思った事だ。

若林氏は政治的、道義的責任を取る(ヤメル)としているとしても、特別公務員であった彼の飯を支えてきた「法」に対する責任を取ってもらいたい。本人が取れぬのなら、自民党が法の裁きを受けさせるのが事柄の順序だろう。

2010年4月2日金曜日

ブログの孤独 つづく

菜花を食っている


ダイコンのつぼみはダイコンの味がして、キャベツのつぼみはキャベツの味がする。むろんハクサイのそれはハクサイの味がするのである。

ところで、ネギ坊主の絵を撮っている。生来のセッカチ、ネギ坊主になるまで待てない。中間報告。上は3月26日下は4月2日の絵。これが坊主になるまで撮ろうと思う。いかなることになるか。