若者のキモチ
『世情』(中島みゆき)
「世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが悲しい思いをする。
変わらないものを 何かにたとえて
その度 崩れちゃ そいつのせいにする
※シュプレイヒコールの波、通り過ぎてゆく
変わらない夢を、流れに求めて
時の流れを止めて、変わらない夢を
見たがる者たちと、戦うため※
世の中はとても臆病な猫だから
他愛のない嘘をいつもついている。
包帯のような嘘を見破ることで
学者は世間を見たような気になる」
中島みゆきはいつもコトバで挑発する。
この歌詞は一番だけでいい、二番は彼女の遊びだ。
それはそうと、私は同じ時代に生まれた彼女と供に歳をとってきた。最近彼女を見たのはトンネルのなかで、ヨタヨタ歩いている図だった、互いに歳をとった。
この歌「世情」は「キンパチ先生」で使われて、そのことで解釈される向きがあるけれど、素直に読めば、デモ行進を喫茶店か何かの高みからみている者の感想だ。それでいい。彼女はいつもそういう高みから挑発してくる。
若者には、「世の中はそう出来てるのかもしれないが、でも、それじゃ~こいつがかわいそうじゃないか」と思う気持ちがあるのだ。いつの時代もそうではなかったか。中島みゆき1978年の作品。互いに30歳までにはまだ時間があった。
2 件のコメント:
この曲と『エレーン』という曲が好きでした。
そのものの「時代」という曲もありますが、「今」という
時代を表現しようという意識が大衆文化にもありましたね。
今の曲が、「自分を慰めることだけに一生懸命」に思えて聴くに耐えないのは私が歳をとったせいでしょうか…
(バカボンパパ歳)
「エレーン生きていても、いいですかと誰も問いたい、エレーン」。エレーンと聞いただけでそのフレーズがよみがえる。歌の持つ喚起力、恐るべし。
言われるように、「社会」を歌う、歌ってみる。試み最近はないように思います。愛や恋や自分を突き詰めてみれば、その向こうに「社会」もまた見えてくるような気がしますが、いまだそこに到らずということでしょうか。
コメントありがとうございます。
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