2012年6月11日月曜日

畦(アゼ)をとる 6月9日

畦(アゼ)をとる 

6月9日の絵だ。「野良通信」を標榜している手前、報告しようと思う。
池に上がって新たに水を落とした。既に落としている水で、池の直ぐ下の田は、代かきが済んでいる田(手前)もあれば、これから代かきという田(向こう)もある。雨模様だけれど、このくらいの雨では、乾いた山肌が水分を吸って河原の水量には影響はない。対岸の西大寺は雨脚に霞んでいる。



それにしても、少し濡れた山は綺麗だ。鳥の羽ばたきののような、シダ?の薄青が目にしみる。

見上げる谷(この谷に降った雨を貯めてこの池はある)に産廃処分場が出来れば、この池も谷も失われてしまうだろう。



止水栓を抜けば、水は音を立てて吸い込まれてゆく、漏斗のように水にエクボが出来るのが面白い。小さな竜巻だな。



山を降りてみると、O氏が「畦」をとっていた。こうして田の周りを盛り上げて水漏れを防ぐ。平地の田では廃れた技術なのだろうか、棚田では畦とりは欠かせない。これを「伝統芸能」と私は口外するが誰も否定はしない。

手元に寄ってもう一枚
さて昨日、10日の日曜日でほとんどの農家は田植えをすませた。みんなもう若くはないから「クタクタ」に疲れているだろう。(稲を付けなかった私はブログを書く余裕がある)
金にならない稲作りをそこまでして続けるその訳をこのブログで伝えることが出来れば良いのであるが。

追伸
今日の事だ。恒例の水争いが始まった。アレがこうしているから、わが田には水が来ない。「とんでもねえ」事をするヤツだ。それぞれの田にとって丁度いい水加減など池水頼みの棚田では難しい。限られた水を喧嘩しながら分け合って、この百年程凌いで来たのではなかったか。我々がこの谷で棲息して来られたのは、喧嘩しながらも分けあって来たからではなかったか。と私は考えるが、争いを仕掛ける者は、コンニチの水の事で精一杯である。水路掃除ではあれほど互いに協力したのになー。
しかし、と私は考える。もっと大きな力が我らの稲作りを脅かしつつあるのではなかろうかと。

1 件のコメント:

玉井人ひろた さんのコメント...

わが地域でいう「くろぬり(畔塗り)」というものですね。こちらでは鍬でやりますが、今は全くといいほど見なくなりましたが、くろぬり自体は行われています。
やることは同じですが、トラクターにそれ用のアタッチメントを装着してやります。

ところで、こちら福島県では4月末から5月にかけて田植えを行いますので、田植え時期の違いに驚いています