2016年6月29日水曜日

雨漏りにて

こう、連日雨に降られると雨漏りの無い家、サッシ窓を閉めると雨粒の入らない家、そんな家に住む事のできる巡り合わせにつくづく感謝している。その昔、屋根地に赤土を載せて平瓦と丸瓦を組み合わせた屋根はたいてい雨漏りがした。風雨強き時は雨戸を閉める(たてると言っていた)ことのほか雨粒の侵入を防ぐ術は無かった。たかが半世紀前の話だ。私の好む漱石の作品。百年ほど前に書かれた「硝子戸の中」(ガラスドノナカ)という作品は当時は珍しかったガラス戸という言葉で読者をそそったものと考えた。付け加えるとこのガラスをささえるのは木製の枠だった。この半世紀、この百年変わったのは住環境だけではないもっと変化したのは社会制度だろう。イギリスが~という選択をしたのは投票という制度の上だった。有権者一人一票、当たり前のこの概念だってそんな昔に発明されたものではない。(EU諸国はこの選択方法に異議はない)それに引き換え、今だに身近な町内会では「家、単位で一票」のこのクニもあるではないか。こうしてみれば民主主義制度そのものも変化しつつあるのではなかろうか。民主主義の危うさを躊躇(ちゅうちょ)せずこの変化、この矛盾の危うさに個人として一票を入れたい。

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