2012年9月5日水曜日

わたしは此処でなくてもいい

『ブロガー』というのは、私が投稿に使っているブログ管理者なのだが、時々フリーズして投稿できなくなる。今書いているのは復旧したからなのだ。ことほど左様に「ヒト」のたずさわることは、不完全で不安定なのである。
「お願いしてまで投稿したいわけではない」から、投稿できなければ放っておけばいいのだ。けれど、デモなー、それができないから復旧するためにあれこれの工夫を試みた。ネットで探ると「投稿できない」という悩みは『ブロガー』でなくてもよくある事みたいだな。

さて、火事の事ばかり書くのは恐縮だけれども、表題にもどって。
焼け跡に家族の住む家を「再建」しようとして「どんな家がいいのか」とつれあいに聞いたところ、「わたしは此処でなくてもいい」と言う。これには、火事に逢ったと同じぐらいに驚いた。この地に住んで、寺の過去帳によれば13代目になるらしい私の発想には「ここ以外の何処か」は無かったのだ。
後日、つれあいと同じ年頃の女性と話をしていて、この発言に驚いたと言うと「そりゃー、そうじゃ。女のひとは、嫁ぐことを前提に考えるから、ここでなくてはダメとは思わんわー。そりゃーアンタが男じゃからじゃー」と言われて、私の困惑の原因が解った。
ヒト人類が永く母系を辿ってきたこと。このクニでも母系の痕跡があること。などなどは「本」からの知識では知っていた。(たとえば「家族・私有財産・国家の起源」)
しかし、私は、こんなに簡単に「13代目」が否定されるとは思ってもみなかったのだ。

やや在って、私はこう思った「我が家系(父系)の一代目はもしかしたら『私は此処でなくてもいい』とつれあいに言われて私の焼いた家(地)に越して来たのだろうか」と。
おふくろはこの借家に越してきた後、キュウリの種を蒔いた、毎日水やりをして、そしてこれを収穫した。このたくましさは何処から来るのか。
我々が生き延びるためには、 この際「父系」を棄てて、「母系」を辿るべきなのかもしれない。

付記。
おのれの書いたことを、改めて冷静に読み返してみると、「わたしは此処でなくてもいい」という事と「わたしはアンタでなくてもいい」との間の垣根はそう高くはないのである。

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