2011年4月30日土曜日

夢見る資格1

夢見る資格1
(そんな事をしていたら「アブナイ」。「何をするか」。「やめておけ」。「シタライケン」。「オイオイ誰が後始末をするんだ」。夢見るヒトはしばしば他人の言葉を聞く耳を持たない。)
「夢見る資格」と題を書いてはかどらない。そもそもこの曖昧な題も気に入らない、資格が夢を見るのではない。大人が夢見るにはそれなりの資格が必要だろうという意味だった。じゃあ「ゲスどもの顚末」とでもするかとも思う。私の気はすむがこれは下品だ。「夢見る者どもの資格」これが適当だろうか。
 瀬戸内海沿岸に棲息する私は、例年の如く、愚かな春を過ごしている。原発事故のことは、地震、津波と同様、マスコミが報道しなければ、日常の暮らしは変化なしだ。新聞は毎日配達され、年金、健康保険、固定資産税、電気ガス代、電話代金、その他あれこれ例のごとく請求されている、もうすぐ自動車税も来るに違いない。なべて事もなしだ。
だから今のところ、東日本(東北地方)のことは、想像力で補う以外にない。それに、原発事故から50日、さすがに東京電力は言い出しかねているものの他の電力会社は信頼と安全を取り戻すのだと言い出している。彼らは、政府(クニ)の立ち入り検査を受けることにより発電を続けるのだという。そんな流れに拙(つたな)くとも抗議の意思を表明しておきたい。「信頼」「安全」それに加えて「安心」それをこのクニの政府が担保する場合それは空手形に終わるだろう。それがこの事故の一番の教訓ではなかったか。
中島みゆき「世情」を聞きながら さて、始めてみよう。じっさい、書かずに後悔するよりも書いて後悔する方がいくらかはマシなのである。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

なんだか夢みる獏の住んでいる村によくにています。

野良通信 さんのコメント...

鉄塔の建っている下は、私の棲息する「野良」であります。
たびたび、ブルトーザーの入る機会がありましたがなんとか防いで、こんな具合です。
獏ならぬ僕は、何もさせないということのために、ヘトヘトであります。