2012年1月3日火曜日

一月一日前後のこと

一月一日前後のこと

毎年元日の新聞折込チラシの厚みには驚く。今年は試みなかったけれど、或る年は重さを量ってみたことがある。どのくらいだったかは忘れた。チラシといえば、年を跨いだ広告はないみたいだ。例えば売り出し期間は12月30日から1月3日というような。これは、何はともあれ、「正月が区切り」とこの国では以前から誰もが無条件に認めていたせいだろう。何よりつい先ごろまで世間の貸し借りを『盆と暮れ』で清算していた。
12月31日の明け方事だが、我が村に時折突然出現する「合宿形式日本語学校」の中国人生徒の早朝ジョギング訓練に出会った。ちょうど生ゴミを畑のコンポストに運んだところだった、手指が痛いほどカジカミ、長靴のなかの足指も痺れかけていた。自転車で先導する指導員の後に十数名のジャージ姿の若者が走ってきた(女性もいたがほとんど二十歳ぐらいの男性)てんでに「おはようございます」と彼の国のアクセントで挨拶をされた、私は十数回「おはようさん」とこの国の訛りで答えた。何事も軍隊式なんだな、年の瀬の31日にも勉強か?と驚いたが、考えてみれば、彼の国は旧暦が年の変わり目なのだろう。それにしても、「合宿学校」は一月しないうちに解散され、彼らはすっかり居なくなる。聞くところに寄れば「皆(みんな)仕事が決まって」旅立ったのだと聞く。どの国の若者でも、彼らの幸福を願う事には変わりはない。けれど、この奇妙な日本語学校の若者の就く仕事とは何かと合点がゆかないのである。
追記。今年のチラシを計ったら400gだった。

4 件のコメント:

ヒゲMac(BinkyBlue) さんのコメント...

今年もよろしく(#^.^#)
元旦の新聞・・・私は新聞奨学生で専門学校に通いましたが、それ以前実は小学6年生の頃から夕刊配達をし、自分のこずかいは自分で稼がなければならない身でした。

なので新聞配達は常に辛い思い出ばかり・・・そしてあの正月の新聞・・・いっぺんに配れないですから、各自分のルートの数箇所に先に束を置いて、そしてそこへ寄りながら補充して配達でした。

あの厚みは自転車のカゴに数冊しかはいりませんし、後ろの荷台もすごいビルディグが出来ますから危険でした。

懐かしいですが、時折あの頃の夢をみて、誤配達とか、また自分が新聞配らないといけない夢みて、もうルートやら契約者の家など覚えられずに焦る場面が出てきていやな気分で目が覚めて、そして夢でよかった・・・と思うことがあります。

普通の親に育てられている今の(いえ私のあのころの友達たちも)若者達は恵まれています。

野良通信 さんのコメント...

コメントありがとうございます。ことしもよろしく。
私も新聞配達をしていたことがあって、いろいろとシンドイ割には評価されずに、報われない仕事だな。

玉井人ひろた さんのコメント...

元旦の新聞は配達泣かせであることは、重いだけじゃないですね
新聞は各家の郵便受けなどに突っ込むのが多いと思いますが、元旦のは分厚くて入りません。

そこでわが地域の新聞配送店では「箱などを準備ください」と、ちらしを織り込むのです。
ところが、これを見ない人が多く箱などが準備されていないことが多く、置き場所に苦労すると近所の配達の人が毎年のようにこぼします。
わたしは準備してます。

新聞のことでちょっと外国の話です

親戚に娘がニュージーランドに住む人が居まして、昨年末その娘夫婦に会いに行った時の話です。

あちらの新聞配達は通りを止らずに走りながら袋に入った新聞を庭に投げ捨てていく光景を見て驚いた話をしていました。
庭はすべて芝生ですし、あちらの方たちにとっては当たり前の“配達”なんでしょうが、日本人の田舎から言った人間には“捨てていく”に見えたそうです。

ところ変わればですね。

ちなみに、娘さんの夫のニュージーランド人は日本語ができるのですが、私の親戚の話す日本語は「東北弁」でして、初めのうち何を言っているか意味不明で、娘の夫は頭を抱えていたそうです。

野良通信 さんのコメント...

コメントありがとうございます。今年もよろしくお願いします。こんなにして、数百キロも離れて情報の行き来の出来る時代に、尚「新聞」ならではの「意義」は難しい所に来ていると考えます。親元を離れて久しい、わが子に聞いたところ「新聞」の購入はしていないとの事ですから。
ところで、我が村の「日本語学校」はすでに解散(卒業)したみたいです。目に見えぬ「国際化・グローバル」の岸辺にて。