2012年1月19日木曜日

2012.1.19の日記

雨・国歌・国旗

久しぶりの雨が降っている。そうでなくても閉じこもりがちの冬の日、いよいよ閉じこめられている。乾燥ぎみの畑には、良いお湿りだ。植えている玉ねぎに肥料を施せば雨に溶けた養分が玉ねぎを太らせるだろう。でもカッパを着て冷たい雨の中を畑に行くのは億劫だと窓から眺めて雨間を狙っている。予報では一日シトシトと降るらしい。明日があるさ。それに、玉ねぎは大きい方が良いのはそれを収穫して食べる私の都合だ。肥料のことは玉ねぎの都合ではない。腹を空かせた犬猫に餌を遣らないのとは違うだろう。
大阪の方では、国歌・国旗に忠誠を示さないと罰を与えると言っている。(東京でも同じ事をしていた)。百歩譲って、それで大阪が活気に溢れた都市になるのだとしても、(それで東京が活気づいたとは聞かない)。でもなんだか嫌だな。と私の気分が囁く。嫌な事をさせられているヒトを見るのはつらいのだ。もう百歩譲って(これで二百歩だ)私が、国旗・国歌が大好きで心から国歌を歌い、国旗に敬意を示したいと思っていたとしても、「心からそれを好まぬ」ヒトと一緒に歌い、敬礼するのは嫌だなと思うだろう。やはり同好の士とともに言祝(ことほぎ)たい、と思うのが自然なのではなかろうか。もう百歩譲って(これで三百歩だ)「こんなええかげんな連中とは私は歌わない、敬礼もしたくない」という「愛国の士」が現れたとき、彼らはその論理にどんな「指導と罰」を与えるのだろうか。心の内面に踏み込んだ途端に解く事のできぬ問題に直面せざるを得ぬのではなかろうか。
と、書いていると「世の中はそんな原理主義者ばかりではない。大抵のヒトは生活や暮らしの為に適当に歌ったり、敬礼したりするものだ」という声が傍らからしている。でもそんなにして歌われる「国歌」って「何なんだろう」。
暗くて、寒くて、冷たい日だ。傘でも差して外に出てみるか、「犬も歩けば棒に当たる」という諺もあることだし。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

国旗・国歌=国家に忠誠を誓う…愛国心が生まれると考えるのでしようか?何とも寒々した風景が眼に浮かんできます。今にこんなことも言えなくなるような…。気が重いと黙るのは、思う壺にはまるのでしょうね。

野良通信 さんのコメント...

コメントありがとうございます。「国歌・国旗」はどのクニでも、統一の象徴です。「何がどうであっても、この歌とこの旗の下に心をひとつにしてガンバロウや」の意味があります。ブログに書いたように、彼らがその形式にこだわるのは、それが「愛国教育の要」あるからなのでしょうか。それを政治路線が違う者達への「攻撃の材料」としていることは、彼らが真の愛国者でないことの証明だと考えます。
「大阪の橋下現象」が問題なのは、あらゆる価値が相対化され、攻撃の材料と化し、「我々の生存の意味」がいかほども考慮されていない事だと私は考えています。彼が時として「サイボーグ」のように見えるのは、故なき事ではないのだろうと愚考しました。

ハル さんのコメント...

国旗・国歌に反対、の方々と共に活動することが多い私です。共感しつつも、全面的に『そうだそうだ私も!!』と叫べない気持ちもあったのですが、野良さんの文章…コメントも…にはまたしてもすっきりさせられちゃいました(^^v

野良通信 さんのコメント...

コメントありがとうございます。斜に構えて、スネてみせるこのブログが誰かを楽しませる事があるのなら私にとって幸いです。
国旗だ、国歌だと騒ぐヒトビトが、本当に「愛国」の士であるのか。わたしの検証したかった事はそこにありました。このことは、このクニの「国歌・国旗」が担ってきた不幸な負の遺産の検証とは別の事です。