2012年1月12日木曜日

子猫旅立ち

2012.1.7にこんな事をつぶやいた。
「日付が変わって、犬共との散歩。今日は「ぬくい」夜だ。寝静まった家々の明かりを見ながらの散歩。犬の気配に寝とぼけたものか鷺がヨタヨタしている。これに犬どもは興味津々だが、私はさほどでもない。他の事を考える。「自由」の事を。こんなに自由を手に入れた事はこのクニの人々とって史上初めてだろう。仕事・暮らし・服装・思想信条・政党支持・不支持。その代わりの「自己責任」。政府の言うところの無茶振りの自己責任論が、一定の支持を得るのはそんな下地があるのだろう。と。帰宅してみれば猫の家族がダンボールの家で寝ている。」

トロンとした目は下に湯たんぽが潜んでいる
それから今日2012.1.12のつぶやき。
母猫の連れ帰った三匹の子猫。家の中での「ワルサ」も手に余るようになった。外に出そうと考えた。この風の中、いつでも戻れるように窓を開け放っておいた。仔猫供は、用心深く外をうかがっていたが、やがて生まれて初めての場所に出て行った。それを見ているおじさんの事は気にも留めずに。
この後、幸運に恵まれて彼(彼女)達がイノチをまっとうする事を祈るばかりだ。
ヒトの子育ても、犬猫の子育ても同じ事ではなかろうか。心配しつつ。信頼して。個々の持つ能力と運を信じて待つこと以外には。
犬の鋭い牙に脊髄を一撃にやられて絶命した子猫を何匹も見てきた故に心配はつきぬのである。

数時間後、帰っている三匹を確かめて窓を閉ざした。一匹の足は泥で染まっているどうやら、「ドブ」に落ちたらしい。

「命とは何だろうか」

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

子猫たちと私たちとどれほどの違いがあるでしょうか?逃げるも残るも自己責任。事故にあうのも、今のところ原発が無事なのも運不運。重い税金の負担を義務と思って払い続けるのは、「政府が国民に生きる権利は保障してくれる。」と思い込んでいただけであったと…。
「自己責任」… 今年の流行語に推薦します。

野良通信 さんのコメント...

コメントありがとうございます。「自己責任」という概念の曖昧さを問題にしなければなりません。例えば、こんな政治家を選んだ選挙区の民はそのレベルだという論がある。その論の帰結は「批判する権利無し」そうでしょうか。民主主義とは何か、その論理の構造はどうなっているのか、それを論議する土俵に今は、ヤット立
った所ではなかろうか。重ねてではありますが コメントありがとうございます。ちなみに、一匹は食い殺されました。

ちなみ さんのコメント...

野良さん、こんばんは。命を愛しいと思う気持ちは、私や野良さんを含めた多くの人間の原動力ですね。ごくごく自然なその思いは、「社会的責任」に、ごくごく自然につながります。それは「自己責任」とは全く異なる責任です。命を愛でる社会であってほしいし、そうなるよう奮闘したいと思います。

野良通信 さんのコメント...

コメントありがとうございます。この記事を載せて後、その一匹を犬の牙で失いました。「やっちまった」と数日立ち直れないで過ごしました。「私がわるかった」と書いてもみました。判断の甘さはどうしようもない。
上から目線の「自己責任論」には痛みがあるのだろうか。