2012年8月12日日曜日

コンビニまで80歩

簡単なノートパソコンを手に入れた。それにモバイル?だったかUSBの親方みたいなものを付けて
深夜これを書いている。耳を澄ませばカエルが鳴いている。少し前まで、ここらあたりは一面の田圃だったんだろう、しかし田圃は大きな看板の下に肩身狭く残るのみだ。
転がり込んだのは、片道二車線の豪華?な車道の傍らの借家。見渡せば、いや見渡さなくてもコンビニ・ホカホカ弁当屋・ラーメン屋・食い放題焼肉・ガソリンスタンドなどが車道の両脇にひしめいている。

コンビニの駐車場で見つけた付近の案内図。どうしてなのか西が上だ

コンビニまでの歩数を数えたら80。「焼肉食いてー」と思えば200も歩けばいい。

どうもモバイルのせいなのかパソコンが安定していない、先ほどから書くのを「中止しろ」とパソコンがウルサイのでここらで止める。

さて、一日経った。モバイルのご機嫌は如何か?続けてみよう。
焼けた家はすっかり片付けた。点々と足跡の付いた跡地はまるで雪の後の畑みたいだ。ボンヤリながめていると

私に人生というものがあるならあなたと過ごしたあの夏の日々」という歌を思い出した。そういえば、この歌の入ったレコード盤も燃やしてしまった。「失うという事の意味」が本当に解ってくるのはこれからなんだろうか。

3 件のコメント:

sansan さんのコメント...

人生のなかで積み重ねてきたものをいまだ
失ったことはない(自覚がないだけ?)
自分ですが、何年たってもふっとしたときに
失ったことに気付くのかもしれませんね。


失うことはある意味出発を意味する
のでしょうが、僕が理解していることは
言葉遊びにしかすぎないような気がします。

野良通信 さんのコメント...

コメントありがとうございます。「私に人生というものがあるなら」この夏は節目になる夏であろうと思います。ブログが私的経験を書く事を許される所ならば(大方はそれですが)火事の顛末をゆるゆると書いてみようかなと考えています。
「ヒトは簡単には死なない」60数年前の岡山の空襲を12歳ぐらいに体験した叔母は私にそう言いました。全くその通りで、ヒトは簡単に死ぬ時もあれば死なない時もある。そういうことでしょうか。
「仮の住まい」の暮らしは快適です。お気遣いに感謝しています。

sansan さんのコメント...

野良通信様

「簡単に死ぬ時もあれば死なない時もある」


まさにその通りだと思います。
私的な経験を書き込む失礼をお許しください。
まだ学生だった頃、岡山に帰省するときに
乗っていた在来線の電車に投身自殺があり
ました。
真冬の寒い夜でした。
いやな振動がして、電車が止まり、しばらく
すると駅員がかけつけ、僕の立っている
ちょうどましたを覗き込んでいました。


そのとき思ったことはなにがその人を死へ
追いやったのだろうと。
凍えるような寒い夜に人を死へとおいやる
ような絶望がこの世にあるのだろうかと。


それなりの社会経験も積み、今ではなんと
なくそういった絶望が世の中にあるという
ことがわかってきました。
それも、案外身近にあるのだと。


自分の子供が生まれ、かわいさが増してくる
につれ、そういった絶望を恐れる気持ちも
増してきました。


その自殺のおこったとき、かなりな時間を
電車のなかで待たされたのですが、同じ
車両に乗っていた中年の男が、駅員に
怒りだしたのです。いつまで待たすのかと。
僕のすぐそばの窓を開け、頭を外につきだし
怒鳴るのです。
そのとき、男を殴り倒したい衝動を感じ
ました。人の死に鈍感な、自分のことしか
考えない、その男の顔が許せませんでした。
倉敷駅のすぐ近くでしたが、その事件は
翌日の新聞には一切でていませんでした。


死んでいい人はたくさんいますが、
死なないでほしい人もたくさんいます。
最近、命が軽くなったと思わせられることが
多いため、ついつい命の危険にあった人が
おられると反応してしまいます。