2012年8月26日日曜日

電力?あえて電気と呼ぼう

火事で、ガスも水道も失って、電線も焼いて電気を失って。どうしたか、まず懐中電灯を手に入れた。それを鴨居に吊るして数日を過ごした。まずもって電気が無ければ不自由なのは我々の「現代生活」なのだ。
体を動かす度に、焦げ臭いにおいがした数日を過ごした後、電気を回復した。「おお明かりが点いた」と感動した。
電気がなければ、不自由きわまりない。しかし、それが原発による電気でなければならぬというわけでもないのである。極私的には電気であればそれでいい。
言葉を換えれば、あり余る「電力」は必要ではない。が、しかし「電気」は必要なのである。

経済の発展のためには「原発」がいるのだというクニをあげての論調には、あえて「失われた10年=もう20年になる」この経済停滞は「原発がらみだったんですか」と問いたい。

2 件のコメント:

株投資 さんのコメント...

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

野良通信 さんのコメント...

コメントありがとうございます。言葉は抽象的になるほど誤魔化しやすい。飯粒と理屈はどこにでも付くからなんですなー。愛国とか、維新とか、既得権なんかそうみたいだ。
また読んでやってください。