2011年7月19日火曜日

「身悶え」考

身悶え」考

「基準値を上回る○○を出したにもかかわらず。それを防ぐ手立てがない。これほど深刻な事はない。にも拘らず、政府もマスコミも切迫感がないですね。
「直ちに健康には~」という有識者のコメントを拾ってきて載せたりしている。
ことに、中央政界はこれほどの被害を
える施設の再稼動を狙って身悶えしているようだ。
政府による「危機管理」はこれからも期待できないでしょう。
あと
るのは、人心の荒と政治への不信感。このクニの「終わりの始まり」でなければいいのですが。」
これは、あるブログのセシュウム汚染牛肉の話題に私がイッチョ噛みしたコメントである。いつもながら、鷹揚な口ぶりで我ながらイヤになる。書いた後「身悶え」の原因ついて考えていると、半年前の違った事柄を思い出した。連想に基づく私の考察が当たっているかどうか、書いてみなければ解らない。
2011年1月26日 山陽新聞

これを読んだ。話題の会社の傍を工業高校への通学路としていたので、いつも飴菓子を煮ているイイ匂いが漂っていたのを思い出した。工場のレンガ塀に立て掛けて作られたバラックにヒトの住んでいた時代のことである。塀のあたりでカワイイ女生徒と毎日すれ違うのだけが楽しみだった。これがなければ卒業できたかどうかあやしいものだ。レンガ塀を過ぎると「乃木衣服(のぎいふく)」の地下道があって、そこまでにすれ違えなければ~。話がズレていってる。もとにもどして。
そういえば、と思い出してこの記事から数日前の記事を見つけ出した。

2011年 1月21日同「山陽」
5日前の地方経済のリーダーは、破綻について何も語ってはいない。経済界ではその時まで伏せて措くことは当たり前のことだろうが、読者としては、当たり前と済ましてしまえない違和感がある。
いってみれば、この新聞の全ての記事の信頼に係わる問題なのである。
「地方新聞と放送局、地方銀行、そしてこの企業、」この関係を以後の記事(40本以上ある、まだ続いている)で拾ってみれば、互いに株を持ち合いしていて、云わば姻戚関係にあるということだった。これに、商工会議所の息のかかった首長の率いる行政、商工会議所雇われ議員の牛耳る議会が加われば。これで、地方政治トライアングル(テトラゴンアングル?)は完成である。
市民(読者・視聴者)は金(新聞代金・税金)を払っていても、蚊帳の外、地方政治トライアングルの外、なのである。

さて、中央政界、の○○アングルはどうなっているのか、「政・官・財」トライアングルと俗にいうけれど、その構造はどうなっているのか。私には原発再開に「身悶え」をしている様子を見てその繋がりの深さが想像できるのみである。

4 件のコメント:

sansan さんのコメント...

おじゃまします。
私は一介のサラリーマンですが、社会人に
なってから、いかにお金が世の中の基本に
なっているかということを歳をとるとともに
身にしみて感じています。それと同時に
雇われている身の限界も感じるのです。
会社の利益=自分の利益=家族の利益と
考えてしまい、もし自分が今の東電の幹部
の立場にいたとしたら、ひょっとしたら
私も身悶えしながら原発の延命を画策して
いるかもしれない。と、ふとした折に思い、
怖くなるのです。学生のころは理想だけを
語れましたが、家族を持つ身になると、
理想よりまず自分の遺伝子を受け継いだ
子供の笑顔なのです。
「理想と現実」というありきたりな言葉
は手垢がこびりついていて、使うのも
恥ずかしくなりますが、私は時に「現実」
のみを大切にしているような気がして、
怖くなります。
まとまりのない長いコメント、ご勘弁
ください。

野良通信 さんのコメント...

コメントありがとうございます。ともすれば。こういう話題のブログは、読む者をして、「理想の高みからのご高説」と無視される傾向がある。と気付いてはいるのです。しかし、私の中にある学生の時に感じた「理想」が書かしめる。よく読んでいただきました。ありがとう。
ヒトの生涯は辛くシンドイことの積み重ねのようでありますが、楽しみもあります。まづ、養う喜び、食わせる楽しみ。これは基本の楽しみでしょう。それから、子供に背中を見せる楽しみ、(子供は親の背中しか見てませんから)それから~~。
この激動の時代に「判断の背後のある意識」にはふた通りの分類が出来るのではないでしょうか。ひとつ、この判断に間違いはないという無謬の意識。もうひとつは、これはホントはダメなんだけど、今はこれを選ばざるをえぬという意識。救い難いのは前者でしょう。
「理想と現実」の問題は古臭い「テーマ」ではなく、この時代だからこそ新たな意味を持っているのだと愚考しています。
コメントありがとうございました。
これに懲りずに~~。

sansan さんのコメント...

コメントに対するご丁寧なコメント、ありがとう
ございます。
現実のみの仕事をしていると、ときに理想を語り
たくなるものですね。
理想的な社会が実現したら、それは実につまらない
社会だろうといった人がいますが、確かにその
とおり。
でも、理想を目指す心は持っていたい。
それは子供のためでもあります。

野良通信 さんのコメント...

コメントいただきました。
私はヒトの意識には=ということは考えたり感じたりする全てということですが=解決可能なものしか反映しないと思っています。例えは良くないかもしれないが、原発事故。意識のアンテナをしっかり立てていたヒトには「問題」は見えていた。残念ながらそれは運転するヒトビトではなかった。
今思い浮かべている「理想」に近づけば、また新たな違った理想が見えてくるでしょう。
シンドイけれど、そうならば、誰もが受け入れるしかない。個々のヒトに訪れる「死」のように。