2011年7月30日土曜日

私も保安院と同じ

私も保安院と同じ
ブログを始めた頃、「来て見て読んで」、と知り合いに盛んに触()れまわったものだった。ちょうど話題の保安院のように。しかし、私は、ポチッとして「ごもっとも・そうだそうだ」のコメントを書いてとは言わなかった、いやその前にそんなことを考えつきもしなかった。ところが可能性としては、在り得たが、あってはならない保安院のしぐさが報道されている。ヤッテイタンダ。
事の概要は報道に任せるとして、少しだけ、指摘しておきたい。
参加を申し込んだ市民のうち、どのくらいが「定員に達したので」と断られたのだろうか。やらせ動員で席をうめている会場の外で、「我が疑問、我が意見」、を排除された者がいるに違いないのだ。それがたとえ一人であってもそれはあってはならないことではないのか。
ついでにもうひとつ、8月中に真相解明と政府は言っている。のんびりしたものだ。今日、保安院の庭から煙が上がっていたら、それは証拠隠滅のケムリだろう。
真相は罰を与えぬから正直に言いなさい。とするか、それとも間髪をいれず踏み込んで押収した資料から、しか見つからないものなのだ。
どうなんだろう。

2 件のコメント:

名無し さんのコメント...

今度のやらせは、露骨ではあったが、日本の世論形成の基本的枠組みであろう。

行政などが自ら構成・招集した「委員会」・「審議会」・「広聴会」などを立ち上げ「諮問」・「聴取」などして恰(あたか)もお墨付きが出たかのように「答申」などを使う。

原発再稼動については、国民の大勢を考えるとそれでも足りないと考えて、「演出」を行った。

「政治主導」となった今、首相・閣僚などの民主党政治家がまったく知らなかったのだろうか。
もし知らなかったのなら激怒すると思うのだが、誰か激怒した何人いるのか。
やらせが洩れたことを、「危機管理」の問題にしてやらせを制度化するのであろうか。

玉井人ひろた さんのコメント...

保安院の「やらせ」が報道されたときすぐに私は思いました「何をいまさら、とっくに知っていた」でした。
2009年初版発行、著者「佐藤栄佐久(前福島県知事)」の
「知事抹殺」という本で(原発保安院)そのことはよ~く知っていました

その当時、前知事は東電のトラブル隠しを原子力保安院に訴えたときの対応に、初めて原子力保安院の仕事は“原発推進擁護組織”であると判明し驚愕・落胆したと書かれていました。