2011年6月22日水曜日

ふたたび原発事故のこと

ふたたび原発事故のこと
3.11直後は痺れたように呆然としていたマスコミは、一ヶ月経った頃から原発の是非についてさかんに論じた。ところが、三ヶ月経った今は電力不足をどうする。などと、違うところを目指して迷走を始めたようである。健忘症はこのクニの宿痾(しゅくあ)なのであろうか。
私は、先に「夢見る資格1~4」と題して原発の問題を書いてみた。今度はまた違った視点から私見を述べてみたい。

これは、ウィキペディア(Wikipedia)の画面の写しである。打ち出した日付は2011/3/16。当時、この8枚に及ぶ説明を読んでみたが、私には難しすぎた。とてもアブナイ物という扱いの他には理解し難い中身だった。例えば単位。メートルとかグラムとかという単位ならばこれは体感として解るのだけれど、シーベルト・レムなどは実感し難いものだった。それから三ヶ月経った。それでも、私の理解は一向に深まらない。人を道連れにするのは良くないけど、おおかたのヒトにとっても放射線のことは、そんなものじゃないだろうか。
これはどうしてか、思うに放射線の発見から100年、核分裂の発見から80年、核兵器の製造・使用(ヒロシマ・ナガサキ)から70年、平和利用(この言葉自体、核分裂システムの血塗られた歴史を物語っているだろう。自動車エンジンの平和利用とヒトは言わない)から50年ヒト人類と放射線との付き合いはあまりに短いのである。
たとえば、ヒトと津波・地震・洪水・噴火のことならばこれは数万年来の付き合いである。(それでも、まだまだ未知の部分はある)これに比べるのもおこがましいほど短い、ヒトと放射線との短い蜜月。付き合い方は解らなくて当然なのである。
こうしてみれば、ヒトへの放射線の害について、我々が当面できることは限られていると考えた。統計的手法を駆使して、原因と結果の因果関係を追及すること。それ以外になかろうと思ったことだ。(もっとも、この方法は東電と政府の最も手を付けたくないことがらでもあるだろう。)

付け足し。世界に500あるという原発のすべてを安全点検をしようという動きがある。仮に、その結果、今稼動している原発仕様の安全はおおむねよろしい。という結論が出たにしても、まだ深刻な問題は残るのである。「誰が、運転するのか」という問題が残るのである。日本の50の原発を「誰が運転し続けるのか?東電・関電・中電・電源開発」それでいいのか?という問題が。たとえば、考えられる限り安全な車がそこにあるにしても、運転する者によって結果は違うのである。これについては、私は最近身にしみた経験をしている。

最後に書いておきたいこと。
私はこれを書きながら、以下のフレーズを思い出していた。
「レイテ島の戦闘の歴史は、健忘症の日米国民に、他人の土地で儲けようとする時、どういう目に遇うかを示している。それだけではなく、どんな害をその土地に及ぼすものであるかも示している。その害が結局自分の身に撥ね返って来ることを示している。死者の証言は多面的である。レイテ島の土はその声を聞こうとする者には聞こえる声で、語り続けているのである。」(レイテ戦記 大岡昇平 中公文庫 下巻 P323
ヒト一人の力は実にかよわく、切ないほど弱いものである。しかし、切実で誠実な仕事の射程は思いのほか遠くにまで届いている。

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