2011年6月30日木曜日

みたび原発事故のこと

みたび原発事故のこと

私は、モスラ・ゴジラ・アトムで育った世代である。これに関して思い出すのは夏休みの絵日記のことである。子供なりにテーマに悩んだあげく、黒い絵の具でもって白い画用紙を塗りつぶすことにした。そこからは少し工夫を施した、真ん中あたりは丸く白く塗り残しておいて「モスラのたまご」と題して提出した。「栴檀(センダン)は双葉より芳(カンバ)し」というが、こうしてみれば、私の場合「双葉からええかげん」なのである。
それはそれとして反省しておいて。今になって、この怪獣やヒーローたちどれも原子力がらみだと気がついた。「我々の生活を一変させる革命的エネルギー」として、かたや「制御不能なやっかいなしろもの」として、私たちの社会は最初から原子力を認識していたのである。(たとえそれがボンヤリとした、意識下においてであったとしても。)
言い換えれば、我々は原発事故福島3.11を「想定していたのだ」。(やっかいものの成れの果てとして)
ここから導き出される教訓があるとすれば、現代の我々の持つ「良きイメージ」や「意識下に隠れている不安」はやがて否定されたり具現化させられたりするだろう。このことであろう。
さて、我々の先人がモスラやゴジラやアトムを創造したように我々も「この時代なりの創造」を試みている。では現代の産み出しつつある怪獣やヒーローは未来の何を指し示しているか。
それは、残念ながら私には解らない。「モスラのたまご」しか考え付かなかった私にはこの仕事は無理みたいなのである。
私に言えることがあるとするならば、それぞれが「この時代なりの創造」を目いっぱい試みてゆく他ないだろうということである。

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