深夜、目を醒まし、風呂に入る。サッパリしたところで、ウイスキーを舐めている。思うことは多いが、とりたてて書き付ける程のことはない。耳を澄ませば虫の音が聞こえて静かだ。
子のまだ手元に居る時、「深く安心して眠らせる・しっかり食わせる」親はそれだけしてやれればよし。と育てていた。その昔親の膝元でゴロゴロしていたあれらは、私の棲息範囲を逃れてどうしているのかしら。子育てにおけるそのふたつの原則がこの数年、他ならぬ、私自身の暮らしから失われている事に驚いている。
階下にお代わりを注ぎに降りれば、「フェフェ」と窓の外からネコが「イレテクデェー」と鳴いている。開けてやれば、さきほど風呂上りに外に出したばかりのオス猫だ。10分も外に居たか。入れて嫌がるのを抱き上げて、ヤツの頭を顎の下で押さえるようにして抱いてみると、冷たい外気に晒された毛の中からほんのり暖かさが伝わって来た。「コイツはこんなだから、傷ひとつしていない」と思う。それにひきかえ、日に一度帰るかどうかの、もう一匹の「アレは傷だらけだ」と思う。男子の暮らしそれぞれだ。それでいい。
階下に降りて傷なしの絵でも撮ろうか。
1 件のコメント:
野良通信さん、おはようございます。
記事を拝見し、思い出してしまいました。
私は猫と暮らしたことがないと思いこんで
いましたが、そんなことはありませんでした。
小学校のころ、ダンボールにいれて捨てられて
いた子猫としばらく暮らしていたのです。
その子猫はお腹が異様に膨れていました。
病院に連れて行くと病気だと。
病名は忘れましたが、助からないといわれ
ました。
家の前でお腹の膨れた猫をお湯で洗って
いると、近所のおばさんが気持ち悪そうに
うちの犬に近づけないで、といったことが
忘れられません。
死んだ猫を近所にあった丘のみ晴らし
のいい桜の木の下に埋めました。
それきり、猫とは暮らしていません。
動物との距離感もそれきり、忘れてしまい
ました。
記事を拝見していると、そういった懐かしい
思い出がわいてきます。
犬より猫が好きですが、奥さんが動物
ぎらいなので、これからも犬猫とは
暮らせないでしょうね。
水槽に魚くらいならいいかな。
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