2011年10月29日土曜日

雑感 1

専門化すれば略語が生まれる事は承知の助だけれども、「SNS」という略語に意味がわからないでいた。「ソーシャル・ネットワーク・サービス」の略だって。つまり「ツイッター」とか「フェイスブック」とか「ブログ」とかがこれに当てはまる。それならわかる。はまっているもの迷惑がられながら。
さて、「SNS」何をしているか。ひとつはニュースの伝達。「こんな事が在った。こんな事があるよ(未来)。」もうひとつは、その事などをどう考えたか。「私はこう考える。私もこう考える。~だけど私はこう考える。」それから忘れてならぬもうひとつは。安否確認。「ドッコイ生きているよ。あんたも生きているか」
そんなわけで、「生きてるよ。」と雑感を載せてみよう。

「合理的」という言葉を書くたびに、違和感を覚えてきた。やっとその理由がわかった。2011.10.6毎日新聞一面記事より抜粋、「放射性物質の汚染が広がる現段階では、年1㍉シーベルトをめざすと合理的な対応が取れない可能性があるため」とある。つまり、合理的とは、「理にかなった」という意とは違って、「現状追認」の意もあるのだった。

昼寝をして、起きてみれば、日差しと風とが洗濯に丁度いい。洗濯を干して風になびくシャツなどを眺めおるほどに、「風誘う、洗濯日和、主夫の喜び」と指を折っていると、メスの遊びネコが帰宅した。空の器をみて「フエー」と催促する。キャツトを盛ってやれば、足元に来て、まだ見上げている。牛乳だ。句のつづきに「ネコの帰りて、ミルクをせがむ」んー。次に期待しよう。草刈機でも振りに行くか。
燃料タンクが空になったのを潮時に草刈をやめた。エンジンを響かせて草を刈りかけると、これから刃を入れる草叢に「雉」が逃げ込むのが見えた。今日なんとか喰うものがあれば、雉の暮らしを脅かすこともあるまい。とすべてを刈り倒す事はやめたのだ。おお、センチメンタルと笑わば笑え私はこうして生きている。遊びネコに邪魔されたが、新たな一句を考えた「イビキ掻き・イビキを掻かれ・秋の夜長に・ふたりかも寝ん」築三十年、いや婚三十年を迎えれば、枕を高くして眠るつれあいを見て、こいつが安眠できるのは自分のお陰だと互いに思うのである。しかし、考えてみれば、これは寝首を掻くにも丁度いい距離でもある。

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