2012年2月1日水曜日

「公務員」考

「公務員」考

身近に公務員がいないわけではない。私自身も公務員の子として生まれた。二十歳過ぎまで、親の行う公務に対する報酬で養ってもらった。その事実を消すことはできない。その上で「公務員考」を書いてみたい。
まずひとつの体験から述べよう。
私の棲息する地域(町内会単位でのそれ)に公園がある。二十年ほど前に河川敷を利用して作られた。その管理は市がしている。事の発端は、幅10メートル程のその川に何の必要もない橋が掛かったことにある。市の公園課に聞けば「管理上必要」との事だった。値は100万円。これが、私がこの公園の管理費のことを調べる必要を感じた理由だ。市はこの公園に年に300万の管理費用をかけていた。その額についてはそれが相場であるかどうかは問わない、しかし、どうにも変だ(おかしい)と思ったのは、その総面積1ヘクタール程の公園の管理組合(これは管理を委託した業者とは別に町内会の関与で出来た任意団体-つまり300万とは別)に公園課が除草剤を年間60本支給している事だった。(1ヘクタールの除草には一回一本で済む。おまけに管理を委託した業者の管理以外の範囲は皆無だろう)これを調べて、数日後、管理組合の者から脅しの電話があった。「いろいろ、嗅ぎまわっているみたいじゃなー」。との事だった。これは、市の公園課が管理組合に情報を漏らしている以外にあり得ないことだ。と公園課に執拗に抗議した、しかし、相手はへらへら、笑うばかりで、「そんな事はない」と最後は、課長補佐まで出てきて答えるばかりだった。今でもそいつの首を閉めてやりたいという衝動にかられる。これが、私の公務員に関する記憶だ。どんな職種にもいろんな人物が混ざり込んでいる。それは知っている。しかし、職務に求められている基本を逸脱して許されるのは「公務員」の特権だろう。
さて、沖縄防衛局、長の講話。「共産党」2012.1.31の国会での告発(暴露)が無ければこの無法(法律違反)はまかり通っていただろう、関係者以外に知られる事なく。
感想を箇条にしよう。
1. やりそうなことだがやはりやっていた。このクニの公務員の遵法精神はレベルゼロであることを証明した。
2. どんな選挙であろうと、その選挙結果が公務員の思惑を超えて働くこと。このことををはしなくも実証している。つまり公務員は多数には従わざるをえないという論理の認識。
3. このことは、「橋下」等を代表とする論調、「公務員の待遇を叩く」論調と連動しそうだ。しかし、これはまた別のことと区別しなければならないだろう。なぜならば、「待遇」いかんにかかわらず、公務員には公務員としての分限と職責を守る義務がある。たとえ、無給であっても、公務員にはやってはいけないことがあるのだ。
4. 言い訳がすごい「選挙に行くように言っただけ」とはお笑いだ。防衛省の職員とその親族はそんなに市民意識の低い人々の集まりなのだろうかそうは思えない。「選挙への参加」の呼びかけは、私の地域でも市の広報でされるけれど「防衛省」からされたことはないぞ。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

民主党政権になって、たった1つ良かった?ことは、政府や官僚が隠していたこと、隠しておきたいことが、明るみに出てきたことかな?
票めあてで公務員たたきが横行。公務員をたたけば、住民の不満をまとめて人気が上がるのか?なかには、木で鼻をくくったような役人!という人もいますが、全てではない。公務員の数を減らすと、特に地方自治体の場合は住民が困ることになってしまう。予算を作ることができる官僚や上級の公務員と、普通の公務員とは区別して論じる必要が有ると思います。しかし公務員が誰のために仕事をしているのかは、問う必要が有ると思います。まさか、首長の為ではないはず。現実はどうか?

野良通信 さんのコメント...

コメントありがとうございます。公務員については、国家の存在し官僚組織のある限り、何時の時代でも論議し続けて置かなければいけないテーマだと考えます。今の状況の問題は、公務員から、「そんなことはない、公務員はこうあるべきで、我々はこうしている」と言う反論がないことでしょう。首をすくめて寒風の過ぎるのを待っているように思えるのは私の偏見なのかな。それとも反論する能力がないのか。
社会の変化に従って「公務員の役割」も変化して当然で、そんな視点から、「公務員」論が展開される事を私は望んでいます。