2012年2月6日月曜日

好戦の記憶

好戦の記録
またしても、自慢だ~。この前「防空電球」を取り上げたら、思わぬ反響が、お年寄りからあった。若者は今少しの未来が在るのだから私としては「年寄り」を楽しませたい。
早くも話題がそれるが、象が65歳になったと、ニュースで聞いたが、ソレより長命の象がいないのは何故か、それは殺してしまったからである。
以下、「岩田 宏」氏の詩

「動物の受難
あおぞらのふかいところに
きらきらひかるヒコーキ一機
するとサイレンがウウウウウウ
人はあわててけものをころす

けものにころされないうちに
なさけぶかく用心ぶかく

ちょうど十八年まえのはなし

熊がおやつをたべて死ぬ
おやつのなかには硝酸ストリキニーネ
満腹して死ぬ

さよなら よごれた水と藁束
たべて 甘えて とじこめられて
それがわたしのくらしだった

ライオンが朝ごはんで死ぬ
朝ごはんには硝酸ストリキニーネ
満腹して死ぬ

さよなら よごれた水と藁束
たべて 甘えて とじこめられて
それがわたしのくらしだった

象はなんにもたべなかった
三十日 四十日
はらぺこで死ぬ

さよなら よごれた水と藁束……

虎は晩めしをたべて死ぬ
晩めしにも硝酸ストリキニーネ
満腹で死ぬ

さよなら よごれた水と……

ニシキヘビはお夜食で死ぬ
お夜食には硝酸ストリキニーネ
満腹して死ぬ

さよなら よごれた……

ちょうど十八年まえのはなし

なさけぶかく用心ぶかく
けものにころされないうちに
人はあわててけものをころす
するとサイレンがウウウウウウ
きらきらひかるヒコーキ一機
あおぞらのふかいところに」

野暮な付け加えをすれば「きらきらひかるヒコーキ」は1945年日本の主要都市を無差別に爆撃したB29のことだ。つまりこの詩は敗戦18年後に書かれた。
寄り道はここまでにして、自慢に移ろう。これを見てくれ


酒杯だ。どうやら、私の祖父が兵役を解かれた時に「記念」として作ったものらしい。「退営記念」と読める「衛生部」とあるのは彼が「衛生兵」だったせいだろう。(このことは生前の彼から聞いている)。さてもう一つの同じデザインの杯もある。

これには「帰休記念」とある。この言葉の意味は考えてみる価値があるだろう「予備役」としてとの意味か。いづれにせよ、兵役を終え帰郷した時には、親戚一同を集め「宴」を設ける風習があつたと想像されるのである。
我が祖父は1895(M28)年生まれ、二十歳のころ兵役に就いて数年後に退役(退営)したとするならば、1916(T5)~1919(T8)年の間に作られたと考えられるのである。ちなみに彼の長男(我が父)は、1920(T9)年に生まれている。
どちらの「杯」にも共通に強調されている言葉は「人ハ武士」である。ここから百年近くたってようやく「人ハ武士」などではなく唯の哺乳動物(ソレもかなり愚かな)であることが共通の認識となりつつある。
日清戦争 1894年
日露戦争 1905年
満州事変 1931年
日中戦争 1937年
太平洋戦争 1941年
慌ただしく戦争を重ねて行ったこのクニに於いて、こうしてみれば、我が祖父の世代は幸運に恵まれて、こんな杯を弄んだ世代と私は考えた。彼らの息子どもは、太平洋戦争で戦死した者が多いのは、言うまでもないだろう。そして、彼らの棲息する地域にも空襲が襲いかかったのである。



2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

はたして愚かな哺乳動物の自覚があるか?歴史は繰り返す。
明治以後、我が国が行う戦争は、幸運に恵まれて次々勝ち戦。その度に国土を広げ、大国になったと思い込んだ。満州をでっち上げて植民地にしたばかりか、あげくに中国すべてを狙ったという…。しかし世界を敵に回して、神国といえども精神主義では戦にならず、焦土となって敗戦。戦争には懲りたはずが、またぞろ美しい国等の美辞麗句で、特別な国であるとの意識を持たせて、その実、戦争が出来る国を目指す動きが顕著に。教科書が狙われています。私たちは、新たな戦前を生きているかも。

野良通信 さんのコメント...

コメントありがとうございます。日露戦争1905年、満州事変1931年その間の比較的穏やかな時期にこの「杯」は作られたと考えます。「人ハ武士」間違った認識を信じた付けは、25年後に払わされることとなりました。
さて、現在の付けを何時払わされる事と成るか。この問を、我々は問うことが出来る。
歴史は繰り返すけれども、新たな「知見」もまた我々は手にしているのだと愚考しました。