2012年5月6日日曜日

近くのスーパーマーケットにて

近くのスーパーマーケットにて

犬猫の「フード」を買ったついでに、ヒトの食い物を買いに近くのスーパーマーケット訪れた。ツルツルのリノリュウム様式の床を買い物カゴを下げてヨタヨタ物色していると、若い娘の二人連れが前を歩いている。聞き耳を立てれば、何やら品物購入の是非について話をしている。その言葉が私には解らない。どうやら中国語らしい。
こうして此処に記している「日本語」なんて、この地球上で使われる「言葉」の百分の一ぐらいのものだから。こうした私には理解不能の言葉があるのは当然であろうと考えた。どの言葉をとってみても、「解らない」と恐れる事はない、ヒトはひとつの種でしかないから、どの言葉も想定している範囲はそちらもこちらも変わりはないのである。
問題は、それが私の棲息範囲であるということだろう。世界の主要都市に「チャイナタウン」を作ってきた彼女たちの祖先の血がまた此処に流れているのだろう。
「グローバル」は。新自由主義の者どもが想定(己の保身のために)するよりも深くこの社会を変えつつあるのではなかろうか。
『クニ』とはなんだろうか。同じ民族の集まり。同じ言語を使う者達の集まり。同じ『法』の下で統治されることを認めた人びとの集まり。

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