2012年5月19日土曜日

六名乗車。計十三名 つづき

六名乗車。計十三名 つづき


新幹線。草一本生やさぬように想定されているこの交通システムは、食料を生産することのない空間である。がしかし、皮肉なことに、ここには大量の食料が運び込まれている。弁当、酒、菓子、コーヒー。ヒトは食わずには生きてはゆけない。

さて、病院にいってみれば、あたり前のことだが、「病人」「病院関係者(職員)」「病人関係者(家族)」その三者にしか出会わない空間だった。

そんな空間にしばらく居たら、こんな、一節を思い出した。以下
『「どんな患者が来ようと、病気には三種類しかない。ほっておけば治る病気と、ほっておけば死ぬ病気と、ほっておけば治りもしない、死にもしない病気の三種類。この三種類を見分けるには、勉強は要らない。勘だけ鋭ければいい。お前たちの勘はいいことがわかっているから、その勘を使って、その三種類を見分けなさい。」そのあと、どうするんですか、と聞きますと、「この患者、ほっとけば死にそうだ」と思ったら、「世の中には偉い先生がたくさんいるんだから、できるだけ早く偉い先生のところへ送りなさい」って言うんですね。「そこで死んだからといって、おまえたちの責任ではない。偉い先生は何のためにいるのか、ただ高い給料をもらっているのではない。ほっとけば死ぬような病人を助けてやるから価値がある。この人たちに患者を送るのに何ら抵抗を感じることはないんだ。」そう言われて目が開かれたようなきがしました。パッと。
精神科をやることに決めたのも、そこではほっといて死ぬ患者が少ないからです。僕みたいな医者がやっても、害が少ない。』
「一精神科医の生活と意見」 なだいなだ 『林精神医学研究所報』1983年3月より抜書き。

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