2012年5月17日木曜日

六名乗車 計十三名

六名乗車 計十三名

身近の者が、手術を受けるという、それも、全身麻酔でという。意識が有ろうと無かろうとそんなにレベルの変わらぬヒトだが、立ち会ってほしい。という。然らばと三重県は津市にバスと新幹線と電車を乗り継いで出かけた。私の棲息する所は。元々島であるから、バスの便は朝と夕方の離島連絡船みたいになっている。都市の周辺地域はどこも同じようなものだろう。
これがいわゆる「上り」のバス時刻。それから「下り」は下に。二日後帰宅時には18時52分着の便を利用した、我が停留所で二名下車。バスには運転手と他一名の乗客が残った。

朝九時の定期上りバスに乗った。我が停留所からは六名乗車。後ろの席から数えてみると計十三名がこのバスの乗客だった。雑巾を絞るように捻れる度に「ギシギシ」音をさせて走る。ディーゼルエンジンの振動で車体の隙間という隙間が「カタカタ」共振している。
レンズを外に向ければ、「児島湾大橋」が見える。

1983年に完成したこの橋を伝って産業廃棄物がダンプカーに乗ってやってきてからもう三十年だ。
産廃施設を抱え込んでしまった地域の住民の反応は二通りに別れるだろう。ひとつは「慣れてしまうこと。」もう一つは「そこに、この社会の矛盾と非道を見出すこと。」
バスは岡山駅を目指して「ギシギシ」「カタカタ」と走るのであった。
次の日の朝、津市の東の空にはこんな朝日がのぼった。

2 件のコメント:

名無し さんのコメント...

「排出取引」があるのなら、二酸化炭素だけでなく、廃棄物全般で、不利益を被る人に補償をする(不利益を押し付ける人が補償する)システムを構築すべきだと思います。
もちろん、引き受けるかどうかの選択も権利として構成すべきだと思います。
引き受け手が少なければ高騰する。それが、排出を抑制する。そういうシステムが必要でしょう。市場原理主義的ですかね(笑)

野良通信 さんのコメント...

コメントありがとうございます。nani主義であろうと、ゴミの事、とりわけ「産業廃棄物」のことに関しては、誰も真面目に考えていないのではなかろうか。言い換えれば、ここ数十年の社会の変化を冷静に捉える「論理」を我々はまだ持ち合わせていないのではなかろうか。最近の「生活保護」をめぐる論調においても、生活保護を受ける階層の量と中身の論議は明らかに避けられている。変化に追いつく論理こそ今試みられてしかるべきだと考えます。その上で言われるような「システム」も選択肢のひとつでしょう。産廃は今のところ「強面」の支配する領域です。