2012年5月23日水曜日

あんたの続け文字は

あんたの続け文字は

少し東の空が明らむ朝四時を過ぎると、近くで鳥が啼きだした。「ツーピー・ツーピー」と囀りはじめている。余裕のない切羽つまった啼き方だ。体の底から湧いてきた力をこの空間に撒き散らさざるを得ぬ、それの他に我が命なしみたいに。

私の親爺は大正の半ば生まれ。(ちなみにオフクロは大正末年生まれ)。私が二十歳の頃のこと、家を離れて一人暮らしを始めたら、オヤジからハガキが来た。それが縦書きの続け文字で読みづらい(いや読めなかった)。それで「あんたの続け文字は読みづらいです」と書いてハガキを出したら、読める字で返事がきた。計算してみれば、彼はまだ五十代の始めだったんだな。あのハガキ今何処へあるのか出てこない。彼は1991年に死んだからもう20年か。
こんなやくたいもない事を書きつけるのは、この頃、折にふれて、私の好んで読むものは、大半がすでにこの世に居ないヒトビトの書いた物であることに気付いたせいだ。
それはそれとして、ブログ・ツイッター・フェイスブック。生まれて間もない、これらの表現媒体に係わるヒトビトは現存している者が大半であろう。これからこの媒体はどう変化してゆくのだろうか。紙に書かれて読み継がれて来たもののように、生死にかかわらず、そんな事関係なしに、豊かに在り続けられるのだろうか。
今は、皆、切羽詰まった様に啼く今朝の鳥のように啼いているけれども。

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