2012年5月19日土曜日

二十日迄。というので

二十日迄。というので

一人で、県立美術館に「ベン・シャーン」を見に行った。行くと決めて、つれあいを誘うことも考えたが、「相手の都合に合わせる」のは私の性に合わない。「自分勝手だ」という日頃の彼女の謗(そし)りを証明することになるが。これ以上評価の下がることのない者の強みだ。



私は「ベン・シャーン」のことを、「アーサー・ビナード」氏の導きによって知っていた。しかし、 『ここが家だ・ベン・シャーンの第五福竜丸』の絵本を買おうとは思わなかった。絵本なんか子供のものと思っていたからだ。どんな理由でこの本を探して買ったか思い出せない。奥付を見れば「一刷は2006年9月30日。私の持つものは八刷2011年3月14日」。こうしてみれば、福島の原発事故の衝撃が、私を変えたのだろうか。
県立美術館の感想を述べれば、その量に圧倒された。アーサー・ビナード氏が構成し文を加えた 『ここが家だ・ベン・シャーンの第五福竜丸』は「ベン・シャーン」の七十数年の生涯のほんの一年の仕事に過ぎない。そうして、残された彼の作品はどれもこれも、彼にしか出来ない彼自身の表現であった。これは優れた芸術の特性であろう。しかし、ここだけの話、彼は「絵」が下手である。サラサラと書いてそれがまるで「生きているよう」だ。みたいなことはない。それでも彼は『ナチスの残虐』を『労働者の現実』を『原子力利用の現実』を彼の知りうる限りの情報を使い書いた(それもあらゆる表現方法を使って)。このことは、ここだけの話、我々凡才を励ますことであろう。下手でも稚拙でも書いておこうと。
ここまで書いて、またこのアメリカのヒト二人によって成された絵本に戻って考えた。「ラッキードラゴン=福竜丸」の事はまさに、掛け値なしで、このクニの人命と財産を犯された事件だった。それにも関わらず、我々は彼らのような仕事をすること無しに来た。それは何故か?と問わざるをえない。
それは、「タブー」がそうさせたのではなかろうか。菊タブー、ツルタブー。~~タブー。我々の思考は、我々気付かぬうちに、それらのタブーに囚われていたのではなかろうかと考えた。そうであるならば、今現在に於いても我々はタブーに囚われているであろう。私のタブーとは何か、あなたのタブーとは何か、我々のタブーとは何か。

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