2012年5月9日水曜日

理屈と飯粒はどこにでも付くクニで

これをみていた。「俺の記者会見はレベルが高い」と自慢していたけど。こんなレベルだったんだ。聞かれた事の意味を理解して、相手に解るように噛み砕いて説明する。対話・会話はそういった作業を積み重ねてようやく成り立つものだけれど、彼はその能力に欠けている。私の守備範囲に球を投げなさい(打ちなさい)それ以外は投げちゃダメ(打っちゃダメ)。これでは、例えれば、野球というゲームは成り立たない。彼は世の中のことを「ゲーム」と捉える傾向があるが、こんな事では「ゲーム」すら成り立たないのである。ところでこの会見で話題になっている「君が代」のこと。
「君が代」は歌だから、覚えていないと歌えない。これからは大阪あたりでは職員採用条件に「君が代を歌えること」の項目も入れなければならないだろう。歌いたくても知らない歌は歌えないもの。「何故歌わない!」と言われて「?。この歌知らないんです」叱られるだろうな。このクニに生まれたからといって、生まれついて歌詞やメロデーがDNAに刷り込まれているわけでもなかろう。冗談じゃなくて知らない若者は増えていると思う。こんなところに橋下維新達の無理筋・ゴリ押し理由があるのかな。それはそれとして、こんな事になるのも「法律」があるからなんだろうと考えた。この法律(国旗国歌法 )はどんなものか。どのような経緯で誕生したのか。

さて、「国旗国歌法」をウィキペディアで調べてみた。以下抜粋
『当時首相であった小渕恵三は、1999年6月29日の衆議院本会議において、日本共産党の志位和夫氏の質問に答えて
「学校におきまして、学習指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております。」
「国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。」』

『国旗・国歌法の制定時に官房長官を務めていた野中広務は「起立せなんだら処罰するなんてやり方は権力者のおごり。教職員を処分してまで従わせようというのは、国旗・国歌法の制定に尽力した者として残念です」と述べている』
以上

2012.5.13の追記
ツイッターでの橋下氏。今日の一言『僕は膨大な時間を使ってメディアとやり取りをしている。それが有権者のためになると考えているからだ。だからメディアもそれを踏まえての議論としてもらいたい。「私が質問している。私の質問に答えよ。しかし私は答える必要はない。」こんな記者とは議論にもならない。MBS、しっかり頼むよ!』
と余裕を見せている。その前は質問をした記者に逆質問を連発したのは「やりすぎた」と言っていたのに、彼は「このザマ」だ。

論理を外れて感情的やり取りをしてしまったと自覚しているのならば、元に戻って「冷静な」やり取りをしましょう。「やり直しましょう」だろう。この程度の軽口しか述べられぬ彼を私は「このザマ」と言っている。彼の使う論理は常々往々にして怪しいが、これはそれ以前の問題だろう。
彼は「論理」原理主義者を自認しているみたいだが。こんな展開を「ご都合主義」というのではなかったか。「まあまあ、それはそれとしてよろしく頼むよ」みたいな、そこにどんな論理が潜んでいるのか。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

観ました!なんと凄まじい!これが記者会見?これでは、尋ねる方はタジタジ!それが橋下氏の狙い?女性記者が、よく食い下がっていて感心しましたよ。これでも橋下氏を称賛する人がいる?理解不能です。
それにしても、うまく校長や教育委員会へ責任転嫁。原発再稼働について市民に責任転嫁したのと同じですね。白々しい限り!
国歌の件ですが、戦後は国歌を何にするかどころのゆとりはなくて、正式に議論された経緯はなかったのではないか?法制化されるまでなし崩しです。一時、「緑の山河」を国歌に制定しようという運動?があったらしい。その歌を知っていますか?とても力強く爽やかですよ。

野良通信 さんのコメント...

コメントありがとうございます。2日ほどパソコンから離れていましたので遅れました。御覧頂いてありがとうございます。二泊三日で三重県に行っていました。彼の地の新聞に目を通しましたが、大阪の異常は報道すらされていませんでした。帰途、生駒山を越えて大阪圏内に入ると、電車で隣り合わせわた学生が「起立斉唱」の事を話題にしていました。聞き耳を立てたが、中身まで聞き取れなかった。橋下現象は大阪と中央政界で話題になっているだけかもしれません。それぞれの地域は生きるのに忙しくて、こんなクダラぬ論争に付き合う余裕はないのが本音でしょうか。「緑の山河」寡聞にして知りません。ユーチューブで見ることが出来るか試してみます。