2012年5月28日月曜日

鳥の啼くように

鳥の啼くように

朝4時を過ぎると、空が明らんでくる。すると鳥が「我慢出来ない・切羽詰まった」と啼きはじめた。それは、いつものこと、「お約束」事だ。でもなー。と私は思う。個々の鳥にしてみれば、そんな事関係ない。今朝の夜明けと「一期一会」の「一世一代」の会話なのである。命とはそういうものなのではなかろうか。
これを、




やっと読み終えた。音楽に喩(たと)えるならば、これは「交響曲」だろう。私は彼女(加藤陽子)の「練習曲」「習作」は興味を持ってできるだけ聞いて(読んで)きた。しかし、「練習曲・習作」を集めただけでは、「交響曲」にはならないのである。ところどころに優れた興味深い「フレーズ」が潜んでいるとはいえ聴き終えて統一した感慨は無かった。これはおそらく相異なるふたつの主題を彼女がひとつのものに「昇華」出来なかったからではなかろうか。ふたつとは、ひとつは「誠実で、愚直」な昭和天皇像と、もうひとつは天皇を「神」と信じ、自らはもとより他国民にもまた多大の犠牲を出したこのクニの国民、言い換えれば我らの父母。彼ら(彼女ら)が参加した戦争のこと、である。
ともあれ、彼女は彼女の声で啼いた。私も調子っぱずれと言われようと自分の歌を自分の声で啼く他になかろう。

追伸。
何回でも、いや何十回でも、同じ問を繰り返そう。我々はどんな論理でこの社会を「統治」されてきて、どんな論理で「自治」しようとして来たのか。と。

3 件のコメント:

さんのコメント...

こんにちは。お久しぶりです。
加藤陽子さんの本は、読んでいないので、コメントできないのですが、「追伸」について。
大雑把にこの星とこの島の歴史を眺めてくると、この星に住むヒトという動物は、自分たちで思っているほど理性的な動物ではない、と感じるのです。
確固たる理念とか論理で統治をするのではなく、統治する地位にたどり着いたから統治する。
自治に関しても、飢えないで喰えれば多少きつくても一揆までは起こさない。
上もそれを知っていて、どこか持ちつ持たれつ、という気がします。
ときどき海の向こうからとか大自然災害などの刺激があり、もぞもぞと動く。
ミクロに見れば、野心ある人の動きが影響しているのですが、その動きも時代をちょっと先取りしているか、時代に乗っているかで、論理というようなものではないように思えるのです。

野良通信 さんのコメント...

コメントありがとうございます。言われるように私は安直に「論理」という言葉を使いすぎると反省しています。この場合「制度・仕掛け」みたいな意味でした。さて、「天皇・国民」「統治・自治」のような対立するふたつの概念を使い時代を読み解こうとする方法の他に。一発のイメージを提示して読み解こうとする方法もあります。「牛さん」のコメントを読んで思い出しました。「丸山真男・『超国家主義の論理と心理』」を。1946年まさに戦犯裁判のさなかに丸山氏はこれを書いた。時代を読み解こうとする者の醍醐味と成功が此処にあると思います。「戦犯裁判に於いて、土屋は青ざめ、古島は泣き、そうしてゲーリングは哄笑する。」未読であれば一読をお勧めします、文庫本で10ページ程のものです。

さんのコメント...

野良通信さま。ありがとうございます。
「時代を読む解く」というのは、大変なことなんだと思えました。頭の中に百科事典でもあればいいのでしょうが、大正から敗戦直後まではノートすらなく、メモ書きがある程度です。知識だけじゃなく、なにか直感、直観、勅勘で掴み捉えるような研ぎ澄まされた精神も必要に思えます。また、わたしは好き嫌いが激しいので、そういうものも抑えなくちゃいけない。大変なことに思えました。
丸山真男氏の『超国家主義の論理と心理』、読んでみます。
野良通信さんの「読み解き」を楽しみにしております。