2009年10月14日水曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ミナクチ」
水口。水面(みなも)と言い、水上(みなかみ)と言い、水底(みなぞこ)といい、水無月(みなずき)と言い、水俣病(みなまたびょう)と言う。それと同じ言葉ミナ。メモには「田に水を入れる入り口のこと」とある。あまりに身近で記録や記憶や詮索の対象になりづらい言葉なのだろう。『ほんにのうや』には記述がない、『岡山方言事典』には「堰口・関口」(この説明の方がムズカシイ)の事とあり、地域により「ムナトク・イダレ・ミトグチ・ミナクチ」と言うとある。これを読んで、そういえば「ミトグチ」と聞いたとも思えてきた。どちらであったのか確かめるすべはない、もう誰も使わないから。今では、「ミズノトリイレグチ」みたいな役人言葉が横行するのみだ。
しかし、こうして書き付けてみると、気になるところも出てくるのである。
1. なぜ、この言葉は瀬戸内地域で多様な変化を持って使われて来たのか、一方、中国山地では使用例がとぼしいのはなぜか。
2. 田に水を入れる仕掛けの中で、どの部分を指し示す言葉なのか。川の部分なのか、それとも田の部分なのか。
さて、それでは詮索してみよう。

と書き付けて、数日が過ぎた。斯く書く私も、「半端」と自称しても百姓の端くれ、5月に種を蒔き、6月に植えた稲の刈り取りがあるんでないの。と、キーボードを叩く私の肩を時の手が叩いている。しばらくは、モニタではなく稲を相手にすることとした。ヘラズの口をたたけば、ブログが来年の私の口を養ってくれる事は、掘っても無いのだ。
もう少しく、書いておけば、田、田圃、棚田、において水配分システムは説明が難しいこともある。かけて加えて、最近「里山」という、概念が流行っているが、水の配分システムこそ、その里山景観を造って来た。と私は思っていてそれを説明するには、忙しくては出来ない。では。

2 件のコメント:

大野 さんのコメント...

知り合いに、水口さんという人がいたことを思い出しました。

野良通信 さんのコメント...

ご無理を言いました、無理矢理、コメントを要求したりして。