2010年12月9日木曜日

12月8日のこと

128日は太平洋戦争開戦記念日だった。マスコミの扱いは小さく、返って「12.8」をテーマにするブログが目立った。1941年のこの日から、1945815日までを歴史のひとくくりとして、このクニはいつまで憶え続けていられるのだろうか。体験者はしだいに少なく。斯く書く私も体験者ではない。
私は、『レイテ戦記』大岡昇平の「エピローグ」をしばしば読み返す、そして少しだけ元気づけられる。以下(部分)。
「レイテ島の戦闘の歴史は、健忘症の日米国民に、他人の土地で儲けようとする時、どういう目に遇うかを示している。それだけでなく、どんな害をその土地に及ぼすものであるかも示している。その害が結局自分の身に撥ね返ってくることを示している。死者の証言は多面的である。レイテ島の土はその声を聞こうとする者には聞こえる声で、語り続けているのである。」中公文庫12版、(下)323ページ。
レイテ島の戦いは194410月のアメリカ軍上陸から始まり5ヶ月間続いたという。19453月東京空襲。4月沖縄上陸。と年表をたどれば、後は原爆投下、ソビエト参戦、敗戦。と、ひといきである。この間、国民は愚かな指導者に熱狂した付けを集中的に支払わされるのである。


とここまで書いたところで、「ラエ」の先生から電話があった。「風邪はどんなで?世話になっとる医者にサトイモを持って行くから、車にのせてくれるかな」。
おっとどっこい、ニューギニアの生き残りは元気だ。戦争の記憶の去就など、いらぬ心配はせずに「我々が忘れなければ、次の世代も忘れるはずはないのだ」と信じよう。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「美しい国」と美辞麗句で戦前回帰を謀った首相がいましたね。辞職してもらってよかった。ですが今の政府も同じように美辞麗句を並べただけだったのかと、いささか白けています。当てにしてはいけないということでしょうかね…? 野良通信さんの見解を聞きたいです。

野良通信 さんのコメント...

2009.9.1に「政治の季節に」と題して私なりの感想を書きました。ふざけ具合はお許し願いたいとして、考えの枠組みは変わっていません。付け加えるとすれば「きれいに掃除をしまっせ」と現れた業者に散らかった部屋の掃除を任せたら、その能力が無かったということでしょうか。「そらみろ、もとの散らかった部屋の方が良かったじゃないか」とはしゃいでいる連中もいるけれど、もとの部屋には誰も住みたくないでしょう。歴史の歯車は逆には回らない。
「クニ」という枠組みは、常に分解しようとする力が働いているようです。実際に無くなったクニも最近でも有ります(東欧)。従って、統一する価値観を常に探す事がもとめられています。アメリカならば彼らの信じる民主主義。社会主義の建設の中国。民族の独立。万世一系の天皇制、美しい国。云々。だからなのか、政治家はこちらの考えるよりも「夢見がちな」存在のようです。カメラ目線の勘違いオトコは論外ですが。
「お願い体質、お任せ体質、おねだり体質、」政治にまつわるこの国の人びとの悪癖を直さないと、どんな政党も、どんな政権もろくなことにならないでしょう。
このあいだ、「超国家主義の論理と心理」(丸山真男セレクション・平凡社)を読み直しました。ちょっとヤヤこうしいけど、目から鱗の落ちる思いのする切れ味でした。こんな視点で社会を見れば、「白け」ることはないと思いますが。まとまらぬ見解になりました。コメントありがとうございます。